第三十回 官渡に戰い本初敗績す 烏巢を劫ち孟德糧を燒く
第三十回 官渡にて本初敗績す 烏巣を劫ち孟徳糧を焼く
さて袁紹は兵を起こし、官渡へ向かって進発した。夏侯惇が書状を送って急を告げる。曹操は兵七万を起こして迎え撃ちに向かい、荀彧を残して許都を守らせた。紹の兵が出発しようとする時、田豊が獄中から書を上って諫めて言った、「今は静かに守って天時を待つべきで、妄りに大兵を動かしてはなりませぬ。恐らくは不利がありましょう」。逢紀が讒言を進めて言った、「主君は仁義の師を興されました。田豊がどうしてこのような不吉な言葉を申すのでありましょうか」。
袁紹はこれに怒り、田豊を斬ろうとした。多くの官が助命を求めて死刑を免れた。袁紹は恨めしげに言った、「我が曹操を破ったならば、その時に彼の罪を明らかにせん!」。こうして軍を催して進発した。旌旗は野に満ち、刀剣は林の如し。陽武に至り、寨柵を安んじた。沮授が言った、「我が軍は人数こそ多いが、勇猛さは敵軍に及びませぬ。敵軍は精鋭ですが、糧食は我が軍に及びませぬ。敵軍には糧がなく、速戦を利とします。我が軍には糧があり、しばらく緩やかに守るべきでありましょう。もし日を長引かせることができれば、敵軍は戦わずして自ずから敗れましょう」。袁紹は怒って言った、「田豊は我が軍の心を遅らせた。我は帰ったならば必ず彼を斬る。お前がよくもまたそのようなことを言うか!」。左右に命じて沮授を鎖に繋いで軍中に禁じさせた。「我が曹操を破ったならば、田豊と共に罪を問う!」。こうして下令し、大軍七十万を東西南北に周囲に営を安んじ、連絡すること九十余里に及んだ。
間者は虚実を探り知り、官渡に報じた。曹軍は新たに到着し、これを聞いて皆恐れた。曹操は衆謀士と議する。荀攸が言った、「紹の軍は多いとはいえ、恐れるに足りませぬ。我が軍は皆精鋭の士で、一をもって十に当たらぬ者はおりませぬ。ただ速戦を利とするのみ。もし日時を引き延ばせば、糧草が足りず、事は憂うべきものとなりましょう」。曹操が言った、「言うところは正に我が意に適う」。そこで軍将に伝令し、太鼓を打ち喊声を上げて進ませた。紹軍が迎え撃ち、両辺は陣形を整えた。審配は弩手一万人を引き連れ、両翼に伏せ、弓箭手五千人を門旗の内に伏せ、号砲一声と共に斉射するよう約した。
三通の太鼓が終わると、袁紹は金の兜、金の鎧、錦の袍、玉の帯をつけ、馬を立てて陣前に臨んだ。左右には張郃、高覧、韓猛、淳于瓊らの諸将が並ぶ。旌旗と節鉞は、非常に厳然としていた。曹陣の門旗が開くところに、曹操が馬を出す。許褚、張遼、徐晃、李典らが、それぞれ兵器を携え、前後を護衛する。曹操は鞭で袁紹を指して言った、「我は天子の前で、汝を大将軍に推挙した。今なぜ謀反するのか」。袁紹は怒って言った、「汝は名を漢の丞相と託しながら、実は漢の賊である!罪悪は天に極まり、王莽や董卓よりも甚だしい。かえって人を誣いて造反と言うのか!」。曹操が言った、「我は今、詔を奉じて汝を討つ!」。袁紹が言った、「我は衣帯詔を奉じて賊子を討つ!」。
