第一回 甄士隠夢幻に通霊を識る 賈雨村風塵に閨秀を懐く
第一回 甄士隠、夢幻にして通霊を識る 賈雨村、風塵に閨秀を懐う
作者自ら言う:かつて一場の夢幻を経たる後、真実の事を隠し、通霊の説に藉りて、この『石頭記』一書を撰せり。故に「甄士隠、夢幻にして通霊を識る」と名づく。然れども書中に記す所は何事ぞ、又何の為にこの書を撰するや。自ら又言う:今、風塵の中に碌碌として、一事も成す能わず、忽然として当時所有の諸の女子を想起し、一一仔細に推し考えれば、其の言行挙止、識見学問、皆我が上に在り。何ぞ我が堂堂たる男子、竟に女子に如かざるや!実に慚愧余あり、悔ゆるも又益なく、誠に奈何ともすべからざるの日なり。此の時に当り、便ち自ら以往頼む所の——上は天恩に頼り、下は祖徳を承け、錦衣玉食、富貴を飽享する時、父母教育の恩を背き、師長規訓の徳を辜んじ、以て今日一事も成さず、半生潦倒の罪過に至るを、一篇の記録に編述し、以て普天下の人に告げんと欲す。我が罪過固より免る可からず、然れども閨閣の中、本来歴来許多の出色の人あり、万々我が不肖を以て、自ら短所を遮掩し、併せて彼女等の事跡を泯滅消失せしむ可からず。今日茅椽蓬牖、瓦灶縄床の貧苦の生活と雖も、然れども風晨月夕、階柳庭花の美景、未だ我が胸懐と筆墨を傷つくること無し。我未だ学習せず、下筆文采無しと雖も、何ぞ仮語村言を用い、鋪陳演繹して一段の故事を作り、以て人の耳目を愉悦せしめざるや。故に「風塵懐閨秀」と名づく、是れ第一回題綱の正意なり。巻を開きて即ち「風塵懐閨秀」と言う、便ち作者の本意原より当日の閨中好友と閨中情誼を記するに在りて、世道を怨み時政を指弾するの書に非ざるを知る。一時世態人情に涉及すと雖も、亦叙せざる可からざる者にして、其の根本宗旨に非ず、読者必ずこれを記すべし。詩に云う:
浮生、着く所の苦奔忙は何ぞ?盛席華筵、終に散場す。悲喜千般、幻渺に同じく、古今一夢、尽く荒唐。漫りに言うなかれ、紅袖啼痕重きを、更に情痴有りて恨みを抱きて長し。字字看るに来りて皆是れ血、十年辛苦、尋常ならず!
諸君、汝道う、此の書何処より来るやと?根由を説き起こすに荒唐に近しと雖も、仔細に味わえば深く趣味あり。将に我が此の由来を説明せんとす、以て聴者をして明了にして疑無からしめん。
原来、当時女媧氏石を煉りて天を補うの時、大荒山無稽崖に於て高さ十二丈、方経二十四丈の頑石三万六千五百零一塊を煉成せり。媧皇氏只だ三万六千五百塊を用い、単に一塊を残して用いず、便ち此の山の青埂峰下に棄てたり。誰か知らん、此の石煅煉を経しより後、霊性已に開通し、衆の石皆天を補うを得るを見て、独り己れ材無くして選に入る能わず、自ら怨み自ら嘆き、日夜悲号慚愧す。
一日、正に嗟嘆哀悼の余、忽然として一僧一道遠くより来るを見る、生まれつき骨格凡ならず、風神迥として異なり、説笑しつつ峰下に来たり、石の旁らに坐して高談快論す。先ず雲山霧海神仙玄幻の事を説き、後来便ち紅塵中の栄華富貴を説く。此の石聞きて、覚えず凡心を動かされ、亦人間に行きて此の栄華富貴を享受せんと欲すれども、自ら粗蠢を恨み、已むを得ず、口を吐きて人言を為し、僧道に向かい言いて曰く:「大師、弟子は蠢物、礼を見る能わず。先刻二位の那人世間の栄耀繁華を談論するを聞き、心中深切に羨む。弟子資質粗蠢と雖も、性情稍通霊し、況んや二位大師の仙形道体を見るに、必ず凡品に非ず、必ず補天済世の材、利物済人の徳有らん。若し一点の慈悲の心を発し、弟子を携え入るを得て紅塵に入り、富貴の場中、温柔の郷裡に於て数年の享受を得ば、自ら当に永遠に大恩を銘記し、万劫忘れざるべし。」二位仙師聞き終え、共に憨笑して曰く:「善哉、善哉!紅塵中には些の楽事有りと雖も、永遠に依靠す可からず。況んや又『美中不足、好事多魔』の八字緊々相連なり、瞬息の間又楽極まり悲を生じ、人非物換、終に一場の夢、万境空に帰す、到らざるに如かず。」此の石凡心已に熾熱、豈に此の話を聴き入る可けんや、於て又再三苦求す。