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四十九篇

曲礼下

第 2 篇

凡そ物を捧げ持つ者は、両手で胸の高さまで捧げる。物を提げる者は、腰の位置に提げる。天子の器物を執り持つ時は、心臓より高く掲げる。国君の器物を執り持つ時は、心臓と同じ高さにする。大夫の器物を執り持つ時は、心臓より低くする。士の器物を執り持つ時は、腰の位置に提げる。凡そ主人の器物を執り持つ時は、たとえ軽くても、持ち上げられないかのようにする。主人の器物を執り持つ時、例えば貨幣・圭・璧などを操る時は、左手を上にし、歩く時は足を上げず、車輪が地を曳くように踵を引きずる。立つ時は磬のように腰を曲げ、佩玉が自然に垂れるようにする。主人の佩玉が身の側に倚っていれば、臣下の佩玉は垂らす。主人の佩玉が垂れていれば、臣下の佩玉は地に垂らす。玉器を執り持つ時、玉に敷き物があれば外衣を開き、敷き物がなければ外衣を畳む。

国君は卿老や世婦の名を直接呼ばない。大夫は世臣や姪娣の名を直接呼ばない。士は家相や長妾の名を直接呼ばない。国君や大夫の子は、「余小子」と自称してはならない。大夫や士の子は、「嗣子某」と自称してはならず、また世子と同名であってはならない。

国君が士に弓を射るよう命じ、士が射ることができなければ、疾病をもって辞退し、「某に負薪の憂いがございます」と言う。

君子に事える時、周囲を顧みずに軽率に答えるのは、礼にかなわない。

君子は礼を行うに当たり、本国の習俗を改めることを求めない。祭祀の礼、喪に服する時の衣服、哭泣の位置は、すべて本国の旧制に従い、謹んでこれを習い、慎んで実行する。本国を去って既に三代を経た場合、もし爵位や俸禄が朝廷に列し、出入りに他国との詔命の往来があれば、兄弟宗族がなおいるならば、帰って宗族の長に報告する。本国を去って既に三代を経て、爵位や俸禄が朝廷に列せず、出入りに他国との詔命の往来がなければ、ただ新朝の興る日に当たって、新国の礼に従う。

君子は父が亡くなった後、名を改めない。父の死後に突然身分が高くなっても、父のために諡号を作らない。

喪に服している間、葬る前は喪礼を学び、葬った後は祭礼を学び、喪期が終わって平常の生活に戻った後は楽章を学ぶ。喪に服している時は音楽を語らず、祭祀の時は凶事を語らず、公の庭では婦女を語らない。

国君の前で書簡を整えたり繰ったりする者は、罰せられる。国君の前で蓍策を逆さまに置いたり亀甲を横に置いたりする者は、罰せられる。亀甲や蓍策、机や杖、車蓋、重喪の喪服、細葛布や粗葛布の衣裳は、すべて公門に持ち込んではならない。草鞋、前襟を帯に挟んだ者、喪冠は、公門に持ち込んではならない。方板を書くこと、喪服、凶器は、先に告げなければ、公門に持ち込んではならない。

公事は私的に議論しない。

君子が宮室を造ろうとする時は、宗廟を第一とし、馬屋や倉庫を次とし、居室を最後とする。

凡そ大夫の家が器物を造る時は、祭器を第一とし、祭祀の犠牲を次とし、日常の飲食器を最後とする。田産や俸禄のない者は祭器を設けない。田産や俸禄のある者は先に祭服を作る。君子はたとえ貧しくても、祭器を売らない。たとえ寒くても、祭服を着ない。宮室を造る時、墳丘の木を伐らない。

大夫や士が本国を去る時、祭器は国境を越えて持ち出してはならない。大夫は祭器を大夫に預け、士は祭器を士に預ける。大夫や士が本国を去る時、国境を越えた後、壇を築いて位を設け、本国に向かって泣く。白衣・白裳・白冠を着け、衣の縁を除き、革鞋を履き、車には白幕を張り、鬣を切った馬に乗り、爪や髭を剪らず、祭祀や飲食をせず、人に自分の無罪を訴えない。婦人に近づかない。三ヶ月の後、元の服に戻る。