曹操は大いに怒り、張遼を出戦させた。張郃が馬を躍らせて迎え撃つ。二将は四五十合戦い、勝負がつかなかった。曹操はこれを見て、密かに不思議に思った。許褚が刀を振るい馬を縦にして、まっすぐ出て助戦する。高覧が槍を挺して受け止める。四員の将は組み合って戦った。曹操は夏侯惇、曹洪に命じ、それぞれ三千の軍を率い、一斉に彼の陣に衝かせた。審配は曹軍が陣を衝いて来るのを見て、号砲を放たせた。両下から万弩が一斉に放たれ、中軍内の弓箭手が一斉に陣前に押し出て乱射する。曹軍はどうして防ぎ得ようか、南へ急ぎ走った。袁紹は兵を駆って掩殺し、曹軍は大敗し、全て官渡に退いた。袁紹は軍を移して官渡に迫り寨を下した。審配が言った、「今、兵十万を割いて官渡を守らせ、曹操の寨の前に土山を築き、軍士に高みから下の寨を見下ろして弓を射させることができましょう。もし曹操がこれを棄てて去れば、我々がこの隘口を得、許昌は攻め破ることができましょう」。
袁紹はこれに従い、各寨の中から精壮の軍人を選び、鉄鍬や土担を用い、皆で曹操の寨の辺りに来て、土を積み上げて山とした。曹営の内では袁軍が土山を積み上げるのを見て、出て衝撃しようとしたが、審配の弓弩手に咽喉の要路を塞がれ、前進することができなかった。十日以内に、土山五十余座を築き上げ、上に高櫓を立て、弓弩手を分け配ってその上から矢を射させた。曹軍は非常に恐れ、皆矢を遮る盾を頂いて守り防いだ。土山の上で一声梆子の音が響くところ、矢は雨の如く降った。曹軍は皆盾を蒙って地に伏し、袁軍は喊声を上げて笑った。曹操は軍心の慌ただしいのを見て、衆謀士を集めて計を問う。劉曄が進み出て言った、「発石車を造ってこれを破ることができましょう」。曹操は劉曄に車の式を進めさせ、夜を徹して発石車数百乗を造り、営壁の内に分布し、正に土山の上の雲梯に向かい合わせた。弓矢手が矢を射る時を待って、営内で一斉に石車を引き動かし、砲石は空に飛び、上に向かって乱打した。人は逃げ隠れる場所がなく、弓矢手で死ぬ者数知れず。袁軍は皆この車を「霹靂車」と呼んだ。
ここから袁軍は敢えて高みに登って矢を射ようとはしなかった。審配はまた一計を献じる。軍人に命じて鉄鍬で密かに地道を掘らせ、曹営の内に直通させ、これを「掘子軍」と称した。曹兵は袁軍が山の後ろで土坑を掘るのを望み見て、曹操に報告する。曹操はまた劉曄に計を問う。劉曄が言った、「これは袁軍が明を攻められずに暗を攻め、伏道を掘って、地下から営内に通じて入ろうとするものです」。曹操が言った、「どうやって防ぐべきか」。劉曄が言った、「営の周りに長い溝を掘らせれば、彼らの伏道は無用となりましょう」。曹操は夜を徹して軍を差し遣わし溝を掘らせた。袁軍が伏道を溝の辺りまで掘ったが、果たして入ることができず、軍力を空費した。
さて曹操は官渡を守り、八月から九月底に至り、軍力は次第に疲れ果て、糧草の補給が追い付かず、官渡を放棄して許昌に退こうと思った。しかし決断しかね、そこで書状をしたため、人を遣わして許昌の荀彧に問うた。荀彧は返書を送って報告する。書はおおむね次のように言う:
「命を承り進退の疑いを決せしめられました。私は思いますに、袁紹はその全軍を官渡に集め、明公と決勝負せんとしており、明公は極弱をもって極強に当たり、もし制することができなければ、必ずや彼に乗ぜられましょう。これは天下の大いなる関鍵であります。紹の軍は多いとはいえ、用いることができません。明公の神武明哲をもってすれば、どこに行って成功せぬことがありましょう。今、軍実は少ないとはいえ、なお楚・漢が滎陽・成皋にあった時の如きものに及びませぬ。明公は今、地を画して守り、その咽喉を扼して進むことを得させず、情勢が顕れ力が尽きれば、必ず変化がありましょう。これは奇謀を用うる時で、断じて失うべからざるものです。どうか明公、裁奪を願います」。
