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五十三篇

尚賢中

第 9 篇

墨子先生が言った。今の王公大人は人民を統治し、社稷を主催し、国家を治め、長く保ち失わないことを望むならば、なぜ尚賢が治国の根本であるかを考察しないのか。どうして尚賢が治国の根本だと知るのか。答えていう。高貴で聡明な者が愚かで卑しい者を治めれば、国はよく治まる。愚かで卑しい者が高貴で聡明な者を治めれば、国は乱れる。ゆえに尚賢が治国の根本だと知る。だから昔の聖王は賢人を非常に尊び、能人を用い、父兄を偏愛せず、富貴をえこひいきせず、美色を寵愛しなかった。賢人は推挙されて抜擢され、富裕で尊貴にされ、官長とされた。不賢な者は抑圧されて廃され、貧しく卑しくされ、僕役とされた。それゆえ百姓は皆賞賜を励みにし、刑罰を恐れ、互いに導き合って賢人となった。こうして賢人は多く不賢な者は少なくなり、これを賢人を進用するという。その後、聖人は彼らの言論を聴き、行動を観察し、能力を考察して慎重に官職を授けた。これを能人を用いるという。ゆえに、国を治めさせることができる者には国を治めさせ、官府の部門を管理させることができる者には官府の部門を管理させ、城邑を治めさせることができる者には城邑を治めさせた。すべて国、官府、城邑を治めるために派遣された者、これらは皆国の賢人である。

賢人が国を治めれば、早朝に出仕し遅く退朝し、訴訟を審理し政事を処理する。ゆえに国はよく治まり刑法は公正である。賢人が官府の部門を管理すれば、夜更けに寝て早朝に起き、関所、市場、山林、湖沼、橋梁の財利を徴収し、官府を充実させる。ゆえに官府は充実し財物は散失しない。賢人が城邑を治めれば、早く出て遅く帰り、穀物を耕作し果木を植え、豆類や穀物を蓄積する。ゆえに豆類や穀物は充足し百姓の食糧は富む。ゆえに国がよく治まり刑法が公正であれば、官府は充実し万民は富裕となる。上では潔く酒や黍稷を備えて上天や鬼神を祭祀し、外では毛皮や絹帛を備えて四方の隣国諸侯と交際し、内では飢えた者に食物を与え、労した者を休ませ、万民を養い、外では天下の賢人を招き寄せる。ゆえに上では上天鬼神が彼を富裕にし、外では諸侯が彼と親しく交わり、内では万民が彼に親しみ、賢人が彼に帰服する。これによって謀事を行えば適切に当たり、事を起こせば成功し、内を守れば堅固であり、外を征伐すれば強い。ゆえに昔の夏商周三代の聖王、堯、舜、禹、湯、文王、武王が天下に王たり、諸侯を匡正できたのも、この法則によるのである。

この法則を得たが、その施行方法を知らなければ、事はなお成功しない。ゆえに必ず三つの根本措置を設けなければならない。三つの根本措置とは何か。答えていう。爵位が高くなければ、百姓は彼を尊敬しない。俸禄が厚くなければ、百姓は彼を信頼しない。政令が専断でなければ、百姓は彼を畏れない。ゆえに昔の聖王は彼らに高い爵位を与え、重い俸禄を与え、政事を委任し、決断権を授けた。これはただ賢臣を賞賜するためだけか。彼らの事業を成功させたいからである。『詩経』に言う。「あなたに憂恤のことを告げ、爵位を授けることを教える。誰か熱いものを手に持ち、冷水で洗わない者があろうか。」これは昔の国君諸侯が自らよく継承し輔佐することを怠ってはならないことを言い、ちょうど熱いものを手に持って水で洗うように、手を休めさせるためである。昔の聖王は賢人を得て用いるや、爵位を頒賜して尊貴にし、土地を分割して封賞し、終身倦むことがなかった。賢人は明君を得て仕えるや、四肢の力を尽くして君主の事務を担い、終身疲れることがなかった。もし善いことがあれば、君主に帰し、ゆえに善は君主に帰し、恨みや誹謗は臣下に帰し、安寧や楽しみは君主に帰し、憂いや悲しみは臣下に帰した。ゆえに昔の聖王が国を治めるのはこのようであった。

