第八十六回 難張温秦宓逞天辯 破曹丕徐盛用火攻
第八十六回 張温を難せしむるに秦宓天弁を逞しくす 曹丕を破るに徐盛火攻を用う
さて東吳の陸逊、魏兵を撃退してよりこのかた、吳王孫権、陸逊を拜して輔国将軍・江陵侯となし、荊州牧を兼任せしむ。ここにおいて軍権ことごとく陸逊に帰す。張昭・顧雍、吳王に啓奏して、年号を改むることを請う。孫権これに従い、ここに年号を改めて黄武元年とす。俄かに魏主曹丕、使者を遣わして到る由を報ずる者あり。孫権使者を召見す。使者陳べて曰く「蜀国先に人を魏国に遣わして救援を求め、魏国一時事情を明らかにせざるにより、兵を発して応ぜり。今は深く後悔し、四路の兵馬を起こして蜀川を攻め取らんと欲す。東吳は来りて接応すべし。蜀地を得なば、各々その半を分かたん」と。孫権この言を聞きて、決断する能わず。ここに張昭・顧雍らに問う。張昭曰く「陸伯言は極めて高見あり。彼に問うべし」と。孫権即座に陸逊を召見す。陸逊至り、奏して曰く「曹丕中原に坐鎮し、急に図るべからず。今もし従わずんば、必ず仇敵と為らん。我魏国と吳国と、いずれも諸葛亮の敵手にあらざるを料る。今は姑く強いて応諾し、軍旅を整え準備し、ただ四路の兵馬いかが動くかを探らん。もし四路の兵馬勝ちを取らば、蜀中危急にして、諸葛亮首尾救うに遑あらず。主上兵を発してこれに応じ、先ず成都を攻め取るは、上策なり。もし四路の兵馬敗れなば、更に別に議せん」と。孫権従い、ここに魏国の使者に謂いて曰く「軍需の物資、いまだ整わず。日を選びて当に起程すべし」と。使者拝辞して去る。
孫権人をして探らしむるに、西番の兵馬西平関を出で、馬超を見て戦わず自ら退く。南蛮孟獲兵を起こして四郡を攻むるも、みな魏延の疑兵の計を用いて殺し退け、洞裡に還せり。上庸の孟達の兵馬、半途に行き到りて、俄かに病を得て進む能わず。曹真の兵馬陽平関を出で、趙子龍諸所の険要の通道を拒守す。果たして一将関を守れば、万夫も開く能わず。曹真斜谷道に屯兵すれども、勝ちを得ずして還る。孫権この消息を知り、ここに文武の官に謂いて曰く「陸伯言は真に神機妙算なり。我もし軽挙せば、又西蜀に怨みを結ぶことならん」と。俄かに西蜀鄧芝を遣わして到る由を報ずる者あり。張昭曰く「これまた諸葛亮の兵を退くる計なり。鄧芝を遣わして説客と為さんとす」と。孫権曰く「何をもってこれに答うべきか」と。張昭曰く「先ず殿前に大鼎を立て、数百斤の油を貯え、下に炭火を焼かしむ。油の沸騰するを待ち、身長体大の武士一千人を選びて、各々刀を手にせしめ、宮門より殿上に至るまで排列し、然る後鄧芝を召して入見せしむ。この人の口を開き辞を説くを待たずして、郦食其の齊王を遊説しし旧事を用い、この例に倣いて烹殺し、この人いかに対答するかを見ん」と。孫権その言に従い、ここに油鼎を立て、武士をして左右に立ち、各々兵器を執らしめ、鄧芝を召し入る。鄧芝衣冠を整え入る。宮門に至れば、両行の武士、威風凛凛として、各々鋼刀・大斧・長劍・短戟を執り、殿前に至るまで排列す。鄧芝その意を知るも、畏懼の色なく、昂然として胸を挺て入る。殿前に至れば、又大鼎の裡に熱油の沸騰するを見る。左右の武士目を以てこれを視る。鄧芝ただ微微一笑す。近臣珠簾の前に導く、鄧芝長揖して拝せず。孫権珠簾を巻くを命じ、大声に喝して曰く「何ぞ拝せざる!」と。鄧芝昂然として答えて曰く「上国の使者、小邦の君主を拝せず」と。孫権大いに怒りて曰く「汝自ら量らず、三寸の舌を弄し、郦生の齊王を游説せしを効さんと欲するか。速やかに油鼎に入るべし」と。鄧芝大笑して曰く「人は皆東吳に賢能の士多しと謂うに、誰か想わんや竟に一儒生を畏るることを!」と。