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三国演義

第十三回 李傕郭汜大交兵 楊奉董承双救駕

第 13 篇

第十三回 李傕郭汜大交兵 楊奉董承双救駕

さて曹操は定陶にて吕布を大敗させ、吕布は海辺にて残兵敗将をかき集め、諸将皆集まり、再び曹操と決戦しようとした。陳宮が言うには「今や曹兵の勢い盛んで、刃向かうべきにあらず。まず安身の地を求め、その後に来るも遅くはございませぬ」。吕布「我、再び袁紹を頼ろうと思うが、如何?」陳宮「先ず人を冀州に遣わし消息を探りて、然る後に行くべし」。吕布その言に従う。

且つ袁紹は冀州に在りて、曹操と吕布の相持するを聞き、謀士審配進み出でて言う「吕布は豺狼虎豹にて候。もし兗州を得ば、必ずや冀州を図り候わん。曹操を助けてこれを攻めしめば、患いなかるべし」。袁紹乃ち顔良に五万の兵を率いしめ、曹操を助けに遣わす。斥候これを知り、飛報して吕布に告ぐ。吕布大いに驚き、陳宮と議す。陳宮「聞くに劉玄徳新たに徐州を領せり。彼を頼むべし」。吕布その言に従い、直ちに徐州へと向かう。

人ありて玄徳に報ず。玄徳「吕布は当世の英雄なり。城外に出でて迎え入れよ」。糜竺「吕布は虎狼の徒にて、迎え入れるべからず。迎え入れれば人を傷つけん」。玄徳「先に吕布が兗州を襲わずんば、どうして徐州の患いを解き得んや。今窮して我に来奔す、どうして異心あらん」。張飛「兄貴は心が良すぎる。とはいえ、準備はせねばなるまい」。

玄徳、人を率いて城外三十里に出で、吕布を迎え、並んで馬を進めて城に入る。州衙の庁上に至り、礼を終えて座す。吕布「我、王司徒と謀り董卓を殺して後、また李傕・郭汜の変に遭い、関東に飄零し、諸侯多くは容れず。近頃曹賊の不仁により徐州を犯すや、使君の力にて陶謙を救うを蒙り、我がために兗州を襲いてその勢いを分かつ。図らざりしに反って奸計に陥り、兵敗れ将折れり。今使君を頼りて来り、共に大事を図らん。尊意如何?」玄徳「陶使君新たに世を去りて、徐州を治むる者なく、故に我をして暫く州事を代わらしむ。今幸いに将軍来りたまう、当に譲るべし」。乃ち牌印を取って吕布に与う。吕布受け取らんとすれば、玄徳の後ろに関羽・張飛、各々怒色あり。吕布乃ち偽りて笑い「我、吕布はただの一勇夫に過ぎず、どうして州牧たるを得んや」。玄徳また譲る。陳宮「『強賓は主を圧せず』、使君疑い給うなかれ」。玄徳乃ち止む。ここに宴を設けて饗し、邸宅を整えて安んじ置く。

翌日、吕布玄徳を招き返す。玄徳、関羽・張飛と共に往く。酒酣なるに及び、吕布玄徳を請いて後堂に入る。関羽・張飛も従いて入る。吕布、妻女をして出で玄徳に拝せしむ。玄徳三たび譲る。吕布「賢弟、推譲することなかれ」。張飛聞き、目を瞋らせて大喝「我が兄貴は金枝玉葉、汝何者ぞ、敢えて我が兄貴を賢弟と称するや!来たれ!我と三百合勝負せん!」玄徳急ぎ叱り止め、関羽張飛を勧めて外に出さしむ。玄徳、吕布に謝して言う「劣弟、酒狂にて妄言を吐き、兄長、怪しみ給うなかれ」。吕布黙然として語らず。やがて席散ず。吕布玄徳を送り門を出づれば、張飛馬に躍り槍を横たえて来たり、大叫「吕布!我と三百合勝負せん!」玄徳急ぎ関羽をして止めしむ。