二仙、強いて制止す可からざるを知り、嘆きて曰く:「是れ亦静極まり動を思い、無中に有を生ずるの定数なり。既に然らば、我れ便ち汝を帯びて享受享受せしめん、只だ意を得ざるの時、切に悔ゆること莫かれ。」石曰く:「自然、自然。」僧又曰く:「若し汝の霊性を説かば、又此の如く質蠢にして、更に奇貴の処無し。此くの如くんば只だ墊脚に足るのみ。已むを得ず、我れ今大いに仏法を施して汝を助けん、劫の終わるの日を待ち、再び本質に復し、以て此の案を了せん。汝が言う、好しとせずや?」石聞きて、感謝限り無し。僧便ち咒を念じ符を書し、大いに幻術を展べ、一塊の大石を登時に一塊の鮮明瑩潔の美玉と変じ、且つ又扇墜の大きさに縮小し、佩く可く、拿る可し。僧掌上に托し、笑いて曰く:「形体到も是れ宝物なり!然れども未だ実の好处有らず、必ず再び数個の字を鐫し、人をして一見すれば便ち奇物と知らしむるを好しとせん。然る後汝を帯びて昌明隆盛の邦、詩礼簪纓の族、花錦繁華の地、温柔富貴の郷に行き、安身楽業せしめん。」石聞きて、喜び自ら禁えず、便ち問いて曰く:「弟子に幾件の奇処有るかを知らず、又弟子を何処に帯び行くかを知らず。希望明白に指示し、弟子をして疑惑無からしめよ。」僧笑いて曰く:「汝且く問うこと莫かれ、日後自然に明白ならん。」説き終りて、便ち袖に其の石を納れ、道人と同に飄然として去り、竟に何処何方に投ずるかを知らず。
後来、又幾世幾劫を経ずと知らず、空空道人という者、道を訪ね仙を求め、忽然として此の大荒山無稽崖青埂峰下を経過し、忽然として一大塊の石の上に字迹分明に、編述歴歴たるを見る。空空道人便ち頭より看るに、原来材無くして天を補う能わず、形を幻して世に入り、茫茫大士、渺渺真人の蒙りて紅塵に携え入れられ、離合悲歓、炎涼世態を歴尽くす一段の故事なり。後に又一首の偈有り:
無材、与に蒼天を補う可く、枉らに紅塵に入る許年の年!此れ是れ身前身後の事、倩れ誰か寄せて神伝と作さん?
詩の後は即ち此の石の墜落の郷、投胎の処、親自ら経歴せる一段の陳迹故事なり。其の中、家庭閨閣の瑣事、及び閑情詩詞、到っては還た全備し、或いは趣を適にし悶を解くに可なりと雖も、然れども朝代年紀、地輿邦国、却って失落して考究するに由無し。
空空道人、石に向かって言いけるは、「石兄よ、汝のこの物語、汝自ら言うに、いくばくか趣きありとて、ここに書き記し、世に出でて奇譚を伝えんと欲す。我が之を見るに、第一、朝代年紀の考証すべきものなく、第二、大賢大忠の朝廷を治め風俗を整えし善政の績もなく、ただ中に尋常ならざる女子数人ありて、或いは情に鐘り或いは痴に迷い、或いは些少の小才小善あるのみ。班姑、蔡女のごとき徳行才覚あるにはあらず。我、たとえ之を写し取るとも、世の人愛でて見んことを恐るるなり。」と。石、笑いて答えて言いけるは、「我が師、何ぞかくのごとく痴迷するや。もし朝代の考証すべきなしと云わば、今、我が師、竟に漢朝唐朝等の年紀を仮借して点綴を加うること、何の難きかあらん。但し我が思うに、歴来の野史は、皆一つの套路を踏襲す。我がこの套路を借りざるがごときは、かえって新奇別致にして、ただそれらの事体情理を取りたるのみ。何ぞ必ずしも朝代年紀に拘泥せんや。また、市井の俗人、治政の書を好みて見る者は少なく、適趣の閑散文章を愛し楽しむ者は殊に多し。歴来の野史、あるいは君相を誹謗し、あるいは他人の妻女を貶損し、奸淫凶悪、数え尽くす能わず。更に一種の風月筆墨あり、それらの淫穢汚臭、筆墨を毒し、人家の子弟を敗るるもの、又数え尽くす能わず。才子佳人のたぐいの書に至りては、則ちまた千部共に一つの套路を出でず。しかもその中、終に淫濫に渉るを免れず、遂に紙面は満ちて潘安、子建、西子、文君なるのみ。作者ただ自己の那の二首の情詩艶賦を書き出さんがために、故に男女二人の姓名を仮擬し、必ず傍らに一小人を作り出してその中に在りて挑発離間せしむるは、また劇中の小丑のごとし。且つ、丫鬟婢女、口を開けば者也之乎、文を講ぜずんば理を論ぜず。故に逐一見るに、全て自相矛盾、極めて情理に近からざる話なり。