曹操は書を得て大いに喜び、将士に命じて力を尽くして死守させた。紹軍は約三十余里退き、曹操は将を遣わして営を出て巡哨させた。徐晃の部将史涣が袁軍の間者を捕らえ、縛して徐晃の前に連れて行く。徐晃が軍中の虚実を問う。答えて言う、「やがて大将韓猛が糧を軍前に運んで補給します。まず我らに道を探らせたのです」。徐晃はこの事を曹操に報告する。荀攸が言った、「韓猛はただ匹夫の勇に過ぎませぬ。もし一人を遣わし軽騎数千を率い、半ばから襲撃してその糧草を断てば、紹軍は自ずから乱れましょう」。曹操が言った、「誰が行くべきか」。荀攸が言った、「徐晃を遣わすのがよろしいでしょう」。
曹操はそこで徐晃に部将史涣および所部の兵を率いて先に出発させ、後に張遼、許褚に兵を引かせて接応させた。その夜、韓猛は糧車数千輛を押し、紹の寨に向かって進んだ。まさに行く途中、山谷の内から徐晃、史涣が軍を率いて道を遮り止めた。韓猛は馬を飛ばして戦う。徐晃が受け止めて戦い、史涣は民夫を殺し散らし、火を放って糧車を焼いた。韓猛は支えきれず、馬を回して走り去る。徐晃は軍を催して輜重を焼き尽くした。袁紹の軍中では、西北の方に火の手が上がるのを望み見て、驚き怪しんでいるうちに、敗軍が来て報じる、「糧草が刧かれました」。
袁紹は急いで張郃、高覧を遣わして大路を遮らせたが、正に徐晃が糧を焼いて帰るところに出会った。まさに交戦しようとしたところ、背後から張遼、許褚の軍が到着する。両下から挟み撃ちにし、袁軍を打ち散らし、四将は兵を合わせて一処となり、官渡の寨に帰った。曹操は大いに喜び、重く賞与を加えた。また軍を分けて寨の前に営を結ばせ、犄角の勢いを成した。
さて韓猛の敗軍が営に帰ると、袁紹は大いに怒り、韓猛を斬ろうとした。多くの官が諫めて免れた。審配が言った、「行軍は糧食を重んじます。用心して防がねばなりませぬ。烏巣は糧を屯する場所です。必ずや重兵を以て守らねばなりませぬ」。袁紹が言った、「我が計略は既に定まった。汝は鄴都に帰って糧草を監督し、欠乏せぬようにせよ」。審配は命を受けて去った。袁紹は大将淳于瓊を遣わし、部将の眭元進、韓莒子、呂威璜、趙叡らを督領し、二万人の馬を率いて烏巣を守らせた。その淳于瓊は性格剛烈で酒を好み、軍士の多くは彼を恐れた。烏巣に至った後、終日諸将と集まって酒を飲んだ。
且説曹操軍中糧食耗盡,急に使者を許昌に派遣し、荀彧に火急に糧草を手配させ、夜を徹して前線に送り届けさせようとした。使者は書状を携えて出発したが、三十里も行かぬうちに袁軍に捕らえられ、縛られて謀士の許攸の許へ連行された。許攸は字を子遠といい、若い頃に曹操と友人であったが、この時は袁紹の下で謀士をしていた。使者が携えていた曹操の糧食催促の書状を搜し出し、直ちに袁紹の許に来て言った。「曹操は官渡に兵を駐め、我が軍と相対して久しく、許昌は必ずや空虛でありましょう。もし一軍を分けて夜を徹して許昌を奇襲すれば、許昌は攻め落とせ、曹操も捕らえられましょう。今、曹操の糧食は尽きております。正にこの機会に乗じ、両路から挟撃すべきです。」袁紹が言うには「曹操は詭計が極めて多い。この書状は敵を誘う計略であろう。」許攸が言うには「今、攻め取らねば、後日かえってその害を被りましょう。」