大夫や士が国君に進み見える時、国君が彼らを慰労すれば、退避して再拜叩首する。国君が迎えて拝すれば、退避して敢えて拝し返さない。大夫や士が互いに見える時、たとえ貴賤が釣り合わなくても、もし主人が客を敬えば、先に客に拝する。もし客が主人を敬えば、先に主人に拝する。凡そ弔いではなく、また国君に進み見えるのでもなければ、拝し返さないものはない。大夫が国君に進み見える時、国君はその屈尊して来たことを拝謝する。士が大夫に進み見える時、大夫はその屈尊して来たことを拝謝する。同国の人が初めて相見える時、主人は客の屈尊して来たことを拝謝する。国君は士に対しては拝し返さない。もし自分の臣でなければ、拝し返す。大夫は自分の臣に対しては、たとえ身分が低くても、必ず拝し返す。男女は互いに拝し返す。

国君は春の狩猟で沼全体を包囲しない。大夫は群れをなす獣を捕らない。士は子鹿や鳥の卵を捕らない。

年が凶荒で穀物の収穫がない時は、国君の膳食は肺を祭らず、馬は穀物を食べず、馳道は草を除かず、祭祀では楽器を懸けない。大夫は精米を食べず、士は酒を飲む時に音楽を奏でない。

国君に特別な理由がなければ、佩玉を身から離さない。大夫に特別な理由がなければ、懸けた楽器を撤去しない。士に特別な理由がなければ、琴瑟を撤去しない。

士が国君に物品を献上し、過ぎて後日、国君が「どこからこれを得たのか」と問えば、士は再拜叩首してから答える。大夫が私事で国境を出る時は、必ず請う。戻った後は、必ず物品を献上する。士が私事で国境を出る時は、必ず請う。戻った後は、必ず告げる。国君が彼らを慰労すれば、拝謝する。その行き先を問われれば、拝してから答える。

国君が自分の国を去る時、これを止める者は言う。「なぜ社稷を去られるのですか」。大夫が去る時は言う。「なぜ宗廟を去られるのですか」。士が去る時は言う。「なぜ墳墓を去られるのですか」。

国君は国のために死に、大夫は民のために死に、士は職責のために死ぬ。

天下を臨む者を「天子」という。諸侯に朝見し、職務を分け、政事を授け、功ある者を用いる時は、自らを「予一人」と称する。主位に登り、祭祀を主催する時、もし内事であれば「孝王某」と称し、外事であれば「嗣王某」と称する。諸侯に臨み、鬼神に祈る時は「有天王某甫」と称する。亡くなれば「天王崩」と言う。魂を招く時は「天子復」と言う。喪を報せる時は「天王登假」と言う。宗廟に安置し、神主を立てる時は「帝」と称する。天子が喪期を終えていない時は、自らを「予小子」と称する。生きている時は名で呼び、死んだ後も名で呼ぶ。

天子には后、夫人、世婦、嬪、妻、妾がいる。

天子は天官を設け、まず六大の官職、すなわち大宰・大宗・大史・大祝・大士・大卜を置き、六種の典章制度を主管させる。天子の五官、すなわち司徒・司馬・司空・司士・司寇は、五類の民衆を主管する。天子の六府、すなわち司土・司木・司水・司草・司器・司貨は、六種の職能を主管する。天子の六工、すなわち土工・金工・石工・木工・獣工・草工は、六種の材料を主管する。

五官が貢物を進上することを「享」と言う。五官の長を「伯」と言い、一方の諸侯を掌管する。彼らが天子に伝える時は「天子之吏」と言う。天子と同姓の者は「伯父」と言い、異姓の者は「伯舅」と言う。諸侯の前では自らを「天子之老」と言い、外では「公」と言い、自分の国では「君」と言う。九州の長が天子の国に入ることを「牧」と言う。天子と同姓の者は「叔父」と言い、異姓の者は「叔舅」と言う。外では「侯」と言い、自分の国では「君」と言う。東夷・北狄・西戎・南蛮の地では、たとえ国が大きくてもただ「子」と称し、境内では自らを「不穀」と言い、境外では自らを「王老」と言う。多くの遠方の小諸侯は、天子の国に入れば「某人」と言い、外では「子」と言い、自らを「孤」と言う。

