第八十七回 征南寇丞相大興師 抗天兵蛮王初受執
第八十七回 南寇を征するに丞相大いに師を興す 天兵に抗して蛮王初めて執らる
さて諸葛丞相は成都に在りて、事の大小を問わず、自ら公に秉り決断す。両川の百姓は、太平を歓びて、夜は門を閉ざさず、路に遺失物を拾わず。また幸い連年大豊作にて、老幼皆腹を満たして歌をうたい、徭役に当たる者は皆争いて早めにこれを弁ず。是を以て軍需器械等の用うべき物、備わらざる莫く、米糧は倉庫に満ち、財物は府庫に充つ。
建興三年、益州より緊急の報告到る:蛮王孟獲、大いに蛮兵十万を起こし、辺境を侵し、物資を掠め取る。建寧太守雍闓は、漢の什方侯雍歯の後裔にして、今孟獲に結託して造反す。牂牁郡太守朱褒、越嶲郡太守高定、二人は城を献ず。ただ永昌太守王伉のみ叛かず。今雍闓、朱褒、高定三人の部下の兵馬、皆孟獲の導き手となり、永昌郡を攻む。今王伉、功曹呂凱と共に百姓を集め、この城を死守し、形勢極めて危急なり。孔明ここに於いて朝廷に入り後主に奏して曰く:「我が南蛮の服さざるを見るに、実に国家の大患なり。我当に自ら大軍を率い、前もって征討すべし。」後主曰く:「東に孫権有り、北に曹丕有り。今相父我を棄てて去らば、若し東呉、曹魏来攻せば、如何に?」孔明曰く:「東呉は剛に我が国と和を講じ、異心有るまじと料る。若し異心有らば、李嚴白帝城に在り、此の人陸遜を防ぐに足る。曹丕は剛に敗戦し、鋭気已に喪われ、遠方を図る能わず。況や馬超漢中の諸関を守る有り、憂うるに足らず。我また関興、張苞等を留め、両軍を分領して救応と為し、陛下の万に一失無きを保証す。今我先ず南方蛮夷を掃蕩し、然る後北伐し、以て中原を図り、先帝の三顧の恩、孤児を託するの重きに報いん。」後主曰く:「我幼少にして知る無し、全く相父の斟酌に任す。」
言い終わらざるに、朝班の中より一人出でて曰く:「不可なり、不可なり!」衆人之を見るに、南陽の人、姓は王、名は連、字は文儀、現に諫議大夫たり。王連諫めて曰く:「南方は不毛の地、瘴気瘟疫の行く所。丞相国家の重任を負い、自ら遠征するは、宜しからず。況や雍闓等は疥癬の小病に過ぎず、丞相ただ一員の大将を遣わして征討せしむれば、必ず成功せん。」孔明曰く:「南蛮の地は、国より遠く離る。其の人多く王道教化に慣れず、之を収むるは難し。我当に自ら征討すべし。剛にす可く柔にす可く、別に斟酌有り、輕易に人に託す可きに非ず。」王連再三苦く諫むるも、孔明聴かず。是の日、孔明後主に辞し、蒋琬を以て参軍と為し、費禕を長史と為し、董厥、樊建の二人を掾史と為す。趙雲、魏延を大将と為し、総督して兵馬を統べ、王平、張翼を副将と為す。及び川将数十員を加え、総動員して川兵五十万、益州に向かい進発す。忽ち関公の第三子関索、軍中に来たり孔明に謁見して曰く:「荆州失陷より以来、我逃難して鮑家荘に在りて病を養う。常に川中に至り先帝の仇を報いんと欲すれども、瘡痕未だ癒えず、起身歩行する能わず。近頃已に癒え、東呉の仇人已に全て誅せらるるを聞き、一直に西川に来たり皇帝に謁見せんとす。恰も路上にて征南の軍に遇い、特に来たりて投奔し謁見を求む。」孔明聞き、嘆息驚愕止まず。一方に於いて人をして朝廷に申報せしめ、即ち関索を命じて前部先鋒と為し、共に征南に赴く。大隊の人馬、各々隊伍に従い進む。飢えれば食い、渇すれば飲み、夜は宿り、昼は行く。過ぐる所の地方、秋毫も犯さず。