翌日、吕布来りて玄徳に辞す「使君の嫌わざるを蒙るも、恐らくは令弟たちの容れ給わざる所と為らん。我、別に他処に赴くべし」。玄徳「将軍若し去らば、我が罪大ならん。劣弟の失礼、他日必ず謝罪せしめん。近き小沛は、我が先に兵を屯せし地なり。将軍浅陋を厭わずんば、暫くそこに馬を休め給わんか?糧食軍需は、必ずや我が応ぜん」。吕布玄徳に謝し、自ら兵を領いて小沛に赴き身を安んず。玄徳、自ら張飛を責むることは言うに及ばず。

さて曹操、山東を平定し、表を奏して朝廷に上り、曹操を建徳将軍・費亭侯に加封す。この時、李傕は自ら大司馬と称し、郭汜は自ら大将軍と称し、横暴に振る舞い、朝廷に敢えて言う者なし。太尉楊彪・大司農朱儁、密かに献帝に奏す「今曹操二十余万の兵を擁し、謀臣武将数十員あり。若しこの人を得て社稷を扶持せしめ、奸党を剿除せば、天下の幸甚にて候」。献帝泣きて「朕、両賊に陵せられ久し。若しこれを殺すを得ば、実に大幸なり!」楊彪奏す「臣に一計あり。先ず両賊をして自ら相害せしめ、然る後、詔を下して曹操に兵を領せしめこれを殺さしめ、賊党を掃清し、朝廷を安んぜん」。献帝「計如何に定む?」楊彪「郭汜の妻最も嫉妬深しと聞く。人を郭汜の妻の許に遣わし、反間の計を用うれば、両賊自ら相害せん」。

献帝、乃ち密詔を書きて楊彪に授く。楊彪、密かに其の夫人をして他事を以て郭汜の府中に入らしめ、因りて郭汜の妻に告ぐ「聞くに郭将軍、李司馬の夫人と姦通し、親密なること極まれりと。若し司馬の知る所とならば、必ずや毒手を被らん。夫人、その往来を絶たしむるこそ宜しけれ」。郭汜の妻驚きて「怪しむらくは、彼が終夜家に帰らざるを!かかる恥知らずの事を為すとは!夫人の言に非ずんば、我知らざりき。慎みて防がねばならず」。楊彪の妻辞して家に帰る。郭汜の妻、再三謝して別る。

数日過ぐ、郭汜また李傕の府中に赴き宴飲せんとす。妻曰く「李傕の性は測り難く、且つ今二雄並び立つ能わず。若し彼、酒の上にて毒せんか、我を如何にせん?」郭汜聴かず、妻再三に勧めて止む。夜に及び、李傕人を遣わし酒席を送る。郭汜の妻、密かに酒菜の中に毒を下し、然る後に進む。郭汜将に食らわんとす。妻曰く「食物外より来たる、どうして即ち食らうべけんや」。乃ち先ず狗を以て試すに、狗即ち死す。ここより郭汜心中疑う。

一日朝会終わり、李傕力めて郭汜を請い家に飲宴す。夜に及び席散じ、郭汜酔いて家に帰り、偶々腹痛を患う。妻曰く「必ずや毒中らん!」急ぎ人をして糞汁を灌がしめ、吐きて乃ち安んず。郭汜大いに怒り「我、李傕と共に大事を図るに、今彼、故なくして我を謀らんとす。我先に動かずんば、必ずや其の毒手を被らん」。乃ち密かに本隊の甲兵を整え、李傕を攻めんと欲す。早くも人ありて李傕に報ず。李傕も大いに怒り「郭阿多、よくもかく為すや!」乃ち本隊の甲兵を整え、来たりて郭汜を殺さんとす。城下に混戦し、因りて居民を掠奪す。