正に話し合っているところへ、突然鄴郡から使者が来て、審配の書状を差し出した。書状には先ず運糧のことを述べ、後に許攸が冀州にいた時、民間の財物を濫りに収め、しかも子や甥の輩に税金や糧米を多く徴収して私腹に入れるのを放任し、今やその子や甥を捕らえて獄に下したと記されていた。袁紹は書状を見て大いに怒り、「濫行無徳の匹夫め!よくも面の皮を張って我が前に計を献じたものだ!お前は曹操と旧交がある。きっと今も彼から金銭の賄賂を受け取り、彼のために間者となり、我が軍を欺こうとしているのだろう!本来なら斬首に処すべきだが、今はひとまずお前の首を預けておく!早々に退き、以後は面会を許さぬ!」と言った。
許攸は出て来ると、天を仰いで長嘆し、「忠言は耳に逆らう。小童は共に謀るに足らぬ!我が子や甥は既に審配の毒手に遭った。我に何の面目あって再び冀州の人々に会えようか!」と言い、剣を抜いて自害しようとした。左右が剣を奪い取り、諫めて言った。「あなたは何ゆえ斯くも軽く命を絶たれようとされるのです?袁紹は直言を用いず、後日必ず曹操に捕らえられましょう。あなたは既に曹公と旧交がおありです。どうして暗を棄てて明に投ぜられぬのですか?」この二言が許攸を目覚めさせた。そこで許攸は直ちに曹操の許に奔った。後人、詩を作って嘆じた。
本初豪気蓋中華 官渡相持枉嘆嗟 若使許攸謀見用 山河豈得属曹家
さて許攸はこっそりと陣営を出て、直ちに曹営に奔ったが、伏兵の巡路の兵に捕らえられた。許攸が言うには「我は曹丞相の旧友である。早く我がために通報せよ。南陽の許攸が来て見えると。」軍士は急いで寨中に報じた。時に曹操は衣を解いて休息していたが、許攸が私かに寨に奔って来たと聞き、大喜びし、鞋を履く暇もなく、裸足で出迎えた。遠くに許攸の姿を望み見ると、手を叩いて喜び笑い、手を携えて共に入り、曹操は先ず地に跪拝した。許攸は慌てて扶け起こして言った。「あなたは漢朝の丞相、我は平民の身。何ゆえ斯くも謙遜されるのです?」曹操が言うには「あなたは我が旧友。どうして名位や爵禄をもって高低を論ずるに忍びましょう!」許攸が言うには「我は明主を選ぶ能わず、袁紹に身を屈し、言を用いられず、計に従われず、今、特に彼を離れて故人に見えに参りました。願わくはあなたが我を収め入れ給わんことを。」曹操が言うには「子遠が来てくださるなら、我が事は成った。願わくは直ちに我に袁紹を破る計を教え給え。」許攸が言うには「我は曾て袁紹に軽騎を用いて虚に乗じ許都を襲い、首尾を挟撃するよう教えました。」曹操は大いに驚き、「もし袁紹があなたの計を用いたなら、我が事は敗れていたでしょう。」許攸が言うには「あなたは今、軍中の糧食はなお幾ばくか有るのですか?」曹操が言うには「一年は支えられよう。」許攸は笑って言うには「恐らくはそうではありますまい。」曹操が言うには「半年ばかりである。」