さて雍闓、孔明の自ら大軍を率いて来たるを聞き、即ち高定、朱褒と議し、兵を三路に分かつ。高定中路を取り、雍闓左路に在り、朱褒右路に在り。三路各々兵士五六万を率いて敵を迎う。ここに於いて高定、鄂煥を命じて前部先鋒と為す。鄂煥、身の丈九尺、面貌醜悪にして、一枝の方天画戟を使い、万夫の敵する能わざるの勇有り。本部の兵馬を率い、大寨を離れ、蜀兵を迎え撃たんとす。
さて孔明、大軍を統べて已に益州の地界に到る。前部先鋒魏延、副将張翼、王平、才ち境口に入るに、正に鄂煥の軍馬に遇う。両軍陣勢を列ね、魏延馬を出だし大いに罵って曰く:「反賊早く投降せよ!」鄂煥馬を拍ちて魏延と交鋒す。戦うこと数合に満たず、魏延偽りて敗走し、鄂煥随いて追う。追うこと数里に足らず、喊声大いに震う。張翼、王平の両路軍殺到し、其の後路を絶つ。魏延また馬を回し、三員の将力を合わせて拒戦し、鄂煥を生け捕る。大寨に押し解き、来たりて孔明に見ゆる。孔明其の縛を解き、酒食を以て之を饗す。問いて曰く:「汝は誰が部将ぞ?」鄂煥曰く:「我は高定の部将なり。」孔明曰く:「我知る、高定は忠義の士なるを。今雍闓に惑わされ、ここに至れり。我今日汝を放ち帰らせ、高太守に命じて早く投降せしめ、大禍を免れしめん。」鄂煥拝謝して去り、帰りて高定に謁見し、孔明の恩徳を述ぶ。高定も亦感激すること已まず。翌日、雍闓、高定の寨中に来る。礼を畢え、問いて曰く:「何ぞ鄂煥帰り来たれる?」高定曰く:「諸葛亮、仁義を以て之を放ちたり。」雍闓曰く:「此れは諸葛亮の反間の計なり。我が両人の和せざるを欲し、故に此の計を施せり。」高定半信半疑、心中猶豫す。忽然蜀将の挑戦を報ずる有り。高定自ら三万の兵を率いて出迎う。戦うこと数合に至らず、馬を撥ね回して便ち走る。魏延兵を率いて大いに進み、二十余里を追い殺す。翌日、雍闓また兵を起こし来たりて迎え戦う。孔明一連三日出戦せず。第四日に至り、雍闓、高定、兵を分かちて両路と為し、来たりて蜀寨を攻む。
さて孔明、魏延に命じて両路に埋伏して待たしむ。果たして雍闓、高定の両路兵到り、伏兵に殺傷せらるること大半、生け捕られる者数を知らず、皆大寨に押し解く。雍闓の人は、一方に囚え、高定の人は、一方に囚う。却って軍士に命じて流言を散布せしめて曰く:「凡そ高定の人は死を免れ、雍闓の人は全て殺す。」と。衆軍皆此の言を聞く。暫くして、孔明、雍闓の人を取って帳前に至らしめ、問いて曰く:「汝等は皆誰が部下ぞ?」衆人偽りて称して曰く:「高定の部下の人なり。」孔明、皆死罪を免じ、併せて酒食を賜りて労い、人をして境界を送り出だし、寨に放ち帰らしむ。孔明又た高定の人を喚びて問う。衆人皆告げて曰く:「我等実に高定部下の軍士なり。」孔明も亦皆其の死罪を免じ、酒食を賜う。却って揚言して曰く:「雍闓、今日人を遣わし投降せんとし、汝が主将及び朱褒の首級を献ずるを功と為さんと欲す。我大いに忍びず。汝等既に高定部下の軍士なれば、我汝を放ち帰らす。再び背く可からず。若し再び捉えられ来たらば、決して軽く赦さじ。」
衆人皆拝謝して去る。本寨に帰り、来たりて高定に謁見し、此の事を説く。高定ここに於いて密かに人を雍闓寨中に遣わして探聴せしむるに、却って一団の放還せられたる人を見るに、孔明の恩徳を述ぶ。是を以て雍闓部下の軍隊、多く高定に帰順するの心有り。然りと雖も、高定心の中なお穩ならず、又一人を孔明寨中に遣わして虚実を探聴せしむ。伏せる巡邏の軍に捉えられ、来たりて孔明に見ゆ。孔明故意に雍闓の人と認め、帳中に喚び入れ問いて曰く:「汝が元帥、既に高定、朱褒二人の首級を献ずるを約したり。何ぞ日限を誤れる? 汝が輩精細ならず、如何にして細作を為すを得ん!」軍士含糊して答う。孔明、酒食を以て之を賞し、一封の密書を書き、軍士に交付して曰く:「汝此の書を持ち雍闓に交せよ。彼に命じて早く手を下さしめ、大事を誤らしむる莫かれ。」