孫権怒りを転じて曰く「我何ぞ一匹夫を畏るるや」と。鄧芝曰く「既に鄧伯苗を畏れずんば、何ぞ我が来たりて説くを憂うるや」と。孫権曰く「汝諸葛亮の為に説客と為り、来たりて我をして魏と絶ち蜀に帰せしめんと欲するか。是か非か」と。鄧芝曰く「我蜀中の一儒生にして、特に吳国の利害の為に来たるなり。而るに汝ら兵士を設け油鼎を陳ね、以て一使者を拒む。何ぞ気量の窄くして人を容るる能わざるや」と。孫権この言を聞き惶愧し、即座に武士を喝し退け、鄧芝をして殿上に上らしめ、坐を賜いて問いて曰く「吳と魏との利害はいかが。願わくは先生教えよ」と。鄧芝曰く「大王蜀と和せんと欲するか、将た魏と和せんと欲するか」と。孫権曰く「我正に蜀主と和せんと欲す。但だ恐るらくは蜀主年若くして見識浅く、終始ある能わざらんことを」と。鄧芝曰く「大王は当世の英豪、諸葛亮も亦一時の俊傑なり。蜀国には山川の険あり、吳国には三江の固あり。両国もし連和し、唇歯と為らば、進みては天下を兼併し呑並し、退きては鼎足の勢を為さん。今大王もし幣を献じて魏に臣と称せば、魏必ず大王の朝見を望み、太子をして内侍と為らんことを求めん。もし従わずんば兵を発して来攻め、蜀も亦順流して下り進取せん。かくの如くせば、江南の地、復た大王の有する所にあらざらん。もし大王我が言を以て非とせば、我大王の前に於いて即ち死し、以て説客の名を絶たん」と言い終り、衣を撩げて殿階を下り、油鼎に向かいて将に跳び込まんとす。孫権急に命じてこれを阻止せしめ、後殿に入らしめ、上賓の礼を以てこれを持す。孫権曰く「先生の言、正に我が心に合す。我今蜀主と連和せんと欲す。先生肯て我が為に紹介と為らんか」と。鄧芝曰く「先に小臣を烹殺せんと欲せしは、大王なり。今小臣を用いんと欲するも、亦大王なり。大王尚お猶豫して定まらず、焉んぞ人に信を取らん」と。孫権曰く「我が主意已に定まる。先生疑うことなかれ」と。
ここに吳王孫権鄧芝を留め、衆官を召集して問いて曰く「我江南八十一州を掌り、尚お荊楚の地を有す。反って西蜀の偏僻の地に如かず。蜀国には鄧芝ありて、その君を辱めず。吳国には一人も蜀に入り、我が心意を伝うる者なし」と。忽ち一人班を出でて啓奏して曰く「臣願わくは使者と為らん」と。衆これを視るに、吳郡吳県の人なり。姓は張、名は温、字は惠恕、現任中郎将。孫権曰く「恐らくは汝蜀に至り諸葛亮に見ゆるも、我が情意を伝うる能わざらん」と。張温曰く「孔明も亦人に過ぎず。我何をか畏れん」と。孫権大いに喜び、重ねて張温に賞賜し、鄧芝と同く蜀に入り通好せしむ。
さて孔明、鄧芝の去りし後、後主に奏して曰く「鄧芝の今回の行き、事必ず成らん。吳地多く賢能の士あり、必ず人来たりて答礼せん。陛下礼を以てこれを持し、吳国に還らしめ、以て盟好を通ずべし。吳国もし通好せば、魏国必ず敢えて兵を蜀に加うることあらじ。吳・魏安定平静の後、臣将に南方を征討し、蛮夷の地を平定し、然る後魏国を図らん。魏国弱らば、則ち東吳も久しく存すべからず。統一の基業を復するを得ん」と。後主是なりと謂う。
俄かに東吳張温を遣わし、鄧芝と共に川に入り答礼すと報ずる者あり。後主文武の官を丹墀に集め、鄧芝・張温を入らしむ。張温自ら志を得たりと為し、昂然として殿に上り、後主を見て礼を施す。後主錦墩を賜い、殿左に坐せしめ、御宴を設けてこれを持す。後主ただ恭敬礼遇するのみ。宴終り、百官張温を館舍に送る。翌日、孔明宴を設けて款待す。孔明張温に謂いて曰く「先帝在世の時、吳国と和睦ならず。今已に崩御す。当今の主上、深く吳王に慕い、旧怨を捐て、永く盟好を結び、力を合わせて魏国を破らんと欲す。願わくは大夫善く言を回奏せよ」と。張温命を受け諾す。酒酣なるに及び、張温喜笑自若として、頗る傲慢の意あり。