李傕の甥李暹、兵を領いて宮院を囲み、二輛の車を以て、一輛は天子を載せ、一輛は伏皇后を載せ、賈詡・左靈をして車駕を監押せしむ。その余の宮人・内侍は、皆徒歩して従う。後宰門を擁して出づるに、正に郭汜の兵到り、乱箭斉しく発し、射死する宮人知るべからず。李傕追撃し、郭汜の兵退き、車駕危ううして城を出づ。言分を容れず、竟に李傕の営中に擁す。郭汜兵を領いて宮に入り、宮嫔・采女をことごとく掠めて営に入れ、火を放ちて宮殿を焼く。翌日、郭汜、李傕の天子を劫せるを知り、兵を領いて営前に至り厮杀す。帝后ともに驚恐す。後人、詩を作りて嘆ずるあり:

光武の中興、漢世を興し、上下相承けて十二帝。

桓霊の無道、宗社堕ち、阉臣の擅権、叔季と為る。

無謀なる何進、三公と作る、社鼠を除かんと欲して奸雄を招く。

豺獺は駆られども虎狼入り、西州の逆豎、淫凶を生ず。

王允の赤心、紅粉に托し、董呂をして矛盾を成さしむ。

渠魁殄滅す、天下寧からんと、誰か知らん李郭の憤りを懐くを。

神州の荆棘、争奈何す、六宮飢饉し、干戈に愁う。

人心既に離れ、天命去り、英雄割拠して山河を分かつ。

後王此を規みて兢業を存せ、金甌を等閑に欠くこと莫れ。

生民糜爛し、肝脳塗れ、剰水残山、怨血多し。

我、遺史を観て悲しみに勝えず、今古茫茫、黍離を嘆く。

人君当に苞桑の戒めを守るべし、太阿誰か持して綱維を全うせん。

さて、郭汜の軍が到着すると、李傕は営を出て迎え撃った。郭汜の軍は不利で、一時退却した。李傕はそこで帝と后の車駕を郿坞に移し、甥の李暹に監視させ、内侍を絶ち、飲食も続かず、侍臣には皆飢えの色があった。帝は人を遣わして李傕に米五斛、牛骨五具を求め、左右に賜ろうとした。李傕は怒って言った。「朝夕に飯を送っているのに、なぜまた別に求めるのか。」そこで腐った肉と古い糧を与えたが、どれも臭くて食べられなかった。帝は罵って言った。「逆賊、よくも私をここまで欺いたな。」侍中の楊彪が急いで奏上した。「李傕は性情残忍でございます。事ここに至っては、陛下はしばらく耐え忍び、その鋒先に触れられませぬよう。」帝はうつむいて言葉もなく、涙が袍袖を濡らした。

突然、左右の侍従が報告した。「一軍あり、刀槍は日に輝き、金鼓の声は天地を震わせ、救いの御車を迎えに参りました。」帝が誰かと尋ねると、それは郭汜であった。帝の心はますます憂いに満ちた。ただ郿坞の外で喊声が大いに起こるのが聞こえた。李傕が兵を率いて郭汜を迎え撃ち、馬鞭で郭汜を指して罵った。「私はお前に厚く遇したのに、なぜ我を謀ろうとするのか。」郭汜が言う。「お前こそ反賊だ。なぜ殺さずにいられようか。」李傕が言う。「私はここで御車を守っている。どうして反賊なのか。」郭汜が言う。「それは御車を脅かしているのだ。どこが守っているのか。」李傕が言う。「多くを語るに及ばぬ。我々二人とも軍士を用いず、ただ自分たちだけで勝敗を決しよう。勝った者が帝を連れて行くがよい。」二人は陣前で組み合って戦った。十合戦っても勝負はつかなかった。そこへ楊彪が馬を駆って来て、大声で叫んだ。「両将軍、しばし手を止められよ。老夫がことさら諸官を招き、お二方の和を講じに参った。」李傕と郭汜はそれぞれ自営に帰った。