細作は拝謝して去り、高定のところへ戻り、孔明の手紙を差し出して、雍闓がかくかくしかじかと述べたことを報告した。高定は手紙を読み終えると、大いに怒って言った、「われは真心で彼を遇していたのに、彼はかえって我を害そうとするとは、情理に容れ難い!」そこで鄂焕を呼んで相談した。鄂焕が言う、「孔明は仁徳の人であります。背くのは不吉です。我々が謀反を起こし悪事を働いたのは、すべて雍闓のせいでございます。彼を殺して孔明のもとへ奔るのが良ろしゅうございましょう。」高定が言う、「どうやって手を下す?」鄂焕が言う、「一席の酒宴を設け、人を遣わして雍闓を招くのです。彼に異心がなければ、必ずや坦然と参りましょう。もし来なければ、必ず異心がございます。我が主君はその前面を攻め、私は寨の後ろの小道に伏兵して待ち受けます。そうすれば擒えられましょう。」高定はその言葉に従い、宴席を設けて雍闓を招いた。雍闓は果たして、先日放還された軍士の言葉を疑い、恐れて来ようとしなかった。その夜、高定は兵を率いて雍闓の寨に攻め入った。もとより孔明に放免された者たちは、皆高定の恩を思い、機に乗じて戦いに加わった。雍闓の軍は戦わずして自ら乱れた。雍闓は馬に上り山路へ逃げた。二里も行かぬうちに、鼓声の響くところ、一隊の軍勢が現れ出た。それは鄂焕であった。方天画戟を挺(ぬき)出し、馬を駆って真っ先に進む。雍闓は措置する間もなく、鄂焕の一戟で馬下に刺し倒され、その首級を刎ねられた。部下の軍士は皆高定に投降した。
高定は両部の軍を率いて孔明のもとへ投降し、雍闓の首級を帳下に献じた。孔明は高く帳の上に座し、左右に命じて高定を引き出して斬り、その後で報告するよう叱り付けた。高定が言う、「私は丞相の大恩に感じ入り、今雍闓の首級を持参して投降したのに、なぜかえって我を殺そうとするのですか?」孔明は大笑して言う、「お前は偽って投降しに来たのだ。よくも我を欺こうとするな!」高定が言う、「丞相は何をもって我が偽りの投降と知られたのですか?」孔明は箱から一通の手紙を取り出し、高定に見せて言う、「朱褒がすでに密かに降書を差し出し、お前は雍闓と生死の交わりであるのに、どうして突然彼を殺すことがあろうか、と言ってよこした。我はこれによってお前が詐り降りであると知ったのだ。」高定は叫んで「これは朱褒の反間の計でございます。丞相、どうか決してお信じになってはなりませぬ!」孔明が言う、「我もまた、お前の一存の言葉だけで信じるのは難しい。お前がもし朱褒を捕らえれば、ようやく真心を示せよう。」高定が言う、「丞相、疑いを抱かれませぬよう。我が朱褒を擒えて丞相にお目にかけましょう。いかがですか?」孔明が言う、「もしそうならば、我が疑いもようやく解けよう。」