今の王公大人も他人に倣って尚賢・用能によって政事を治めようとし、高い爵位を与えるが、俸禄はそれに伴って増やさない。その高い爵位に厚い俸禄が伴わなければ、百姓は信頼しない。彼らは言うだろう。「これは本当に私を愛しているのではなく、私を借りて利用しているだけだ。」と。その借りられた百姓が、どうしてその君主に親しむことができようか。ゆえに先王は言った。「政事に貪る者は、事務を他人に分け与えられない。財物を重んじる者は、俸禄を他人に分け与えられない。」と。事務を分け与えず、俸禄も分け与えなければ、天下の賢人がどうして自ら王公大人の側に来るだろうか。賢人が王公大人の側に来なければ、不肖の者が左右にいることになる。不肖の者が左右にいれば、彼らが称賛するのは真の賢人ではなく、彼らが誹謗するのは真の暴虐者ではない。王公大人がこれらに頼って国を治めれば、賞賜も必ず賢人に与えられず、刑罰も必ず暴虐者に加えられない。もし賞賜が賢人に与えられず、刑罰が暴虐者に加えられなければ、賢人となる者は励みを得ず、暴虐を行う者は阻止されない。ゆえに、内では父母に慈愛・孝行せず、外では郷里に敬愛・謙譲せず、起居に節度なく、出入りに法度なく、男女に区別がない。彼らに官府を管理させれば盗み、城を守らせれば背き、君主に難があれば死なず、君主が逃亡すれば従わない。彼らに訴訟を審理させれば公正でなく、財物を分配させれば平等でない。謀事に参与すれば結果を得られず、事を起こせば成功せず、内を守れば堅固でなく、外を征伐すれば強くない。ゆえに昔の夏商周三代の暴君、桀、紂、幽王、厲王がその国を失い、その社稷を傾けたのも、この原因によるのである。なぜか。すべて小事には明らかだが大事には明らかでないからである。

今の王公大人は、一着の衣服を作ることができなければ、必ず良い工匠を借りる。一頭の牛羊を屠ることができなければ、必ず良い屠者を借りる。ゆえにこの二つの物については、王公大人は皆尚賢・用能によって政事を処理することを知っている。しかし、その国が乱れ社稷が危うい時に至っては、能人を用いて治めることを知らない。親族を用い、無縁無故に富貴で容姿の美しい者を用いる。それら無縁無故に富貴で容姿の美しい者を用いるが、果たして彼らは必ず智慧で才能があるだろうか。もし彼らに国を治めさせれば、これは智慧ない者に国を治めさせることである。国の乱れは、すでに知ることができる。まして王公大人は人の美色を愛して用いるのであり、その内心は智慧を考察せず、寵愛を与える。ゆえに百人を治めることができない者を、千人を治める官位に置く。千人を治めることができない者を、万人を治める官位に置く。これは何故か。答えていう。「官位にある者は爵位が高く俸禄が厚いから、その美色を愛して用いるのである。」と。千人を治めることができない者を、万人を治める官位に置けば、この官位はその能力の十倍である。治める政事は毎日到来し、毎日治めるが、日数は十倍に増えない。智慧で治めるが、智慧も十倍に増えない。与えられる官位は十倍であるから、これは十分の一を治め、十分の九を放棄するのである。たとえ昼夜やまずこの官職を治めても、この官職はまだよく治まらない。これは何故か。王公大人が以尚賢使能為政を明らかにしないからである。ゆえに尚賢・用能によって政事を治めてよく治まるのは、私が言ったようなものである。賢能を軽んじて政事を治めて乱れを生じるのも、私が言ったようなものである。

今の王公大人は、心からその国をよく治め、長く保って失わないことを願っている。なぜ尚賢(賢者を尊ぶこと)が治国の根本であるかを考察しないのか。そもそも尚賢を治国の根本とすることは、ただ我が墨子の言葉にすぎないだろうか。いや、これは聖王の道であり、先王の典籍に記され、古くから伝わる言葉である。古書に言う。「聖明なる君主と知恵ある者を求め、汝自身を助けさせよ。」『湯誓』には言う。「大聖を求め、彼と心を一つにして力を合わせ、天下を治めよ。」これは聖王が尚賢・任能(賢者を尊び能者を用いること)を捨てずに政事を治めたことを示す。ゆえに古代の聖王は慎んで尚賢・任能によって政事を治め、他のものに惑わされることなく、天下の人々は皆そのあるべき地位を得た。昔、舜は歴山で耕し、黄河の辺りで土器を作り、雷沢で魚を捕っていた。尭は服沢の南で彼を得て、天子に推挙し、天下の政事を任せ、天下の民を治めさせた。伊尹(伊摯)は有莘氏の娘の陪嫁の僕であり、自ら料理人を務めた。湯は彼を得て、宰相に推挙し、天下の政事を任せ、天下の民を治めさせた。傅説は粗末な衣服をまとい、縄を帯び、傅岩で壁を築く雇われ仕事をしていた。武丁は彼を得て、三公に推挙し、天下の政事を任せ、天下の民を治めさせた。なぜ彼らは初めは賤しく、ついには尊く、初めは貧しく、ついには富めるようになったのか。それは王公大人が尚賢・任能によって政事を治めることを理解したからである。ゆえに民は飢えても食物を得られず、寒くても衣服を得られず、労しても休息を得られず、乱れても治められないということがなかった。故に古代の聖王はただ慎んで尚賢・任能によって政事を治め、かつ天に法を取ったのである。たとえ天も、貧富・貴賤・遠近・親疎を区別せず、賢者ならば推挙して尊び、不肖ならば抑えて廃したのである。