翌日、後主は張温に金銀や絹織物を賜い、城南の郵亭に宴を設け、百官に送らせた。孔明は熱心に酒を勧めた。酒盛りの最中、突然一人の男が酔った様子で入って来て、昂然と長揖し、席に着いた。張温は怪しみ、孔明に問うた。「これは何者か?」孔明が答えた。「姓は秦、名は宓、字は子勅。現在、益州の学士を務めております。」張温は笑って言った。「学士という名なら、その胸中に学んだ事理があるのかどうか。」秦宓は正色して言った。「蜀中の三尺の童子でさえ、皆学んでおります。況や我におやまして。」張温が言った。「試しに、お前が学んだものを言ってみよ。」秦宓は答えた。「上は天文より、下は地理に至るまで、三教九流、諸子百家、全てに通じております。古今の興廃、聖賢の経伝、全て読まぬものはありません。」張温は笑って言った。「大言壮語を吐いたからには、天のことをお前に問おう。天に頭があるか?」秦宓が言った。「あります。」張温が言った。「頭はどこにある?」秦宓が言った。「西方にあります。『詩経』に『乃ち眷みて西を顧みる』とあります。これによって推せば、頭は西方にあります。」張温がまた問うた。「天に耳があるか?」秦宓は答えた。「天は高きに在りて低きを聴く。『詩経』に『鶴は九皐に鳴き、声は天に聞こゆ』とあります。耳無くして、どうして聴けましょうか?」張温がまた問うた。「天に足があるか?」秦宓が言った。「あります。『詩経』に『天歩は艱難なり』とあります。足無くして、どうして歩けましょうか?」張温がまた問うた。「天に姓があるか?」秦宓が言った。「どうして姓が無いことがありましょう!」張温が言った。「何の姓か?」秦宓は答えた。「劉と申します。」張温が言った。「何によって知るのか?」秦宓は答えた。「天子が劉姓でいらっしゃいますゆえ、知るのです。」張温がまた問うた。「日は東のかたより昇るか?」秦宓は答えた。「東のかたより昇ると雖も、西のかたに没します。」
この時、秦宓の言葉は明瞭にして、応答は流れるが如く、満座の客は皆驚愕した。張温、言うこと無し。秦宓、ここにおいて問うて曰く、「先生は東呉の名士、既に天象の事を以て我を問う。必ずや天道の理を深く解するならん。当初、混沌分かれ、陰陽剖判す。軽清の気は上りて天と為り、重濁の気は下りて地と為る。共工氏の敗るるに及び、頭を以て不周山に触れ、天柱折れ、地維欠く。天は西北に傾き、地は東南に陷る。天は軽清の気の上れるもの、何ぞ西北に傾くや?又、軽清の気の外に、更に何の物かあるかを知らず。願わくは先生、我を教えよ。」張温、対すること能わず、席を去りて謝して曰く、「蜀中に此くの如く俊傑の多いるを知らざりき。今しばし聞く所の議論、我が茅塞を開く。」孔明、張温の愧じるを慮り、故に好言を以て慰めて曰く、「席間の相難ずるは、皆戯れの言のみ。足下、安邦定国の大道を深く知る。何ぞ此の口舌の戯れを以て意とせんや。」張温、拝謝す。孔明、又鄧芝に命じて東呉に回礼せしめ、即ち張温と同行せしむ。張温、鄧芝の二人、孔明に拝別し、東呉に向かいて来る。
是に於いて呉王、張温の蜀に入りて未だ帰らざるを見、文武大臣を聚めて議す。忽ち近臣奏して曰く、「蜀国、鄧芝を遣わし張温と同じく我国に来たりて回礼す。」孫権、召して入見せしむ。張温、殿前に跪拝し、詳らかに後主及び孔明の徳行を称え、永く盟好を結ばんことを願い、特に鄧尚書を遣わし又答礼せしむる由を述ぶ。孫権、大いに喜び、即ち宴を設けて之を款待す。孫権、鄧芝に問うて曰く、「若し呉・蜀の両国、心を同じくして魏国を滅ぼし、天下太平を得、二主分治せば、楽しからずや?」鄧芝、答えて曰く、「『天に二日無く、民に二王無し』。若し魏国を滅ぼしたる後、天命の孰れの君に帰するかを知らず。但だ君たる者は各々徳を修め、臣たる者は各々忠を尽くさば、則ち戦争も息まんのみ。」孫権、大笑して曰く、「君の誠、乃ち此くの如きか!」是に於いて厚く鄧芝に贈りて蜀に帰らしむ。此れより呉・蜀、両国通好す。