許攸は袖を払って立ち上がり、早足で帳外に出ようとし、「我は誠心をもって投じたのに、あなたは斯くも我を欺く。どうして我が望む所であろうか!」と言った。曹操は引き留めて言うには「子遠、怒るな。なお我に実情を言わせてくれ。軍中の糧食は実は三月ばかり支えられる。」許攸は笑って言うには「世の人は皆、孟德は姦雄であると言うが、今や誠にその通りだ。」曹操も笑って言うには「兵は詐を厭わぬと聞かぬか?」そこで耳に寄せて小声で言うには「軍中にはただ今月分の糧食しか無い。」許攸は大声で言うには「我を欺くな。糧食は既に尽きている!」曹操は驚いて問うには「どうして知ったのか?」許攸はそこで曹操が荀彧に与えた書状を取り出して見せ、「この書状は誰が書いたものか?」曹操は驚いて問うには「どこから得たのか?」許攸は使者を捕らえた次第を告げた。曹操は彼の手を握って言うには「子遠が既に旧交を念って来られたからには、願わくは直ちに我に計を教え給え。」許攸が言うには「明公は孤軍をもって大敵に当たり、速勝の方法を求められぬ。これは自ら死路に就くものです。我に一計あり、三日を出でずして、袁紹の百万の衆を、戦わずして自ら破らしめましょう。明公はなお聞くことを肯んじられますか?」曹操は喜んで言うには「良策を聞くことを願う。」許攸が言うには「袁紹の軍糧・輜重は、全て烏巣に積み重ねられており、今、淳于瓊に守らせています。淳于瓊は酒を好み備え無し。あなたは精兵を選び、袁将の蔣奇が兵を領してそこに糧を護りに来たと偽り、機に乗じてその糧草・輜重を焼き払うなら、袁紹の軍は三日を出でずして自ら乱れましょう。」曹操は大いに喜び、厚く許攸をもてなし、寨中に留めた。
翌日、曹操は自ら馬歩軍士五千人を選び、烏巣に赴いて糧を刧ろうと準備した。張遼が言うには「袁紹が糧を屯する場所に、どうして備えが無いことがありましょう?丞相は軽々しく赴かれるべきではありますまい。恐らくは許攸に詐りが有るのでは。」曹操が言うには「違う。許攸が今回来たのは、天が袁紹を敗らせようとする所以だ。今、我が軍は糧食が足らず、持久は難しい。もし許攸の計を用いねば、坐して困を待つに等しい。彼に詐りが有れば、どうして我が寨中に留まることを肯んじようか?それに我も以前から寨を刧ろうと思っていた。今、糧を刧るの挙は、計は必ず行うに在り。あなたは疑うなかれ。」張遼が言うには「また袁紹が虚に乗じて来襲するのを備えねばなりません。」曹操は笑って言うには「我は既に計画は周到に整えてある。」そこで荀攸、賈詡、曹洪に許攸と共に大寨を守らせ、夏侯惇、夏侯淵に一軍を領させて左に伏兵し、曹仁、李典に一軍を領させて右に伏兵し、不測に備えさせた。張遼、許褚を前とし、徐晃、于禁を後とし、曹操自ら諸将を率いて中に在り、合わせて五千の兵馬、袁軍の旗号を掲げ、軍士は皆、柴草を束ね、乾柴を背負い、人は枚を銜え、馬は口を勒め、黄昏の時分、烏巣に向かって出発した。その夜は星の光が満天であった。