楊彪は朱儁と合流し、朝廷の官僚六十余人を率いて、まず郭汜の営中に赴き和を勧めた。郭汜はなんと衆官をことごとく閉じ込めてしまった。衆官が言う。「我々は好意で参ったのに、なぜこのような扱いをするのか。」郭汜が言う。「李傕は天子を脅かす。私だけが公卿を脅かしてはならぬのか。」楊彪が言う。「一人は天子を脅かし、一人は公卿を脅かす。いったい何をしようとするのか。」郭汜は大いに怒り、剣を抜いて楊彪を斬ろうとした。中郎将の楊密が力強く諫めたので、郭汜はようやく楊彪と朱儁を放したが、その他は皆営中に閉じ込めた。楊彪は朱儁に言った。「国の臣として、君主を匡し帝を救うことができず、むなしく天地の間に生きるのみだ。」言い終えると、二人は抱き合って泣き、地に昏倒した。朱儁は家に帰って病を得て死んだ。これより後、李傕と郭汜は毎日のように殺し合い、一連五十余日、死ぬ者は数え切れなかった。

さて、李傕は平生、左道妖邪の術を最も好み、常に女巫に軍中で鼓を打たせ神を降ろさせていた。賈詡はたびたび諫めたが、聞き入れなかった。侍中の楊琦は密かに帝に奏上した。「私は賈詡を見るに、李傕の腹心ではありますが、実は未だに君主を忘れておりませぬ。陛下は彼と謀られるがよろしいでしょう。」ちょうどその時、賈詡が来た。帝はそこで左右を退け、涙を流して賈詡に言った。「そなたは漢朝を憐れみ、我が命を救ってくれるか。」賈詡は地に跪いて言った。「これは元より私の願うところでございます。陛下はしばらくおっしゃらず、私に考えがございます。」帝は涙を拭いて謝した。

しばらくして、李傕が来て、剣を帯びて入った。帝の顔色は土のようであった。李傕は帝に言った。「郭汜は臣の道を守らず、公卿を閉じ込め、陛下を脅かそうとしております。もし私がおりませねば、陛下は既に連れ去られておりましょう。」帝は拱手して謝し、李傕は出て行った。この時、皇甫郦が入って帝に拝した。帝は皇甫郦が能弁であり、かつ李傕と同郷であることを知っていたので、詔を下して彼に両陣営を調停させ和を講じさせようとした。皇甫郦は命を受け、郭汜の営中に行き郭汜を説得した。郭汜が言う。「もし李傕が天子を送り出せば、私は公卿を放そう。」

皇甫郦はすぐに李傕に会いに行き言った。「今、天子は私が西涼人で、あなたと同郷であるゆえに、ことさらに命じて両将軍を和させようとなさいました。郭汜は既に詔を受けております。あなたのご意向はいかがですか。」李傕が言う。「私は呂布を破った大功があり、輔政四年、多くの功績がある。天下の人々は皆知っている。郭亜多はただの盗馬賊に過ぎぬ。よくも勝手に公卿を脅かし、私と対抗しようとは。私は誓って必ず彼を殺す。お前、我が謀略と兵士を見よ。郭亜多に勝るに足るか。」皇甫郦が答えて言う。「そうではございません。昔、有窮の后羿は、自らの射術の巧みさに頼り、禍を顧みず、ついに滅びました。近ごろ董太師の強大さは、あなたが自らご覧になったところです。呂布は彼の恩恵を受けながら、かえって彼を謀り、たちまちのうちにその首は国門に懸かりました。これを見れば、強大さは頼みとするに足らぬことがわかります。将軍は上将の位にあり、斧鉞を手にし符節を仗ち、子孫宗族は皆顕貴の職にあります。国の恩徳は厚くないとは言えませぬ。今、郭亜多は公卿を脅かし、将軍は天子を脅かす。いったいどちらが軽く、どちらが重いのでしょうか。」