是に於いて魏国の細作、此の事を探知し、火急に中原に報ず。魏主曹丕、聞きて大いに怒りて曰く、「呉・蜀連合す、必ず中原を図るの意有り。我先ず討つに如かず。」是に於いて大いに文武大臣を召集し、兵を起こして東呉を討つを議す。此の時、大司馬曹仁、太尉賈詡、已に世を去りぬ。侍中辛毗、班を出でて奏して曰く、「中原の地は、土壌広大にして人民少なく、而して兵を用いんと欲す、利有るを見ず。今の計は、兵を養い田を屯して十年、食充足し兵充足し、然る後に兵を用うれば、則ち呉・蜀も破るべし。」曹丕、怒りて曰く、「此れ迂儒の言なり! 今、呉・蜀連合し、朝夕必ず境を侵さんとす。何ぞ十年を待つに暇あらんや?」直ちに旨を伝えて兵を起こし東呉を討たんとす。司馬懿、奏して曰く、「呉国には長江の険有り、船無くんば渡る能わず。陛下、必ずや御駕親征せらるるならば、大小の戦船を選び、蔡水・潁水より淮河に入り、寿春を攻め取り、広陵に至り、江口を渡り、直ちに南徐を取るべし。是れ上策なり。」曹丕、其の言を用う。是に於いて日夜、工を起こし、龍舟十隻を造る。長さ二十余丈、二千余人を容る。戦船三千余隻を收拾す。魏黄初五年秋八月、大小の将士を会聚し、曹真を前部となし、張遼・張郃・文聘・徐晃等を大将として先行せしめ、許褚・呂虔を中軍護衛となし、曹休を殿後となし、劉曄・蒋済を参謀となす。前後、水陸の軍馬三十余万、期日を限りて兵を起こす。司馬懿を尚書僕射に封じ、許昌に留む。凡そ国家の政事大事、皆司馬懿に聴許す。
魏兵の出発するを言わず。是に於いて東呉の細作、此の事を探知し、呉国に報ず。近臣、慌てて呉王に奏して曰く、「今、魏王曹丕、自ら龍舟に乗り、水陸の大軍三十余万を率い、蔡水・潁水より淮河に出づ。必ず広陵を攻め取り、江を渡りて江南を攻めんとす。其の勢い甚だ猛烈なり。」孫権、大いに驚き、即ち文武大臣を聚めて議す。顧雍が曰く、「今、主上既に西蜀と連合す。書を諸葛孔明に送り、彼に兵を起こして漢中より出でしめ、魏の勢いを分かたしむべし。同時に一員の大将を遣わし、南徐に兵を屯して魏軍に備うべし。」孫権が曰く、「陸伯言に非ざれば、此の重責に当たる能わず。」顧雍が曰く、「陸伯言は荆州を鎮守す。軽々しく動かす可からず。」孫権が曰く、「吾も知らざるに非ず。但だ眼前に替わる者無し。」言い未だ終わらざるに、一人、班部の中より応声して出でて曰く、「臣、不才と雖も、願わくは一軍を率いて魏兵を防がん。若し曹丕、自ら大江を渡らば、臣、必ずや之を生け捕り、殿の下に献ぜん。若し渡らざるも、亦魏兵の大半を殺し、魏兵をして東呉を正視せざらしめん。」孫権、之を見れば、徐盛なり。孫権、大いに喜びて曰く、「卿を得て江南の地を守らしむれば、吾、何をか憂えんや?」是に於いて徐盛を安東将軍と為し、建業・南徐の軍馬を総領都督せしむ。徐盛、恩を謝し、命を領きて退く。即ち令を伝えて諸官兵に多く器械を準備し、多く旌旗を設置し、江岸を守るの計と為さしむ。