高定はすぐに部将の鄂焕と自らの本部の兵馬を率いて、朱褒の営寨へと殺到した。朱褒の営寨から十里ばかりのところにさしかかった時、山の後ろから一隊の軍馬が駆けつけた。まさに朱褒であった。朱褒は高定の軍が来るのを見て、慌てて高定と話し始めた。高定は大声で罵った、「お前はどうして諸葛丞相のところに手紙を送り、反間の計を用いて我を害そうとしたのか?」朱褒は目瞪口呆して、答えられなかった。すると突然、鄂焕が馬の後ろから回り込み、一戟で朱褒を馬下に刺し落とした。高定は厳しい声で言った、「従わぬ者は、皆殺せ!」そこで諸軍は一斉に跪き拝して投降した。高定は両部の軍を率いて孔明のところへ来て、朱褒の首級を帳下に献じた。孔明は大笑して言う、「我は故意にお前にこの二人の賊を殺させ、お前の忠心を明らかにさせたのだ。」そこで高定を益州太守に任命し、三郡を統轄させた。鄂焕を牙将に任命した。三路の兵馬はすでに平定された。
この時、永昌太守の王伉が城を出て孔明を迎えた。孔明は城に入った後、尋ねて言う、「誰があなたと共にこの城を守り、平安を保ったのか?」王伉が言う、「私が今日この郡を保ち危険なく済んだのは、ひとえに永昌の不韋人、姓は呂、名は凱、字は季平という者のおかげでございます。すべてこの人の功績でございます。」孔明はそこで呂凱を招いて対面した。呂凱は入って拝謁し、礼を終えた。孔明が言う、「久しくあなたが高士であると聞いておりました。この城を守ったのはあなたのおかげです。今、私は南蛮を平定しようとしていますが、あなたに何か高見がありますか?」呂凱はそこで一枚の地図を取り出し、孔明に差し出して言う、「私は官に就いて以来、南人が反乱を起こそうとしているのを久しく知っておりました。それで密かに人をその境内に遣わし、兵を駐め戦うべき場所を視察させ、一枚の図を描かせました。名付けて『平蛮指掌図』と申します。今、恐れ多くも明公に献じます。明公、試しにご覧くだされば、南蛮征討の一助となろうかと存じます。」孔明は大いに喜び、そこで呂凱を行軍教授に任命し、兼ねて案内役とした。かくて孔明は兵を率いて大いに進み、南蛮の境内深くに入った。
ちょうど行軍している時、忽然として天子の使者が到着したと報告があった。孔明は使者を中軍に入れるよう請うた。只見るに、一人の者が白袍白衣を着て入って来た。それは馬謖であった。その兄の馬良がちょうど亡くなったばかりだったので、喪服を着ていたのである。馬謖が言う、「主上の命を奉じ、諸軍に酒と布帛を賜ります。」孔明は詔書を受け取り、命に従って一々分配し終えると、そこで馬謖を帳中に留めて話をした。孔明が尋ねて言う、「私は天子の詔令を奉じ、南蛮を平定する。久しく幼常(馬謖の字)の高見を聞いている。願わくば、ご教示賜りたい。」馬謖が言う、「私は浅はかな見解を一つ持っております。丞相、どうかお明察くださいませ。南蛮は、彼らが辺境の地に依り山の険しさに頼り、朝廷に服さないこと久しいのです。たとえ今日、彼らを打ち破ったとしても、明日にはまた反逆するでありましょう。丞相の大軍がそこに至れば、必ずや平定できましょう。しかし、班師して還る時には、必ずや北方の曹丕を討たねばなりません。蛮兵が我が内部の空虚を知れば、彼らの反逆は必ずや早いでしょう。用兵の理は、『心を攻めるを上と為し、城を攻めるを下と為す。心の戦いを上と為し、兵の戦いを下と為す。』と申します。願わくは、丞相ただ彼らの心を降すだけで十分でございます。」孔明は嘆息して言う、「幼常はまことに我が肺腑を深く知る者だ!」そこで孔明は馬謖を参軍に任命し、すぐに大軍を統率して進んだ。