李傕は大いに怒り、剣を抜いて叫んだ。「天子がお前を遣わして我を辱めさせるのか。まずお前の首を斬ってやる。」騎都尉の楊奉が諫めて言った。「今、郭汜はまだ除かれておりませぬ。それなのに天の使者を殺せば、郭汜が兵を起こすに名目を得て、諸侯は皆彼を助けましょう。」賈詡も力強く諫めたので、李傕の怒りはようやく少し収まった。賈詡はそこで皇甫郦を押し出した。皇甫郦は大声で叫んだ。「李傕は詔令に従わず、君を弑して自立しようとしている。」侍中の胡邈が急ぎ制止して言った。「そのような言葉を申されるな。身に不利が及びますぞ。」皇甫郦は彼を呵して言った。「胡敬才よ。お前も朝廷の臣でありながら、なぜ反賊に従うのか。『君辱められれば臣は死す』という。我が李傕に殺されようとも、本分である。」罵りやまなかった。帝はこれを聞き、急ぎ皇甫郦を西涼に帰らせた。

さて、李傕の軍は、大半が西涼人で、なお羌兵の助けに頼っていた。ところが皇甫郦が西涼人の間で言い触らした。「李傕は謀反を企てている。これに従う者は賊党となり、後患は浅くない。」西涼人は皇甫郦の言葉を多く信じ、軍心は次第に散り散りになった。李傕は皇甫郦の言葉を聞き、大いに怒り、虎賁の王昌に彼を追わせた。王昌は皇甫郦が忠義の士であることを知り、ついに追わず、ただ報告して言った。「皇甫郦は既に行方知れずでございます。」賈詡はまた密かに羌人に告げて言った。「天子はお前たちが忠義であり、長らく戦いに苦しんでいることを知り、密かに詔して郡に帰らせ、後日重い賞を与えると仰せられた。」羌人はまさに李傕が爵位や賞賜を与えぬことを恨んでいたので、賈詡の言葉に従い、皆兵を率いて去って行った。

賈詡はまた密かに帝に奏上した。「李傕は貪欲で謀略が乏しく、今、兵士は離散し心は怯えております。高官の爵位で誘うのがよろしいでしょう。」帝はそこで詔を下し、李傕を大司馬に封じた。李傕は喜んで言った。「これは女巫が神を降ろして祈った力だ。」そこで女巫に厚く賞を与えたが、軍将には賞を与えなかった。騎都尉の楊奉は大いに怒り、宋果に言った。「我々は生死を顧みず、自ら矢石を冒して功を立てた。その功績が女巫にも及ばぬというのか。」宋果が言う。「なぜこの反賊を殺し、天子を救わないのか。」楊奉が言う。「お前は中軍で火を放って合図とせよ。私は外で兵を率いて応じよう。」二人はその夜二更の時分に事を起こそうと約束した。ところが事が機密を漏らし、誰かが李傕に報告した。李傕は大いに怒り、人を遣わしてまず宋果を捕らえ、殺した。楊奉は外で兵を率いていたが、合図の火を見なかった。李傕自ら兵を率いて出て来て、ちょうど楊奉と出会い、営中で四更まで混戦した。楊奉は勝つことができず、兵を率いて西安に奔った。李傕はこれより軍勢が次第に衰えた。加えて郭汜が常に攻撃して来て、殺される者が多かった。突然、ある者が来て報じた。「張済が大軍を統率し、陝西から来て、両将軍の和を講じようとしております。もし従わぬ者がいれば、兵を率いてこれを攻めると申しております。」李傕はそこで情けを売り、先に人を張済の軍中に遣わして和を講じることを承諾した。郭汜もやむを得ず承諾した。張済は表を上奏し、天子に弘農に行幸あらんことを請うた。帝は喜んで言った。「私は久しく東都に帰りたいと思っていた。今、この機に帰ることができれば、まことに万幸である。」詔を下し、張済を驃騎将軍に封じた。張済は食糧や酒肉を進献し、百官に供給した。郭汜は公卿を営中から放ち出した。李傕は車駕を整えて東行し、もとの数百の御林軍に戟を持たせて護送させた。