我が半世、親しく耳に聞き目に睹る所のこの数女子のごときは、敢えて前代の書中に在る所の人物に勝るとも云わざれども、その事跡原委、もって愁を消し悶えを解くべく、また幾首かの歪詩熟話あり、もって噴飯供酒することを得べし。離合悲歓、興衰際遇に至りては、則ちまた踪を追い跡を尋ね、敢えて些少の穿鑿附会を加えて、徒らに人の観賞に供して却って真実の伝述を失わんことをせず。今の人、貧窮なる者は毎日衣食に累え、富める者は又足らざるの心を懐き、一時、たとえ些少の暇あらんも、又貪淫恋色、好貨尋愁の事あり。何ぞ治政の書を看るの閑暇あらんや。故に我がこの物語、願わくは世人、奇と称し妙と道わんことを求めず、また必ずしも世人の愛読せんことを求めず。ただ願わくは彼ら、那の醉淫飽臥の時に在り、或いは世を避け愁いを去らんとする際に、之を一玩せば、豈に寿命精力を節省するに勝らざらんや。即ち比らんに那の虚を謀り妄を逐う者よりも、却って口舌是非の害、腿脚奔忙の苦を省くべし。また、世人に新たなる眼目を換えしめんことを。那の胡牽乱扯、忽離忽遇、紙面に満ちて才人淑女、子建文君、紅娘小玉等の通熟套の旧稿のごとくならんことを欲せず。我が師の意、如何に。」と。
空空道人、この説を聴き、半晌を考え、『石头记』を再び検閲一遍す。その上、或いは奸佞を指責し、邪悪を斥逐し、奸邪を誅伐するの語あるも、傷時罵世の意旨にあらず。君仁臣良、父慈子孝、凡そ倫常の渉る所は、皆功を称し徳を頌し、眷恋窮まりなし。実に他の書の比すべきにあらざるなり。その中、大旨情を談ずるも、ただ実に其の事を如実記録するのみ。又、虚を仮借し妄りに称し、一味淫邀艶約、私訂偷盟に比すべきにあらず。毫も時世に関渉せざるに因り、始めより終わりまで抄録して帰り、世に出でて奇を問わんとす。此の時より空空道人、因って空を見て色と為し、色に由りて情を生じ、情を伝えて色に入り、色に自りて空を悟る。ここに於いて名を改めて情僧と為し、『石头记』を改めて『情僧録』と為す。呉玉峰に至りては則ち題して『紅楼夢』と為し、東魯の孔梅溪に至りては則ち題して『風月宝鑑』と為す。後、曹雪芹、悼紅軒中に於いて十年批閲し、五次増刪し、目録を編纂し、章回を分かち、則ち題して『金陵十二釵』と為し、並びに一絶句を題す。
満紙荒唐言、一把辛酸泪。
都云作者痴、誰解其中味。
当日、地は東南に陷る。この東南の一隅、姑蘇と謂う地あり。一城あり、閶門と曰う。最も紅塵中の一二等の富貴風流の地なり。この閶門外に十里街と曰う街あり。街内に仁清巷と曰う巷あり。巷内に古廟あり。地の狭窄なるに因り、人皆之を呼びて葫芦廟と為す。廟の旁に一郷宦住めり。姓は甄、名は費、字は士隠と曰う。正妻封氏、性情賢淑にして、深く礼義を明らむ。家、甚だ富貴ならざれども、本地も亦之を推して望族と為せり。この甄士隠、稟性恬淡にして、功名を心に掛けず。毎日、ただ花を賞し竹を修め、酒を飲み詩を吟ずるを楽しみと為す。倒是神仙一流の人品なり。ただ一件の不足あり。年已に半百に至り、膝下に子無く、ただ一女子あるのみ。乳名を英蓮と喚び、才だ三歳なり。
一日、炎夏永昼、士隠、書斎に在りて閑坐す。手倦みて書を抛つに至り、几に伏して微かに息を休む。覚えず朦朧として睡りに就く。一の地を夢みるも、是れ何の地たるを弁ぜず。忽然として彼の方より一僧一道来たるを見る。辺りを歩み辺りを談ず。只道人の問うを聴く、「汝、この蠢物を携えて、何の所にか往かんと欲する。」那の僧、笑いて曰く、「汝、心を放せ。今、正に一段の風流公案、当に了結すべきあり。此の一干の風流冤家、未だ投胎入世せず。此の機に乗じ、即ちこの蠢物をその中に夾帯せしめ、彼をして経歴せしめん。」と。那の道人曰く、「原来近日、風流冤孽、又劫難を造りて塵世を経歴せんとするか。但だ何れの何方何れの処に落ち着くかを知らざるなり。」と。那の僧曰く、「この事、説き来たれば好笑、竟に千古未聞の罕事なり。只だ西方霊河の岸上、三生石畔に因りて、一株の絳珠草あり。