さて、蛮王孟獲は、孔明が計を用いて雍闓らを巧みに破ったと聞き、そこで三洞の元帥を集めて相談した。第一の洞は金環三結元帥、第二の洞は董荼那元帥、第三の洞は阿会喃元帥である。三洞の元帥が入って孟獲を拝した。孟獲が言う、「今、諸葛丞相が大軍を率いて我が疆界を侵している。力を合わせて抵抗せねばならぬ。お前たち三人は兵を三路に分けて進め。勝ちを得た者には、洞主とせん。」そこで金環三結には中路を、董荼那には左路を、阿会喃には右路を行くよう分派した。それぞれ五万の蛮兵を率い、命に従って出発した。
さて、孔明が寨の中で議事をしていると、忽然として哨馬が飛ぶように来て、三洞の元帥が兵を三路に分けて到来したと報じた。孔明はこれを聞き終えると、すぐに趙雲、魏延を召し寄せたが、何も命じなかった。また王平、馬忠を召し寄せ、彼らに告げて言う、「今、蛮兵が三路に分かれて来ている。私は子龍(趙雲の字)、文長(魏延の字)に行かせようと思ったが、この二人は地理を知らぬゆえ、用いるに忍びぬ。王平は左路に行き敵を迎え、馬忠は右路に行き敵を迎えよ。我は子龍、文長に後から接応させる。今日、軍馬を整え、明日の夜明けに出発せよ。」二人は命令を受けて去った。また張嶷、張翼を召し寄せて告げて言う、「お前たち二人は共に一軍を率い、中路に行き敵を迎えよ。今日、軍馬を整え、明日、王平、馬忠と約束して共に進め。我は子龍、文長に行かせて取らせようと思ったが、あいにく二人は地理を知らぬゆえ、用いるに忍びぬ。」張嶷、張翼は命令を受けて去った。
趙雲と魏延は、孔明が自分たちを用いないのを見て、皆怒りを顔に表した。孔明が言うには、「私はお前たち二人を用いないのではない。ただ、お前たちが中年の身で危険に身を投じ、蛮人に計略にかけられ、鋭気を挫かれるのを心配したまでだ。」趙雲が言うには、「もし我々が地理を知っていたならば、どうであろうか?」孔明が言うには、「お前たち二人はただ小心翼々として、軽々しく行動してはならない。」二人は不満げに退出した。趙雲は魏延を自分の陣営に招いて相談して言うには、「我々二人は先鋒であるのに、地理を知らぬと言って用いられない。今やこれらの後輩を用いている。我々は恥ずかしく思わないのか?」魏延が言うには、「我々二人は今すぐ馬に乗り、自ら偵察に行こう。地元の者を捕らえ、彼らに道案内をさせて、蛮兵を迎え撃てば、大事は成し遂げられよう。」趙雲はこれに従い、すぐに馬に乗って真っ直ぐ中路へ向かった。行くこと僅か数里で、遠くに土煙が立ち上るのが見えた。二人は山の斜面に登って見渡すと、果たして数十名の蛮兵が馬を駆ってやって来るのが見えた。二人は二手に分かれて飛び出した。蛮兵はこれを見て、驚いて逃げ散った。趙雲と魏延はそれぞれ数名を生け捕りにして、本陣に戻り、酒食でもてなし、詳しく事情を尋ねた。蛮兵は告げて言うには、「前方は金環三結元帥の大寨で、ちょうど山の入り口にあります。寨の脇には東西に道があり、五渓洞および董荼那、阿会喃の各寨の背後へ通じております。」
趙雲と魏延はこれらの言葉を聞き、五千の精兵を招集し、捕らえた蛮兵に道案内をさせた。出発した時は、すでに二更の頃合いであり、月は明るく星は煌めき、月明かりに照らされて進んだ。金環三結の大寨に着いた時は、およそ四更で、蛮兵はちょうど起床して食事の準備をし、夜明けの戦闘に備えていた。そこへ突然、趙雲と魏延の二手が殺到し、蛮兵は大混乱に陥った。趙雲は真っ直ぐ中軍に斬り込み、ちょうど金環三結元帥と出会った。両馬が交わること僅か一合、趙雲の一槍で馬下に刺し倒され、その首級を刎ねた。残った蛮軍は潰走した。魏延は兵の半分を分け、東路へ向かい董荼那の陣営を襲わせた。趙雲は兵の半分を分け、西路へ向かい阿会喃の陣営を襲わせた。蛮兵の大寨に殺到した時には、既に夜が明けていた。