天子は屏風に背いて立つ。諸侯は北面して天子に進見することを「覲」と言う。天子は門と屏風の間に立ち、諸公は東面し、諸侯は西面することを「朝」と言う。

諸侯が約束の期日を待たずに相見えることを「遇」と言い、両国の間の空地で相見えることを「会」と言う。諸侯が大夫を他の諸侯の国に派遣して訪問することを「聘」と言い、盟約を結ぶことを「誓」と言い、牲を殺して血を塗ることを「盟」と言う。

諸侯が天子に拝謁する際は、自称して「臣某侯某」と言う。民衆に対しては、自称して「寡人」と言う。喪服期間中は、自称して「適子孤」と言う。祭祀を主宰する場合、内事では「孝子某侯某」、外事では「曾孫某侯某」と称する。死去した場合は「薨」と言い、魂を招く際は「某甫復矣」と言う。埋葬の後、天子に拝謁することを「類見」と言う。諡号を賜るよう請うことを「類」と言う。諸侯が他の諸侯国に使者を派遣する場合、使者は自称して「寡君之老」と言う。

天子の儀容は荘重で深遠であり、諸侯の儀容は顕赫で盛大であり、大夫の儀容は整斉で荘重であり、士の儀容は余裕があって節度があり、庶人の儀容は忙しなく急促である。

天子の配偶者は「后」と呼ばれ、諸侯の配偶者は「夫人」と呼ばれ、大夫の配偶者は「孺人」と呼ばれ、士の配偶者は「婦人」と呼ばれ、庶人の配偶者は「妻」と呼ばれる。公・侯には夫人がおり、世婦がおり、妻がおり、妾がいる。夫人は天子の前では自称して「老婦」と言い、諸侯の前では自称して「寡小君」と言い、自分の夫に対しては自称して「小童」と言う。世婦以下は、自称して「婢子」と言う。子は父母の前では、自分の名を名乗る。他の諸侯国の大夫が天子の国に入る場合は「某士」と呼ばれ、自称して「陪臣某」と言う。国外では「子」と称し、自国では「寡君之老」と称する。使者は自称して「某」と言う。

天子は「出」と言わず、諸侯は生存中はその名を直接呼ばない。君子は悪しき者を親しまない。諸侯が領地を失った場合は、その名を直接呼ぶ。同姓の諸侯を滅ぼした場合は、その名を直接呼ぶ。

臣下としての礼儀としては、公然と諫言しない。幾度も諫言しても聞き入れられなければ、去る。子が父母に仕える場合は、幾度も諫言しても聞き入れられなければ、泣き叫びながら従う。

国君が病気で薬を飲む際は、臣下が先に味見する。父母が病気で薬を飲む際は、子が先に味見する。三代伝わった医者でなければ、その薬を用いない。人を比するには、必ずその類に合わせる。

天子の年齢を問う場合は、答えて「聞くところによれば、始めて衣服を着てから若干尺になります」と言う。国君の年齢を問う場合は、年長であれば「宗廟・社稷の事務を処理できます」と答え、年少であれば「まだ宗廟・社稷の事務を処理できません」と答える。大夫の子の年齢を問う場合は、年長であれば「車を御せます」と答え、年少であれば「まだ車を御せません」と答える。士の子の年齢を問う場合は、年長であれば「賓客の応対を務められます」と答え、年少であれば「まだ賓客の応対を務められません」と答える。庶人の子の年齢を問う場合は、年長であれば「薪をとれます」と答え、年少であれば「まだ薪をとれません」と答える。

国君の富を問う場合は、答える際に土地の面積と山川の産物を列挙する。大夫の富を問う場合は、「封邑があり食禄を供え、祭器・祭服は借りる必要がありません」と答える。士の富を問う場合は、車両の数で答える。庶人の富を問う場合は、家畜の数で答える。