其の時、赤瑕宮の神瑛侍者あり、毎日甘露を以て灌漑す。此の絳珠草、以て久しく歳月を延ぶるを得たり。後、既に天地の精華を受け、又雨露の滋養を得て、ここに於いて草胎木質を脱し、人形に換わるを得たり。僅かに女体を修め終日離恨天の外に游ぶ。飢えれば則ち蜜青果を食と為し、渇けば則ち灌愁海水を湯と為す。只だ未だ灌漑の恩徳を報ずるに因り、故に其の五内、便ち一段の纏綿不尽の情意を鬱結す。恰好近日、この神瑛侍者、凡心偶然熾熱にして、此の昌明太平の朝代に乗じ、下凡して幻縁を製造せんと欲す。已に警幻仙子の案前に於いて号を掛く。警幻も亦曾て問う。灌漑の情、未だ償わず。此に乗じて却って此を了結すべし。那の絳珠仙子、道う、『彼は甘露の恩恵なり。我は此の水無くして彼に還すべし。彼、既に下世して人と為らば、我も亦下世して人と為らん。但だ我が一生の所有の眼泪を彼に還して、亦償い得て彼に過ぎん。』と。此の一事に因り、即ち多少の風流冤家を引き出し、彼らに陪して往きて此の案を了結せしむ。」と。那の道人曰く、「果たして是れ罕聞なり。実に未だ曾て還泪の説を聞かず。想うに此の段の故事、歴来の風月事故より更に瑣碎細膩ならん。」と。那の僧曰く、「歴来の幾箇の風流人物、ただ其の大概及び詩詞篇章を伝うるのみ。家庭閨閣中の一飲一食に至りては、総て記述無し。又、大半の風月故事、ただ香を窃め玉を偸み、暗に約し私に奔るのみ。未だ曾て児女の真情を一、二发泄せず。想うに此の一干の人、世に入らんに、那些の情痴色鬼、賢愚不肖の、全て前人伝述と異ならん。」と。那の道人曰く、「此の機に乗じ、何ぞ你我も亦下世して幾箇かを度脱せざる。豈に一場の功徳にあらずや。」と。那の僧曰く、「正に我が意に合えり。汝、且く我と共に警幻仙子宫中に行き、蠢物を交割清楚にし、此の一干の風流孽鬼の下世を畢るを待ちて、你我再び行かん。今、已に一半落塵すと雖も、未だ全集せず。」と。道人曰く、「既に此の如くならば、便ち汝に随いて往かん。」と。
さて、甄士隠はすべてはっきりと聞き取ったが、彼らの言う「愚か物」が何であるかはわからなかった。そこで思わず前に進み出て礼をし、笑いながら言った、「二位の仙師、お目にかかります」。その僧と道士も急いで答礼して尋ね返した。士隠はそこで言った、「先ほど仙師がお話しになった因果の理は、まさに世に稀なことでした。しかし、弟子は愚かで鈍く、はっきりと理解することができません。どうか大いにお恵みいただき、愚かなる者を開き、詳しくお教えくだされば、弟子は謹んで耳を傾け、少しでも悟りを得て、苦しみの淵に沈むことを免れたいと存じます」。二人の仙は笑って言った、「これは玄機であり、前もって漏らすことはできぬ。その時が来たら、我々二人を忘れぬがよい。そうすれば、火の穴から飛び出せるであろう」。士隠はこれを聞いて、それ以上尋ねるわけにもいかず、そこで笑って言った、「玄機は前もって漏らせぬと承りましたが、先ほど仰った『愚か物』とは何でしょう。ひょっとして一目見ることはできましょうか」。その僧が言った、「この物について尋ねるならば、一目会う縁はある」。そう言って、取り出して士隠に渡した。士隠が受け取って見ると、それは鮮やかな美しい玉で、上には文字がはっきりと刻まれており、「通靈寶玉」の四字があり、その後にさらに数行の小字があった。詳しく見ようとした時、その僧はもう幻境に着いたと言い、無理やり手から奪い取り、道士と共に大きな石の牌楼を通り過ぎて行った。そこには四つの大きな字が書かれてあり、「太虛幻境」とあった。両側にはまた一対の対聯があって、こう書かれていた。
假を真と做す時、真も亦假、無を有と為す處、有も還た無。