鑾駕は新豊を過ぎ、霸陵に至った。その時は正に秋の季節で、秋風が急に吹き起こった。突然、喊声が大いに響き渡り、数百の軍兵が橋の上に来て車駕を阻み、声を荒げて問うた。「来たるは何者か」。侍中の楊琦が馬を拍って橋の上に進み出て言った。「聖駕がここを通られるのだ。誰が敢えて阻むのか」。二人の将が出て来て言った。「我々は郭将軍の命令を奉じ、この橋を守り、奸細を防いでいる。聖駕と言うならば、必ず自ら皇帝にお目通りしなければ、信じることはできぬ」。楊琦が珠簾を高く掲げた。帝が言われた。「朕はここにいる。なぜお前たちは退かぬのか」。諸将は皆、万歳を叫び、両側に分かれた。車駕はようやく通過することができた。

二将は郭汜に報告して言った。「車駕は既に過ぎ去りました」。郭汜が言った。「我は正に張済を欺き、車駕を奪い取って再び郿塢に入れようとしたのだ。お前たちはどうして勝手に放し通したのか」。そこで二将を殺し、兵を起こして追いかけた。車駕が正に華陰県に至った時、背後から喊声が天を震わせ、大声で叫んだ。「車駕よ、しばし止まれ」。帝は泣いて大臣に告げられた。「ようやく狼の巣を離れたかと思えば、また虎の口に遭うとは。どうすればよいのか」。皆は恐れて顔色を変えた。賊軍が次第に迫って来た。ただ鼓の音が一隊聞こえると、山の背後から一将が転じ出で、先頭に一面の大旗が立ち、上に「大汉楊奉」の四字が書かれていた。一千余りの兵を率いて殺して来た。そもそも楊奉は李傕に敗れてから、兵を率いて終南山の麓に駐屯していたが、今、車駕が来ると聞き、特に来て保護したのである。

その時、陣を布いた。郭汜の部将・崔勇が馬を出し、楊奉を罵って反賊と言った。楊奉は大いに怒り、振り返って陣中を見て言った。「公明はどこにいる」。一将が大斧を手に持ち、駿馬に乗って飛び出し、まっすぐに崔勇を取った。両馬が交わり、わずか一合で、崔勇を馬下に斬った。楊奉は勢いに乗じて掩撃し、郭汜の軍は大敗し、二十余里退いた。楊奉はそこで兵を収めて天子に拝謁した。帝は慰労して言われた。「そなたは朕を救った。功績は小さくない」。楊奉は頭を地に打ちつけて拝謝した。帝が言われた。「先ほど賊将を斬った者は誰か」。楊奉はそこでその将を連れて車下に拝させて言った。「この者は河東の楊郡の人であります。姓は徐、名は晃、字は公明と申します」。帝はこれを慰労された。楊奉は車駕を守って華陰に駐屯した。将軍・段煨が衣服と飲食を整えて進献した。その夜、天子は楊奉の営中に宿られた。

郭汜は一敗を喫し、翌日また軍馬を整え、営寨の前にまで殺到した。徐晃が先頭に立ち、馬を出して迎え戦った。郭汜の大軍は四方八方から包み込むように押し寄せ、天子と楊奉を核心に困らせた。正に危急の最中、忽然として東南の方向から喊声が天を震わせ、一員の将が軍隊を率いて馬を駆け、殺して来た。賊兵は続々と敗れ散った。徐晃は勢いに乗じて攻め、郭汜の軍を大いに破った。その人が来て天子に拝謁した。元は国戚の董承であった。帝は泣いて先の事の次第を語られた。董承が言った。「陛下、憂慮なさるには及びませぬ。臣は楊将軍と誓ってこの二賊を斬り、天下を安定させます」。帝は早く東都に向かうよう命じられた。夜を徹して車駕を起こし、進んで弘農へ向かった。