さて、それでは富貴でありながら賢を行い、天から賞を受けた者は誰か。答えよう。それは昔の夏・商・周三代の聖王、堯・舜・禹・湯・文王・武王である。彼らが賞を受けた理由は何か。答えよう。彼らは天下を治め、広く民を愛し、民に利益をもたらした。また天下の万民を率いて、天を敬い、鬼神に仕え、万民を愛し利することを尊んだ。ゆえに天と鬼神は彼らを賞し、天子に立て、民の父母とし、万民は彼らを称えて聖王と呼び、今日に至るまでやむことがない。これが富貴でありながら賢を行い、賞を受けた者である。

さて、それでは富貴でありながら暴虐を行い、天から罰を受けた者は誰か。答えよう。それは昔の夏・商・周三代の暴君、桀・紂・幽王・厲王である。どうしてそうと知るのか。答えよう。彼らは天下を治め、広く民を憎み、民を害した。また天下の万民を率いて、天を罵り、鬼神を軽んじ、万民を殺し害した。ゆえに天と鬼神は彼らを罰し、自らの身は死に、刑戮に遭い、子孫は散り散りになり、家は絶え、後継ぎなく、万民は彼らを指して暴君と呼び、今日に至るまでやむことがない。これが富貴でありながら暴虐を行い、罰を受けた者である。

さて、それでは親しいながらも不善であり、罰を受けた者は誰か。答えよう。それは昔の伯鯨(鯀)である。彼は帝堯の長子であったが、堯の徳の功業を廃したため、後に羽山の郊外で死に、日光さえも届かず、堯も彼を憐れまなかった。これが親しいながらも不善であり、罰を受けた者である。

それでは天が用いる賢能の者は誰か。答えよう。それは昔の禹・稷・皋陶のような者である。どうしてそれと知るのか。先王の書『呂刑』に言う。「皇帝は明らかに下民を問い、三苗の部族に怨みの言葉があり、言う。『諸侯および位にある者よ、善徳を明らかにして持続せよ。鰥寡孤独を虐げてはならない。徳をもって威とすることこそ真の威、徳をもって明とすることこそ真の明である。』そこで三人の大臣に命じて、民の事を憂えさせた。伯夷は法典を定め、民に刑を知らしめた。禹は水土を治め、山川に名を付けた。稷は農を興し播種に励み、穀物を良く育てた。三人の大臣は成功し、人民に大いに益があった。」これは三人の聖人が、言葉を慎み、行いを戒め、思慮を精微にし、天下の隠れた事柄や遺された利益を求めて天に仕え、天はその徳を用いたことを言う。彼らは下に万民に恵みを施し、万民はその利益を蒙り、終身尽きることがなかった。故に先王は言う。「この道は、広く天下に用いれば狭くならず、小さく用いれば窮せず、長く用いれば万民が利益を蒙り、終身尽きることがない。」『周頌』に言う。「聖人の徳は、天のように高く、地のように広く、天下に明らかである。大地のように堅固で、山のように聳え立ち、裂けず崩れず。日光のように明るく、月光のように皎々と、天地と共に久しい。」これは聖人の徳が明らかで広大であり、堅固で長久であることを言う。ゆえに聖人の徳は、おおむね天と地の美徳を総括している。

今、王公大人が天下を治め、諸侯を正そうとするならば、もし徳義がなければ、何に頼るだろうか。彼らの言い分は必ず強権暴力に頼ることである。今、王公大人はどこから強権暴力を得るのか。ただ人民の生命を虐げることによるのみである。人民にとって、生きることは最大の欲望であり、死ぬことは最も憎むことである。欲望は得られず、憎むことは屡々やって来る。古より今に至るまで、これによって天下を治め、諸侯を正すことができた者はない。今、王公大人が天下を治め、諸侯を正し、その意を天下に実現し、名声を後世に伝えようと願うならば、なぜ尚賢が治国の根本であるかを考察しないのか。これこそ聖人の崇高な徳である。