甄士隠は本来、後を追って行こうと思ったが、足を上げた途端、突然一声の雷鳴が轟き、山が崩れ地が裂けるかのようであった。士隠は大声で叫び、目を凝らして見ると、烈日が照りつけ、芭蕉が揺れているだけで、夢の事は大半を忘れてしまった。また、乳母が英蓮を抱いて歩いて来るのが見えた。士隠は娘がますます粉を塗り玉を琢いたように美しく、愛らしく育っているのを見て、手を伸ばして受け取り、抱きかかえ、しばらく遊んでやった後、さらに街の前に連れて行き、祭りの賑わいを見物した。まさに入ろうとした時、向こうから一人の僧と一人の道士がやって来るのが見えた。その僧は頭は禿げ、足は裸であり、その道士は足を引きずり、髪は乱れ、狂ったように振る舞い、談笑しながら歩いて来た。やがて彼の門前に着き、士隠が英蓮を抱いているのを見ると、その僧は大声で泣き出し、また士隠に向かって言った、「施主よ、あなたはこのような命はあっても運は無く、父母にまで累が及ぶようなものを、抱いて何とするのか」。士隠はこれを聞いて、狂言だと知り、相手にしなかった。その僧はなおも言った、「私に下され、私に下され」。士隠はうんざりして、娘を抱いて中に入ろうとすると、その僧は彼を指さして大笑いし、口の中で四句の言葉を唱えた。
慣養嬌生 笑い汝の痴を 菱花空しく雪澌々たるに對ふ 好し防げ佳節元宵の後 即ち是れ煙消火滅の時
士隠ははっきりと聞き取り、心の中でためらい、彼らの来歴を尋ねようと思った。すると、道士の声が聞こえた、「あなたと私は共に行く必要はない。ここで別れ、それぞれの仕事に励もう。三劫の後、私は北邙山であなたを待つ。揃って太虛幻境に赴き、籍を消そう」。その僧が言った、「最も良し、最も良し」。言い終えると、二人は去ってしまい、二度と影も形も見えなくなった。士隠は心の中でひそかに考えた、「この二人にはきっと来歴がある。試しに尋ねるべきだったが、今となっては後悔しても遅い」。
この士隠がぼんやりと考え込んでいると、突然、隣の葫蘆廟に寄宿している貧しい書生——姓は賈、名は化、字は時飛、別号は雨村という者が歩いて出て来るのが見えた。この賈雨村はもともと胡州の出身で、詩書仕宦の家柄であったが、彼が末世に生まれたため、父母や祖先の基盤は尽き果て、人口は衰え失せ、ただ彼一人が残されただけだった。故郷にいても益がないので、都に上って功名を求め、家業を再興しようとした。一昨年来てから、ここでまた行き詰まり、止むを得ず廟に仮住まいし、毎日、字を書き文を作って生計を立てていたので、士隠は常に彼と交際していた。その時、雨村は士隠を見ると、急いで礼をし、笑って詫びた、「老先生が門に倚って立っておられるのは、街路に何か新しいことでもあったのでしょうか」。士隠は笑って言った、「違います。先ほど幼い娘が泣いたので、連れ出して遊ばせていたところ、たいそう退屈しておりました。兄が来られたのは丁度良い。どうぞ拙宅にお入りになって一席お話ししましょう。互いにこの長い一日を過ごすことができましょう」。そう言って、人に娘を中へ連れて行かせ、自ら雨村と手を携えて書斎に来た。小童が茶を差し出した。三言五句話し合ったところで、突然家人が飛んで来て報じた、「嚴様がお見えになりました」。士隠は慌てて立ち上がり、謝罪して言った、「お許しください。失礼してまいります。どうかしばらくお掛けになってお待ちください。すぐに戻って参ります」。雨村も急いで立ち上がり、遠慮して言った、「老先生はご自由に。私はいつも来ている客です。少々お待ちしても差し支えございません」。そう言っている間に、士隠はもう前の広間へ出て行った。
ここで雨村はしばらく書籍を繰って暇を潰していた。突然、窓の外で女の咳をする声が聞こえた。雨村は立ち上がって窓の外を見ると、一人の下女がいて、そこで花を摘んでいた。その容貌は並々ならず、眉目は清らかで、十分な美色ではないにせよ、人を惹きつけるものがあった。雨村は思わず見惚れてしまった。その甄家の下女は花を摘み終え、立ち去ろうとした時、ふと顔を上げて窓の中に人がいるのを見た。破れた頭巾に古びた服で、貧しそうではあるが、腰は丸く背は厚く、顔は広く口は四角く、さらに剣のような眉に星のような目、真っ直ぐな鼻と権謀の頬をしていた。この下女は急いで振り返り避けながら、心の中で思った、「この人はこんなに雄々しいのに、こんなにぼろぼろの身なりだ。