さて沮授は袁紹に軍中に拘禁されていたが、その夜、多くの星が明るく輝くのを見て、看守の者に命じて庭中に連れ出させ、仰いで天象を観た。忽然として太白星が逆行し、牛宿・斗宿の分野を犯すのを見て、大いに驚き、「禍事が来たる!」と言い、夜を徹して袁紹に面会を求めた。時に袁紹は既に酔って臥せっていたが、沮授に密事の報告があると聞き、彼を呼び入れて問うた。沮授が言うには「先ほど天象を観ましたところ、太白星が柳宿・鬼宿の間を逆行し、流光が牛宿・斗宿の分野に射し入っております。恐らくは賊兵が刧掠する禍いが有りましょう。烏巣は糧を屯する場所、備え無きを許すべからず。速やかに精兵・猛将を遣わし、小道・山路に巡邏・哨探させ、曹操の計略にかからぬようにせねばなりませぬ。」袁紹は怒り叱って言うには「お前は罪を得た身の上、どうして妄りに言を発して人を惑わすのか!」そこで看守の者を叱って言うには「我はお前にお前を拘禁せよと命じたのに、どうして放ち出したのか!」そこで看守を斬らせ、別の者に代えて沮授を監押させた。沮授は出て来ると、涙を掩いて嘆息し、「我が軍の危亡は旦夕に迫る。我が尸骨はどこに落ちるか知れぬ!」と言った。後人、詩を作って嘆じた。
逆耳忠言反見仇 独夫袁紹少機謀 烏巣糧尽根基抜 猶欲区区守冀州
さて曹操は兵を率いて夜行し、前方に袁紹の他の営寨があった。寨兵がどこの軍馬かと問うと、曹操は人に答えさせて言った:「蒋奇が命を受けて烏巣に護糧に向かうところだ。」袁軍は自軍の旗印を見て疑わなかった。幾つかの場所を通り過ぎる間、いずれも蒋奇の兵と偽って妨げられることはなかった。烏巣に着いた時には、四更(午前1時~3時)が過ぎていた。曹操は軍士に柴草を四方に点火させ、諸将校は鼓を打ち喊声を挙げて直ちに突入した。その時、淳于琼は諸将と酒を飲み、酔って帳中に臥せっていた。鼓噪の声を聞いて慌てて跳ね起き、「何故騒ぐのか」と問うたが、言い終わらぬうちに早くも挠鉤(とっこう)に引き倒された。眭元進と趙叡は糧運から帰ったばかりで、屯に火の手が上がるのを見て急いで救いに向かった。曹軍は急報を曹操に伝え、「賊兵が背後におります。どうか兵を分けて防いでください」と言った。曹操は大喝して言った:「諸将はただ奮力して前進せよ。賊兵が背後に来てから、ようやく振り返って迎え撃て!」そこで衆軍将は争うようにして掩殺(おおい討ち)した。一瞬のうちに、火焰は四方に上がり、煙霧は空を覆った。眭、趙の二将が兵を駆って救いに来ると、曹操は馬を勒めて戦いを返した。二将は支えきれず、いずれも曹軍に殺され、糧草は全て焼き尽くされた。淳于琼は捕らえられて曹操の前に引き出された。曹操は彼の耳、鼻、指を切り落とし、馬に縛り付けて袁紹の営中に放り返し、辱めた。
さて袁紹は帳中にいて、正北の方向に火の光が空を満たすとの報告を聞き、烏巣が失われたことを知った。急いで出帳し文武官員を集め、兵を派遣して救援することを議した。張郃が言った:「私と高覽が共に救援に参りましょう。」郭図が言った:「それはなりませぬ。曹軍が糧を刧(おか)すなら、曹操は必ず自ら出向くでしょう。曹操が自ら出馬すれば、営寨は必ずや空虚となります。兵を派遣して先ず曹操の営寨を攻めるべきです。曹操がこれを聞けば、必ずや速やかに戻るでしょう。これは孫臏の『囲魏救趙』の計略です。」張郃が言った:「違います。曹操は多謀、外出すれば必ず内部に備えを置き、不測に備えます。今、曹操の営寨を攻めて成功せず、淳于琼らが捕らえられれば、我々も皆捕らえられるでしょう。」郭図が言った:「曹操は糧刧に夢中で、どうして営中に兵を残しておきましょうか。」再三、曹営を刧(おか)すよう求めた。袁紹はそこで張郃、高覽に兵五千を率いさせ、官渡に向かって曹営を攻めさせた。蒋奇に兵一万を率いさせ、烏巣の救援に向かわせた。