忽然、一人が進み出て言った。「今日、大王は将軍に重任をお委ねになりました。魏兵を破り曹丕を生け捕りにしようとなさるなら、なぜ将軍は早く軍馬を送り出して長江を渡り、淮南の地で迎え撃たれないのですか?曹丕の兵が到着するのを待っては、間に合わない恐れがあります。」徐盛が見ると、それは呉王の甥である孫韶であった。孫韶は字を公礼といい、官は揚威将軍に任じられ、かつて広陵で守備を務めた。若くして血気に任せ意气込みやすく、非常に胆力と勇気があった。徐盛が言う。「曹丕の勢力は強大であり、さらに名将を先鋒としている。長江を渡って迎え撃つことはできない。彼らの船がすべて北岸に集まるのを待って、我に計策あり敵を破ろう。」孫韶が言う。「我が配下には三千の軍馬がおり、加えて広陵の地形を熟知しております。自ら江北に赴き、曹丕と決戦を遂げることを望みます。もし勝利を得られなければ、甘んじて軍令の処罰を受けましょう。」徐盛は従わなかった。孫韶は強く行こうとした。徐盛はただ肯かず、孫韶は再三行動しようとした。徐盛は怒って言った。「お前がこのように号令に従わねば、どうして我が諸将を統御できようか?」と、武士に命じて引き出し斬首に処そうとした。刀斧手が孫韶を轅門の外に引き出し、黒旗を立てた。孫韶の部将が急ぎ孫権に報告した。孫権はこれを聞き、急ぎ馬に乗って救いに来た。武士がまさに刑を執行しようとした時、孫権がすでに到着し、刀斧手を叱り散らして孫韶を救った。孫韶は泣いて奏上した。「臣はかつて広陵に駐屯し、地理を深く知っております。あの地で曹丕と戦わずして、彼らを長江に下らせれば、東呉の滅亡は間近でございます!」
孫権はそのまま軍営に入った。徐盛は迎えて帳中に入れ、奏上した。「大王は臣を都督に命じ、兵を率いて魏軍を防ぐようお命じになりました。今、揚威将軍孫韶が軍法に従わず、令に背きました。斬首に処すべきところ、大王はなぜお赦しになったのですか?」孫権が言う。「孫韶は一時の血気の勇に任せて、誤って軍法を犯した。どうか寛大にお許し願いたい。」徐盛が言う。「法は臣が定めたものでも、大王が定めたものでもなく、国の典章刑法でございます。もし親族であるという理由で赦せば、何をもって衆人に号令できましょうか?」孫権が言う。「孫韶が法を犯したのは、本来将軍が処断すべきである。ただこの子は元々俞氏の姓であるが、我が兄が非常に愛し、孫姓を賜ったのだ。我に対しても少なからず功績がある。今もし殺せば、兄の情義に背くことになる。」徐盛が言う。「ひとまず大王のご顔を立て、死罪を許しましょう。」孫権は孫韶に拝謝するよう命じた。孫韶は拝そうとせず、声を荒げて言った。「我が考えに従えば、ただ軍を率いて曹丕を破るのみ!死しても将軍の見識には服さぬ!」徐盛は顔色を変えた。孫権は孫韶を叱り下がらせ、徐盛に言った。「この子がなくとも、東呉に何の損があろうか。今後はもう用いるな。」言い終えて自ら帰って行った。その夜、誰かが徐盛に報告した。孫韶が自らの本部三千精兵を率い、密かに長江を渡って行ったと。徐盛は失態があっては呉王の前で体裁が悪いと考え、そこで丁奉を呼び密計を授け、三千の兵を率いて長江を渡り応援に向かわせた。
さて、魏王が龍舟を広陵に進めた時、前部の曹真はすでに兵を率いて大江の岸辺に陣を敷いていた。曹丕が尋ねる。「江岸にはどれほどの兵がいるか?」曹真が言う。「対岸を遠く望むに、一人の人影もなく、旌旗や営寨も見えませぬ。」曹丕が言う。「これは必ずや詭計であろう。我が自ら虚実を見に行こう。」そこで大いに江道を開き、龍舟を大江に進め、江岸に停泊させた。船の上には龍鳳日月五色の旌旗を立て、鑾儀が簇擁し、光彩が目を射た。曹丕は船中に端座し、江南を遥かに望むも、一人の人も見えず、劉晔と蒋済を振り返って言う。「長江を渡れるであろうか?」劉晔が言う。「兵法には実実虚虚とあります。彼らが大軍の到来を見て、備えをしないはずがありましょうか?陛下は軽率に事をなさるべきではありませぬ。ひとまず三、五日待ち、彼らの動静を見てから、先鋒を遣わして長江を渡り試すのがよろしゅうございます。」曹丕が言う。「そちの言葉は我が意にかなう。」