きっと、あの当家の主人がよく口にする賈雨村という人に違いない。いつも助けてやりたいと思っておられたが、機会がなかったのだ。当家にはこんなに貧しい親類はいない。きっとこの人で間違いない。道理で、彼は長く困窮しているような人ではないと仰っていたわけだ」。こう考えて、思わず二度ほど振り返った。雨村は彼女が振り返ったのを見て、この女が自分に心があるのだと思い込み、狂喜しきって、この女はきっと眼識のある英雄であり、風塵の中の知己だと自負した。しばらくして小童が入って来たので、雨村は前の広間で食事の準備ができているのを聞き、長く待つわけにはいかないと、脇道から自分で門を出て行った。士隠は客が帰った後、雨村が自分で立ち去ったのを知り、もはや招きに行くことはしなかった。
ある日、早くも中秋の佳節となった。士隠は家の宴を終えると、また別に一席を書斎に設け、自ら月を踏んで廟に雨村を招きに行った。もともと雨村は、あの日甄家の下女が自分を二度振り返ったのを見てから、知己だと思い込み、常に心に留めていた。折しも中秋の佳節、月に向かって感ずるものがあり、思わず口ずさんで五言の律詩一首を作った。
未だ卜せず三生の願い 頻りに添う一段の愁 悶える時は来たりて額を斂め 行く時は幾たびか頭を回す 自ら顧みる風前の影 誰か堪えん月下の儔 蟾光もし意有らば 先ず玉人の楼に上れ
雨村は詠み終え、また平生の抱負を思ったが、時運に恵まれず苦しんでいた。そこでまた頭を掻きながら天に向かって長嘆し、さらに声高く一聯を詠んだ。
玉は櫝の中に在りて善價を求め 釵は奩の内に在りて時を待ち飛ぶ
ちょうど士隠がやって来てこれを聞き、笑って言った、「雨村兄、実に抱負は浅からぬものだ」。雨村は慌てて笑って言った、「ただ偶々前人の句を口吟んだまで。どうしてそのように狂った振る舞いができましょう」。そこで尋ねた、「老先生、どのようなご興味があってこちらへ?」。士隠は笑って言った、「今夜は中秋、俗に『団円の節』と呼ばれます。兄が僧房に旅泊しておられ、寂寥の感が無きにしも非ずと思い、故に特に粗酒を用意し、兄を拙宅に招いて一献傾けようと思います。芹意をお納めいただけますでしょうか」。雨村はこれを聞き、決して辞退せず、笑って言った、「厚情を賜り、どうしてこの盛意を拒みましょう」。そう言って、士隠と共に再びこの書院の方へ渡って来た。やがて茶が終わると、既に杯盤が並べられており、その美酒佳肴は言うまでもなかった。二人は席に着き、まずはゆっくりと酌み交わし、次第に談が盛り上がり、いつしか杯を交わし合うようになった。その時、街々では家々が簫管を奏で、戸々が弦歌を響かせ、頭上には一輪の明月が輝き、光彩を放っていた。二人はますます豪興が湧き、酒は杯に注がれるままに飲み干した。雨村はこの時すでに七八分の酒気があり、狂興を抑えきれず、月に向かって思いを寄せ、思わず口ずさんで一絶を詠んだ。
時節十五に逢えば即ち団円 満把の晴光 玉欄を護る 天の上に一輪 才ち捧げ出でれば 人間の万姓 仰ぎて看る
甄士隠はこれを聞いて、大きな声で叫んだ。「妙だ!私はかねてより、兄上は決して長く人に仕える身ではないと思っていた。今、兄上が詠まれた詩句には、栄達の兆しがはっきりと現れており、まもなく順調に出世されるだろう。めでたい、めでたい!」そこで自ら酒を一斗満たして祝いの杯を差し出した。賈雨村は杯を干すと、嘆息して言った。「これは私の酒の上の狂言ではございません。もし現在の科挙の学問について申せば、私もおそらくその席を埋め、名声を博すことはできましょう。ただ、目下のところ行李や路銀の手当てが全くなく、都の道のりは遠く、書を売ったり文を書いたりしただけでは到達できそうにありません。」甄士隠は彼が言い終わるのを待たずに言った。「兄上はなぜ早くおっしゃらなかったのですか。私は常々その心がありましたが、兄上とお会いするたびに、兄上からそのような話が一度も出なかったので、私もあえて軽々しく口にできなかったのです。