且つまた曹操は淳于琼の部下の兵を打ち散らし、その全ての衣甲旗幟を奪い、淳于琼の敗残兵に扮して寨に戻った。山の僻道を行くうち、ちょうど蒋奇の軍に遭った。蒋奇の兵が問うと、彼らは自ら烏巣からの敗残兵と名乗った。蒋奇はそこで疑わず、馬を促してそのまま通り過ぎた。張遼、許褚が突然に襲いかかり、大喝して言った:「蒋奇、逃げるな!」蒋奇は不意を衝かれ、張遼に馬下に斬られた。蒋奇の兵も皆殺しにされた。また人を遣わして先に偽りの報告をさせた:「蒋奇は自ら烏巣の兵を打ち散らしました。」袁紹はそこで烏巣への救援を送るのを止め、ただ官渡への増兵のみを行った。
さて張郃、高覽が曹営を攻めると、左から夏侯惇、右から曹仁、中路から曹洪が一斉に衝き出て、三面から挟撃し、袁軍は大敗した。救援の兵が到着するのを待つ間にも、曹操が背後から殺到し、四方から包囲して掩殺した。張郃、高覽は道を奪って逃走した。袁紹は烏巣からの敗残兵を収容して寨に帰り、淳于琼が耳鼻を失い、手足も全て切り落とされているのを見た。袁紹が問うた:「どうして烏巣を失ったのか。」敗兵が報告した:「淳于琼は酔って臥せり醒めず、そのため防ぎきれませんでした。」
袁紹は大いに怒り、直ちに淳于琼を斬った。郭図は張郃、高覽が寨に帰って是非を対質するのを恐れ、先に袁紹の前で讒言した:「張郃、高覽は主君が兵敗れたのを見て、心中必ずや密かに喜んでおりましょう。」袁紹が言った:「何故そのようなことを言うのか。」郭図が言った:「二人はかねてより曹操に投降する心を持っておりました。今、彼らに曹営を攻めさせたところ、故意に力を尽くさず、兵を損耗させたのです。」袁紹は大いに怒り、そこで使者を急派して二人を召し、寨に帰らせて罪を問おうとした。郭図は先に人をやって二人に報告させた:「主君はまさにあなた方を殺そうとしておられます。」袁紹の使者が到着すると、高覽が問うた:「主君が我々を呼び戻すのは何のためか。」使者が言った:「何の故か知りませぬ。」高覽はそこで剣を抜いて来使を斬った。張郃は大いに驚いた。高覽が言った:「袁紹は讒言を信じ、必ずや曹操に擒にされるでしょう。我々はどうして座して死を待つことができましょうか。曹操の許に奔るに如くはありません。」張郃が言った:「私もこの心、久しく持っておりました。」
そこで二人は本軍を率いて、曹操の寨中に赴き投降した。夏侯惇が言った:「張郃、高覽の二人が降って来ましたが、真偽は分かりませぬ。」曹操が言った:「私は恩義をもって彼らに接すれば、たとえ異心があっても、変えることができよう。」そこで営門を開けて二人を入れた。二人は戈を倒し甲を脱ぎ、伏して拝した。曹操が言った:「もし袁紹が二位の将軍の言を肯んじていたなら、敗れるには至らなかったでしょう。今、二位の将軍が来奔されたのは、微子が殷を去り、韓信が漢に帰したようなものです。」そこで張郃を偏将軍・都亭侯に封じ、高覽を偏将軍・東萊侯に封じた。二人は大いに喜んだ。