まず魏延が董荼那の寨に殺到したことを述べる。董荼那は寨の背後から軍が殺到したと聞き、兵を率いて寨を出て迎え撃とうとした。そこへ突然、寨の前門で一声の喊声が上がり、蛮兵は大混乱に陥った。実は王平の軍馬が既に到着していたのである。両面から挟撃され、蛮兵は大敗した。董荼那は道を切り開いて逃げ去り、魏延は追いつけなかった。次に趙雲が兵を率いて阿会喃の寨の背後に殺到した時には、馬忠が既に寨の前面に到着していた。両面から挟撃され、蛮兵は大敗し、阿会喃は混乱に乗じて逃げ去った。それぞれ兵を収めて、孔明の下へ帰還した。孔明が問うには、「三洞の蛮兵のうち、二人の洞主は逃げ去った。金環三結元帥の首級はどこにある?」趙雲が首級を差し出して功績を報告した。皆が言うには、「董荼那、阿会喃は共に馬を捨てて山を越え嶺を越えて逃げ去ったため、追いつけませんでした。」孔明は大笑して言うには、「この二人は既に私が捕らえている。」趙雲、魏延及び諸将は皆、信じなかった。
程なくして、張嶷が董荼那を、張翼が阿会喃をそれぞれ護送して来た。皆、大いに驚いた。孔明が言うには、「私は呂凱の地図を見て、彼らの各々が駐屯する陣営を既に知っていた。そこで言葉で子龍と文長の鋭気を奮い立たせ、故意に彼らを深く敵地に進入させ、まず金環三結を打ち破らせた。すぐに兵を分けて左右の寨の背後から襲撃させ、王平と馬忠に応援させたのである。子龍と文長でなければ、この任務は果たせなかった。私は董荼那と阿会喃が必ず小道や山路を逃げると見越し、張嶷と張翼に伏兵を布かせて待ち受けさせ、関索に兵を率いて応援させ、この二人を捕らえさせたのである。」諸将は皆ひれ伏して言うには、「丞相の計略は、鬼神も測り難い!」孔明は命令して董荼那と阿会喃を帳下に引き据えさせ、全ての縄を解き、酒食と衣服を賜り、各々洞へ帰らせ、もはや悪人を助けてはならぬと命じた。二人は泣いて拝謝し、各々小道を通って去って行った。孔明が諸将に言うには、「明日、孟獲は必ず自ら兵を率いて戦いに来るであろう。この機会に捉えることができる。」そこで趙雲と魏延を召し出し、計略を授けて、それぞれ五千の兵を率いさせて出発させた。また王平と関索を召し出し、共に一軍を率いさせ、計略を授けて出発させた。孔明は配置を終え、帳中に坐して待った。
さて蛮王孟獲が帳中に坐していると、突然、斥候の騎馬が来て報告した。三洞の元帥が全て孔明に捕らえられ、部下の兵はそれぞれ潰走したと。孟獲は大いに怒り、そこで蛮兵を起こしてゆっくりと進軍すると、ちょうど王平の軍馬と出会った。両軍が陣を布き、王平が馬を出して刀を横たえて眺めると、門旗が開かれ、数百の南蛮の騎将が二列に分かれて並んだ。その中央から孟獲が馬を出した。頭には嵌宝紫金冠、身には纓絡紅錦袍、腰には碾玉獅子帯、足には鷹嘴抹緑靴、一匹の巻毛赤兎馬に跨り、二口の松紋鑲宝剣を佩き、堂々と見回して、左右の蛮将に向かって言うには、「人々はよく諸葛亮は用兵に長けると言うが、今この陣を見れば、旌旗は乱れ、隊伍は錯綜し、刀槍器械のいずれも我に勝るものはない。これにて以前の言葉が誤りであったことを知った。かくの如くならば、とっくに反乱を起こしておくべきであった。誰か蜀将を擒えて、軍威を振るう者はおらぬか?」