今、このような話が出ましたからには、私は不才ながらも、『義』と『利』の二字は弁えております。それに、来年がちょうど大比の年に当たるのは喜ばしいこと。兄上はぜひ早々に都に上り、春の試験に臨んで、平生の学問に報いるべきでしょう。旅費などのことは、私が代わりに手配いたします。それも兄上の私に対する過分なお引き立てに報いることになるでしょう!」すぐに小童を中に入れ、急いで銀五十両と冬服二揃いを包ませた。さらに言った。「十九日は黄道吉日です。兄上はすぐに船を調達して西へ上られよ。雄飛高挙の後、来年の冬に再会するというのは、なんと痛快なことではないですか!」賈雨村は銀子と衣服を受け取り、ただ簡単に礼を一言述べただけで、特に感激した様子も見せず、相変わらず酒を飲み談笑していた。その日はすでに三更(午後十一時~午前一時)に及び、二人はようやく別れた。
甄士隠は賈雨村を見送った後、部屋に戻って一眠りし、太陽が高く昇ってから目を覚ました。昨夜のことを思い出し、もう一度推薦状を二通書いて賈雨村に都へ持たせ、雨村が官宦の家に身を寄せる足がかりにさせようと考えた。そこで人をやって招こうとしたが、その家人が行って帰って言うには、「和尚が申しますには、賈様は今朝の五更(午前三時~五時)に都へ発たれました。また、言伝を残して和尚からお伝えするよう申されました。『読書人は黄道黒道などにこだわらず、万事道理を重んじるもの。面と向かってお別れの挨拶もできなかった』と。」甄士隠はこれを聞いて、仕方なく諦めるほかなかった。
まことに閑暇の時は過ぎやすいもので、瞬く間にまた元宵節(旧暦一月十五日)が訪れた。甄士隠は家人の霍啓に英蓮を抱かせて、花火や灯篭を見物に行かせた。夜半、霍啓は用を足すため、英蓮をある家の敷居の上に座らせた。用を済ませて抱き上げようとした時には、すでに英蓮の姿は影も形もなかった。霍啓は慌てて夜通し探し回ったが、夜が明けても見つからず、主人の顔を合わせる勇気もなく、他郷へ逃亡してしまった。甄士隠夫婦は、娘が一晩戻らないのを見て、何か良からぬことが起こったと悟り、さらに数人を遣わして探させたが、皆、何の消息もないと報告するばかりだった。夫妻は半生かかってようやくもうけた一人娘を失い、思わずにはいられず、昼夜泣き暮らし、生きる気力もなくなるほどであった。一ヶ月ほど経った頃、甄士隠が先に病に倒れ、封氏孺人も娘を案じて病に罹り、日々医者を呼んで治療を受ける有様だった。
ところが、この年の三月十五日、葫蘆廟で供え物を油で揚げている最中、僧侶たちの不注意から油鍋に火がつき、窓紙に燃え移った。この地の家々は竹の垣根や木の壁を用いるのが常で、おそらく劫数(宿命の災難)のためでもあろう、次々と燃え広がり、一つの通り全体が火焔山のようになってしまった。当時、軍民が消火に駆けつけたが、火の勢いはすでに盛んで、どうして消し止められようか。一晩中燃え続け、ようやく鎮火したが、何軒の家が焼けたかもわからない。哀れなことに、甄家は隣り合わせにあり、とうに一片の瓦礫の山と化していた。ただ、夫婦と数人の家人だけは命に別状はなかった。甄士隠は慌てふためき、足を踏み鳴らして嘆息するばかりだった。やむなく妻と相談し、ひとまず田舎の荘園に身を寄せることにした。ところが、近年は水害や干ばつで作物が実らず、盗賊が蜂起し、田畑を奪い合い、こそこそと盗みを働き、民は安らぎを得られなかった。そのため官兵が討伐に当たったが、安全に暮らせる場所もなかった。甄士隠はやむなく田荘をすべて売り払い、妻と二人の侍女を連れて、舅の家に身を寄せることにした。