その日夕方、大軍は江中に停まり夜を過ごした。その夜は月も暗く、軍士たちは皆灯火を掲げ、天地を昼のように明るく照らした。江南を遥かに望むも、一点の火光も見えなかった。曹丕が側近の臣に尋ねる。「これは何の故か?」側近が奏上する。「おそらく陛下の天兵が来たと聞き、風を望んで逃げ去ったのでございましょう。」曹丕は密かに冷笑した。夜が明ける頃、大霧が立ち込め、対面も見えなくなった。しばらくして風が吹き始め、霧が散り雲が晴れると、江南一帯には連なり絶えない城郭が見えた。城楼の上には槍刀が日を映し、城全体に旌旗や号帯が立ち並んでいた。瞬く間に何度も報告が来た。「南徐の長江一帯から石头城に至るまで、数百里にわたり城郭や舟車が連なり絶えず、一夜のうちに築かれました。」曹丕は大いに驚いた。元来、徐盛は葦を束ねて人形を作り、皆に青衣を着せ旌旗を持たせ、仮の城や疑わしい楼の上に立てたのである。魏兵は城の上に多くの人馬を見て、どうして肝を冷やさずにいられようか?曹丕は嘆息して言った。「魏国には武士が千群いても、用いる所がない。江南の人物は、図るべからざるものだ。」
まさに驚き怪しんでいる間に、忽然と大風が巻き起こり、白波が天を衝き、江水が龍袍を濡らし、大船は覆りそうになった。曹真は慌てて文聘に命じ、小舟を漕いで急ぎ救駕に来させた。龍舟の上では人々が立っていられない。文聘は龍舟に飛び乗り、曹丕を背負って小舟に下り、河港に奔り入った。忽然と流星の馬が報告した。「趙雲が兵を率いて陽平関から殺り出し、まさに長安を攻めようとしております。」曹丕はこれを聞き、驚き慌てて顔色を失い、すぐに軍を収めるよう命じた。諸軍は各々逃げ奔った。背後から呉兵が追い迫る。曹丕は詔を伝え、御用の品を全て捨てて逃げるよう命じた。龍舟が淮河に至らんとした時、忽然と鼓角が斉しく鳴り、喊声が大いに響き、斜めから一隊の軍馬が殺り出した。先頭の大将こそ孫韶である。魏兵は防ぎきれず、大半を失い、溺死した者が数知れず。
諸将は力を尽くして魏主を救い出した。魏主は淮河を渡り、三十里も行かぬうちに、淮河中の一帯の葦は、あらかじめ魚油を注がれており、全て燃え上がった。風に従い下り、風勢は非常に激しく、火焰は天を覆い、龍舟を遮った。曹丕は大いに驚き、急ぎ小舟に下りた。岸に着く時、龍舟はすでに燃えていた。曹丕は慌てて馬に乗ると、岸から一隊の軍馬が殺り出し、先頭の大将こそ丁奉である。張遼が急ぎ馬を拍って迎え撃つも、丁奉の一箭が腰に当たり、幸いに徐晃が救い出し、共に魏主を護って逃走した。失った軍馬は数知れず。背後から孫韶、丁奉が馬匹、車仗、船、器械を奪い取り、その数は計り知れない。魏兵は大敗して帰った。呉将徐盛は大いに功績を収めた。呉王は手厚く賞賜を与えた。張遼は許昌に帰り、箭傷が裂けて死んだ。曹丕は手厚く葬った。この事はひとまず措く。
さて、趙雲が兵を率いて陽平関から殺り出そうとした時、忽然と丞相の文書が届き、益州の老将雍闓が蛮王孟獲と結び、十万の蛮兵を起こして四郡を掠め侵しているとあった。そのため趙雲は軍を返すよう宣せられ、馬超に陽平関を堅守させ、丞相は自ら南征に向かうとあった。趙雲はそこで急ぎ兵を収めて帰った。この時、孔明は成都で軍馬を整え、自ら南征に向かおうとしていた。正に:
ようやく東呉が北魏に対抗するを見、また西蜀が南蛮を征討するを見る。
ようやく東呉が北魏に対抗するを見、また西蜀が南蛮を征討するを見る。
勝敗の如何は未だ知れず、且つ次回の分解を看よ。