さて、郭汜の敗軍が帰って来ると、ちょうど李傕に出会い、言った。「楊奉、董承が車駕を救って弘農へ向かいました。もし彼らが山東に至り、足場を固めたならば、必ず天下に布告し、諸侯に命じて共に我々を討たせるでしょう。我々の三族は保てますまい」。李傕が言った。「今、張済の軍は長安を占拠している。軽々しく動くことはできぬ。我と汝は機に乗じて兵を一つに合わせ、弘農に行き、漢朝の君主を殺し、天下を平分する。何ができないことがあろうか」。郭汜は喜んで応じた。二人は兵を一つに合わせ、道すがら劫掠し、過ぎる所は奪い尽くした。楊奉、董承は賊兵が遠方から追って来るのを知り、兵を引き返させ、賊と東澗で大戦を展開した。

李傕、郭汜の二人は議して言った。「我々は人多勢で彼らは少ない。ただ混戦を用いて勝つのみだ」。そこで李傕は左に、郭汜は右に、山野一面に湧き出るように押し寄せた。楊奉、董承は両側で死を決して戦い、ようやく皇帝皇后の車駕を守り抜いて出ることができた。百官、宮女、符節、冊書、典籍、すべての御用の品々は、ことごとく捨て去られた。郭汜は軍を率いて弘農に入り掠奪した。董承、楊奉は車駕を守って陝県の北へ逃れ、李傕、郭汜は兵を分けて追いかけて来た。董承、楊奉は一方で人を遣わして李傕、郭汜と講和し、一方で密かに聖旨を下して河東へ行き、急ぎ元の白波軍の統帥・韓暹、李楽、胡才の三処の軍兵を召し寄せて救援に来させた。その李楽もまた山林に嘯き集まる賊寇であり、今や已むを得ずして召し出したのである。三処の軍兵は、天子がその罪を赦し官職を賜うと聞いて、どうして来ないことがあろう。それぞれ営寨を引き払い、本部の軍士を率いて、董承と合流し、共に再び弘農を奪い返そうとした。

その時、李傕、郭汜は至る所で百姓を劫掠し、年老いた者や弱い者は殺し、強い者は軍に補充した。敵に臨む時は民兵を駆り出して前に立て、名付けて「敢死軍」と言い、賊勢は非常に盛んであった。李楽の軍が到着し、渭陽で合流した。郭汜は軍士に命じて衣服や物品を道中に捨てさせた。李楽の軍隊は地面一面の衣服を見て、争って拾い集め、陣列は完全に乱れた。李傕、郭汜の両軍は四方から混戦し、李楽の軍は大敗した。楊奉、董承は支えきれず、車駕を守って北へ逃げ、背後から賊兵が追いかけて来た。李楽が言った。「事は急でございます。天子様は馬にお乗りになり、先にお進みください」。帝が言われた。「朕は百官を棄てて去ることはできぬ」。

皆は泣きながら従った。胡才は乱軍の中で殺された。董承、楊奉は賊兵の追撃が激しいのを見て、天子に車駕を棄て、歩いて黄河の岸辺に行かれるよう願った。李楽らは小舟一隻を見つけて渡し船とした。その時、天気は厳しく寒く、皇帝と皇后はやっとのことで岸辺に辿り着かれた。岸辺は高く、船に下りることができず、後ろから追兵が迫ろうとしていた。楊奉が言った。「馬の手綱を解いて繋ぎ合わせ、皇帝の腰に縛り付け、船へと垂らすことができましょう」。群臣の中に、皇后の兄の伏徳がおり、十数匹の白絹を抱えていた。言った。「私は乱軍の中でこの白絹を拾いました。これを繋ぎ合わせて車駕を引き下ろすことができましょう」。行軍校尉の尚弘が白絹で皇帝と皇后を包み、衆人に命じてまず皇帝を掛けて下ろさせ、ようやく船に下りることができた。李楽は剣を持って船首に立ち、皇后の兄の伏徳は皇后を背負って船中に下りた。岸辺で船に下りられなかった者たちは、争って船の纜を引っ張った。李楽は彼らをことごとく斬り、水中に落とした。皇帝と皇后を渡し終えてから、再び船を出して群臣を渡した。渡ろうと争う者は、皆手指を切り落とされ、哭声が天を震わせた。