舅は封肅といい、もとは大如州の人で、農業を営むとはいえ、家はまずまず裕福だった。しかし今、婿がこのような落ちぶれた姿でやって来たのを見て、心の中ではいくぶん不満に思った。幸い、甄士隠には田荘を売った銀子がまだ残っていたので、それを取り出して、封肅に相場に従って家屋や田地を買い付けてもらい、今後の衣食の足しにしようと頼んだ。封肅は半ば騙すようにして、ただ痩せた田や壊れた家ばかりをあてがった。甄士隠はもともと読書人で、生計や農業などの仕事に慣れておらず、無理に一年か二年を凌いだが、ますます貧しくなっていった。封肅は会うたびに、他人事のような言葉を並べ、また人の居ぬ間や前後で、彼らが家計をやりくりできない、ただ遊んで食ってばかりいると非難した。甄士隠は頼る相手を間違えたと知り、心の中では悔やみ恨んだ。それに加えて、前年の驚きや恐れ、怒りや悲しみの積もった傷が重なり、晩年の身で貧困と病に苛まれ、次第に死の兆しが現れ始めた。
折しもその日、彼は杖をつきながら通りに出て気を紛らわせていると、突然、向こうから跛足の道士がやって来るのが見えた。彼は奇行に富み、だらしなく、麻の草鞋に破れた衣をまとい、口の中で幾つかの詞を唱えていた。それはこうであった。
世人都曉神仙好、只有功名忘不了;
古今將相在何方、荒冢一堆草沒了。
世人都曉神仙好、只有金銀忘不了;
終朝只恨聚無多、及到多時眼閉了。
世人都曉神仙好、只有嬌妻忘不了;
君生日日說恩情、君死又隨人去了。
世人都曉神仙好、只有兒孫忘不了;
癡心父母古來多、孝順子孫誰見了。
甄士隠はこれを聞いて、進み出て言った。「あなたは何を言っているのです。ただ『好』と『了』、『好』と『了』としか聞こえませんが。」道士は笑って言った。「あなたが本当に『好』と『了』の二字を聞き取ったのなら、まだわかっていると言える。知っておくがいい、世の中の万の物事、好(よい)とはすなわち了(おわる)ことであり、了とはすなわち好のことだ。もし了(おわ)らなければ、好(よく)はない。もし好(よく)あらんと欲すれば、必ず了(おわ)らねばならない。この歌を、私は『好了歌』と名付けた。」甄士隠はもともと宿慧(生まれつきの悟り)のある者で、この言葉を聞くや、心中すでに深く悟るところがあった。そこで笑って言った。「お待ちください。私がこの『好了歌』に註解を付けてみましょうか。」道士は笑って言った。「解いてみよ、解いてみよ。」甄士隠はそこで言った。
陋室空堂、當年笏滿床;
衰草枯楊、曾爲歌舞場。
蛛絲兒結滿雕梁、綠紗今又糊在蓬窗上。
說什麼脂正濃、粉正香,如何兩鬢又成霜;
昨日黃土隴頭送白骨,今宵紅燈帳底臥鴛鴦。
金滿箱、銀滿箱,轉眼乞丐人皆謗;
正嘆他人命不長,那知自己歸來喪。
訓有方,保不定日後作强梁;
擇膏粱,誰承望流落在煙花巷。
因嫌紗帽小,致使鎖枷扛;
昨憐破襖寒,今嫌紫蟒長。
亂烘烘你方唱罷我登場,反認他鄉是故鄕;
甚荒唐,到頭來都是爲他人作嫁衣裳。
その狂跛の道士はこれを聞いて、手を打って笑った。「解釈が的確だ、的確だ!」甄士隠は「行こう!」と一声叫び、道士の肩から褡褳(ふくろ)を奪い取って自分の肩に掛け、家に帰らず、狂道士と共にひらひらと去っていった。
その時、町中が騒然となり、人々はこれを一つの珍しい話として語り合った。封氏はこの知らせを聞いて、泣き叫んで気を失うばかり。やむなく父と相談し、人を遣ってあちこち探させたが、どこにも消息は得られなかった。仕方なく、父母に頼って日々を送るよりほかなかった。幸い、側にはまだ以前からの二人の侍女が仕えており、主従三人で日夜針仕事をして金を稼ぎ、父の家計の足しを助けた。封肅は毎日のように不平を言っていたが、どうすることもできなかった。
さて、その日、甄家の大侍女が門前で糸を買っていると、突然、通りから道を払う声が聞こえ、人々は新しい太爺(知県)が着任したと言った。侍女は門の中に隠れて見ていると、軍牢や快手が一組また一組と通り過ぎ、やがて大駕籠が、烏帽子に紅袍を着た官員を乗せて過ぎ去った。侍女はぼんやりとして、この官員はどこかで見たことがあるように思い、顔に見覚えがあるように感じた。部屋に入っても、そのまま心に留めずにいた。夜になり、寝ようとしていた時、突然、門を激しく叩く音がし、多くの人が騒ぎ立て、「本府の太爺が人を遣わして、問い合わせのためにお呼びだ」と言った。封肅はこれを聞いて、呆然とし、何の禍事かと震え上がった。その話は次回に譲ろう。