言い終わらぬうちに、一将が声に応じて進み出た。名を忙牙長と言い、一口の截頭大刀を使い、一匹の黄驃馬に騎って、王平を攻め取らんとした。二将が交鋒し、戦うこと数合にも満たず、王平は退却した。孟獲は軍を駆って大いに前進し、ゆっくりと追撃した。関索が少し交戦してまた退き、およそ二十余里を退いた。孟獲が追撃しているところへ、突然、喊声が大いに起こり、左から張嶷、右から張翼の二路の兵が殺到し、帰路を断った。王平と関索はまた兵を率いて攻め返した。前後から挟撃され、蛮兵は大敗した。孟獲は部将を率いて死に物狂いで戦い、辛うじて逃れ、錦帯山へ向かって敗走した。背後から三路の兵が追撃して来た。孟獲が逃げているところへ、前方で喊声が大いに起こり、一隊の軍馬が進路を塞いだ。先頭の大将は常山趙子龍であった。孟獲はこれを見て大いに驚き、慌てて錦帯山の小道へ逃げた。子龍が一隊を衝いて戦い、蛮兵は大敗し、生け捕りにされる者が数知れなかった。孟獲は僅か数十騎を連れて谷の中へ奔り込んだが、背後からの追兵はますます迫り、前方の道は狭く馬も進めず、そこで馬を捨て、山を攀じ嶺を越えて逃げた。ところが突然、谷の中で一声の鼓響き、これは魏延が孔明の計略を受けて、五百の歩兵を率い、ここに伏兵していたのである。孟獲は防ぎきれず、魏延に生け捕りにされた。従っていた騎兵は皆降伏した。
魏延は孟獲を護送して大寨に来て孔明に謁見した。孔明は既に牛を屠り羊を宰り、寨の中で宴を設けていた。そして帳中に七重の刽子手を並べさせ、刀槍剣戟は霜雪の如く光り輝き、また御賜の黄金鉞斧、曲柄傘蓋を掲げ、前後には羽葆鼓吹を備え、左右には御林軍を並べ、非常に厳かに整えられた。孔明が端坐して帳上にいると、蛮兵がわらわらと護送されて来た者が数知れなかった。孔明は帳中に呼び入れ、全ての縄を解き、慰めて告げて言うには、「お前たちは皆善良な百姓であり、不運にも孟獲に拘束され、今や驚かされた。私はお前たちの父母、兄弟、妻子が必ず門に倚りて望んでいることと思う。もし兵敗の報を聞けば、必ずや心を引かれ、眼中に血を流すであろう。私は今、全てをお前たちを帰して、各人の父母、兄弟、妻子の心を慰めんとするものである。」言い終わり、各々に酒食米糧を賜り、散らせた。蛮兵はその恩徳に深く感じ入り、泣いて拝謝して去って行った。孔明は命令して孟獲を引き据えさせた。程なくして、前から押し後ろから押され、縛られて帳前に至った。孟獲は帳下に跪いた。孔明が言うには、「先帝は汝を厚く遇したのに、どうして敢えて反逆するのか?」孟獲が言うには、「両川の地は、全て他人の占めた土地であり、汝の主君は強力に頼って奪い取り、自ら皇帝と称している。我は代々ここに住み、汝らは無礼にも我が土地を侵している。どうしてこれを反逆と言えようか?」孔明が言うには、「私は今汝を捕らえたが、汝は心服するか?」孟獲が言うには、「山路が僻遠で狭く、誤って汝に捕らえられたまで。どうして服従しようか!」孔明が言うには、「汝が服さぬなら、我は汝を帰してやろう。どうだ?」孟獲が言うには、「汝が我を帰すなら、我は再び軍馬を整え、雌雄を決しよう。もし再び我を捕らえることができたならば、初めて心服しよう。」孔明は即座にその縄を解かせた。衣服を着せ、酒食を賜り、鞍馬を与え、人を遣わして道を送り出させ、真っ直ぐに彼の本寨へ向かわせた。正に、
寇を掌中に入れながらも放ち去り、人は化外に居てなお降ることができない。
なお、再び来たりて戦うこと如何なるか、且く下文の分解を看よ。