河岸を渡り終えた後、皇帝のそばにはわずか十数人しか残っていなかった。楊奉は牛車一辆を見つけ、帝を乗せて大陽へ向かった。食物はなく、夜は瓦屋に宿り、田舎の老人が粗末な飯を進めた。帝は皇后と共にこれを食べられたが、粗くて喉を通り難かった。翌日、詔を下して李楽を征北将軍、韓暹を征東将軍とし、車駕を進めた。二人の大臣がこの地に至り、泣いて車前に叩頭した。太尉の楊彪、太僕の韓融であった。帝と皇后は共に泣かれた。韓融が言った。「李傕、郭汜の二賊は、臣の言葉を非常に信じております。臣は命を懸けてこの二賊に説き、兵を収めさせます。陛下はどうか御身を大切に遊ばせますように」。

韓融が去ると、李楽は帝に楊奉の営寨に暫時休息されるよう請うた。楊彪は帝に安邑県に行かれるよう請うた。車駕が安邑に至ると、高い家がなく、帝と皇后は皆、茅葺きの家に住まわれた。また門を閉めることもできず、周囲に荊棘を挿して屏障とした。帝は大臣と茅葺きの家の下で事を議し、諸将は兵を率いて籬笆の外で守った。李楽らは権を専らにし、百官が少しでも触れると、竟に帝の面前で殴打し罵倒した。故意に濁酒や粗食を帝に送り、帝はやむなく受け入れられた。李楽、韓暹はまた連名で罪人、部曲、巫医、走卒二百余名を保挙奏請し、皆を校尉、御史などの官職に任命した。印を刻む暇がなく、錐で画いたため、全く体裁を成さなかった。

韓融が李傕・郭汜の二賊を婉曲に説得すると、二賊はその言葉に従い、百官と宮女たちを解放した。この年は大飢饉で、民は野草を食べ、餓死者が野原に溢れた。河内太守の張楊は米と肉を献上し、河东太守の王邑は絹の布帛を献上したため、皇帝はようやく少し安らぎを得た。董承と楊奉は協議し、一方で人を遣わして洛陽の宮殿を修繕させ、車駕を東都に返そうとしたが、李楽は従わなかった。董承は李楽に言った:「洛陽は本来、天子が都を置く場所である。安邑は小さな地で、どうして車駕を収められようか?今、車駕を洛陽に返すのが道理である。」李楽は言った:「お前たちが車駕を連れて行くなら、私はここに留まるだけだ。」

そこで董承と楊奉は車駕を奉じて出発した。李楽は密かに人を遣って李傕・郭汜と通じ、共に車駕を襲撃しようとした。董承・楊奉・韓暹はその陰謀を知り、夜のうちに軍士を整え、車駕を護送して箕関へと急いだ。李楽はこれを聞き、李傕・郭汜の軍が到着するのを待たず、自ら本部の人馬を率いて追跡した。四更の頃、箕山のふもとに追いつき、大声で叫んだ:「車駕を止めよ!李傕・郭汜ここにあり!」献帝は肝を冷やし、山上では火の手が四方に上がった。正に:

先には二賊が分かれて二つとなり、今や三賊が合わさって一つとなる。

先には二賊が分かれて二つとなり、今や三賊が合わさって一つとなる。

漢朝の天子が如何にしてこの災難を脱するかは、次回の分解を聞かれよ。