天子は天地を祭祀し、四方を祭祀し、山川を祭祀し、五祀を祭祀し、一年のうちに一度ずつ巡る。諸侯は一方の神を祭祀し、山川を祭祀し、五祀を祭祀し、一年のうちに一度ずつ巡る。大夫は五祀を祭祀し、一年のうちに一度ずつ巡る。士は自分の祖先を祭祀する。

およそ祭祀において、廃止されたものがあれば、敢えて再び行う者はない。行われているものがあれば、敢えて廃止する者はない。祭祀すべき対象でないものを祭祀することを「淫祀」と言う。淫祀は福をもたらさない。

天子は純色の牛を用い、諸侯は肥えた牛を用い、大夫は普通の牛を用い、士は羊と豚を用いる。

嫡子以外の支子は祭祀を主宰しない。もし祭祀しなければならない場合は、必ず先に嫡長子に告げる。

およそ宗廟の祭祀の礼儀では、祭品に特定の名称がある。牛は「一元大武」、豚は「剛鬣」、子豚は「腯肥」、羊は「柔毛」、鶏は「翰音」、狗は「羹献」、雉は「疏趾」、兎は「明視」、干肉は「尹祭」、干魚は「商祭」、鮮魚は「脡祭」、水は「清涤」、酒は「清酌」、黄米は「芗合」、高粱は「芗萁」、粟は「明粢」、稲は「嘉蔬」、韭は「豊本」、塩は「咸鹾」、玉は「嘉玉」、帛は「量幣」と言う。

天子の死去を「崩」と言い、諸侯の死去を「薨」と言い、大夫の死去を「卒」と言い、士の死去を「不禄」と言い、庶人の死去を「死」と言う。人が床の上で死ぬことを「尸」と言い、棺に納めることを「柩」と言う。飛鳥が死ぬことを「降」と言い、四足獣が死ぬことを「漬」と言う。敵に殺されることを「兵」と言う。祖父を祭祀することを「皇祖考」と言い、祖母を祭祀することを「皇祖妣」と言う。父を祭祀することを「皇考」と言い、母を祭祀することを「皇妣」と言う。夫を祭祀することを「皇辟」と言う。生きている間は父・母・妻と呼び、死後は考・妣・嬪と呼ぶ。長寿で天寿を全うすることを「卒」と言い、短命で夭折することを「不禄」と言う。

天子が人を見る時、視線は上は襟を越えず、下は帯を下回らない。国君が人を見る時、視線はやや下げる。大夫が人を見る時、視線は水平にする。士が人を見る時、視線は五歩先を見る。およそ人の視線は、上に顔を越えると傲慢に見え、下に帯を下回ると憂慮に見え、斜めに見ると心術が正しくないと思われる。

国君の命令は、大夫と士は繰り返し学び練習する。官署では官署の事務を語り、府では府の事務を語り、庫では庫の事務を語り、朝廷では朝廷の事務を語る。朝廷での談話は犬馬のことに関わらない。退朝後に振り返って見るのは、異常な事柄がなければ、異常な考えがあるからである。故に退朝後に振り返って見ることを、君子は鄙陋粗暴な行為と見なす。朝廷では礼儀を語り、礼儀を問い、答えるのも礼儀に適うようにする。

盛大な祭祀は吉凶を占わず、また祭品の豊かさを追求しない。

およそ初めて会う際の贈り物は、天子は香酒、諸侯は圭玉、卿は羔羊、大夫は雁、士は雉、庶人は鴨を用いる。童子は贈り物を置いて退下する。野外や軍中では、これらの贈り物がなければ、馬の手綱、射箭の腕当て、矢でもよい。婦人の贈り物は、枳椇、榛子、干肉、肉脯、棗、栗である。

娘を天子のもとに送ることを「備百姓」と言い、国君のもとに送ることを「備酒漿」と言い、大夫のもとに送ることを「備埽洒」と言う。