さて袁紹は許攸を失い、また張郃、高覽を失い、また烏巣の糧草を失い、軍心は惶惶(こうこう)とした。許攸はまた曹操に火速に進兵するよう勧め、張郃、高覽は先鋒を願い出て、曹操はこれに従った。ただちに張郃、高覽に兵を命じて袁紹の営寨を刧(おか)させた。その夜三更の時分、三路に出兵して寨を刧した。混戦して夜明けに及び、各自兵を収めたが、袁紹の軍は大半を失った。荀攸が計を献じた:「今、人馬を調撥すると揚言し、一路は酸棗を取って鄴郡を攻め、一路は黎陽を取って袁兵の帰路を断つとしましょう。袁紹が聞けば、必ずや驚き慌て、兵を分けて我々を防ぐでしょう。我々はその兵を動かす隙に乗じて攻めれば、袁紹を破ることができます。」
曹操はその計を用い、大小三軍に命じて四方に揚言させた。袁紹軍はこの消息を聞き、寨中に来て報告した:「曹操は兵を二路に分けました。一路は鄴郡を取り、一路は黎陽を取ろうとしています。」袁紹は大いに驚き、急いで袁尚に兵五万を分けて鄴郡を救わせ、辛明に兵五万を分けて黎陽を救わせ、夜を徹して出発させた。曹操は袁紹の兵が動かされたことを探知し、そこで大隊の軍馬を分派し、八路が斉しく出て、直ちに袁紹の営寨に衝撃した。袁軍はみな戦意を失い、四方に奔逃し、ここに大潰敗した。袁紹は鎧を着る暇もなく、単衣に頭巾だけの姿で馬に乗り、長子の袁譚が後に従った。張遼、許褚、徐晃、于禁の四将が軍を率いて袁紹を追った。袁紹は急いで河を渡り、全ての図書、車仗、金帛を棄て、ただ随行の八百余騎を連れて逃走した。
曹軍は追いつけず、遺棄された物を全て鹵獲した。殺された者は八万余人、血は溝と成り、溺死した者は数えきれなかった。曹操は大いに勝ちを得、得た金銀財宝・絹布を軍士に賞与した。図書の中から一束の書簡を検出したが、これらは全て許都及び軍中の者たちが袁紹と密かに通じていた手紙であった。左右の者が言った:「一つ一つ姓名を照合し、捕らえて殺すべきです。」曹操が言った:「袁紹が強盛だった時、私自身すら自らを保つことができなかった。ましてや他人はなおさらだ。」そこで全て焼き捨てるよう命じ、もはや追究しなかった。
さて袁紹は敗走したが、沮授は囚われの身であったため、急ぎ逃げることができず、曹軍に捕らえられて曹操の前に引き出された。曹操はかねてより沮授と知り合いであった。沮授は曹操を見ると、大声で叫んだ:「沮授は投降せぬ!」曹操が言った:「本初は謀略がなく、あなたの言を聴かなかった。なぜあなたはなおも迷いを悟らぬのか。私がもし早くあなたを得ていたなら、天下も憂うるに足らなかっただろう。」そこで厚く遇し、軍中に留めた。しかし沮授は営中で馬を盗み、袁氏の許に逃げ帰ろうとした。曹操は怒り、ついに彼を殺した。沮授は死に臨んでも神色変わらず。曹操は嘆息して言った:「私は誤って忠義の士を殺してしまった!」厚い礼をもって殯斂(ひんれん)し、黄河の渡し場に塚を築いて葬り、墓碑に題して「忠烈沮君之墓」と書くよう命じた。後に人が詩を作ってこれを讃えた:
河北に多くの名士あり、忠貞は沮君を推す。
凝眸して陣法を知り、仰面して天文を識る。
死に至るまで心は鉄の如く、危うきに臨んで気は雲の如し。
曹公は義烈を欽み、特に孤塚を建てたり。
曹操は冀州を攻めるよう命じた。正に:
勢弱きは多算の勝つが故のみ、兵強きも寡謀の故に亡ぶ。
勝敗如何なるかは未だ知れず、且く下文の分解を看よ。
