第九十八回 追漢軍王双受誅 襲陳倉武侯取胜
第九十八回 漢軍を追う王双、誅せらる 陳倉を襲う武侯、勝ちを取る
さて司馬懿は上奏して言った。「臣はかつて陛下に啓奏申し上げました。孔明は必ず陳倉より出兵するでしょうから、郝昭にそこを守らせよと。今、まさにその通りになりました。彼がもし陳倉から侵入すれば、糧草の輸送は非常に便利です。今は幸いに郝昭、王双が守っておりますゆえ、彼はこの道からは糧を運べません。残りの小道は、運搬が極めて困難です。臣は蜀軍の行軍糧草は一ヶ月分しかないと推測します。彼らの利は速戦即決にあります。我が軍は長期にわたって堅守するのが適切です。陛下は詔を下され、曹真に命じて諸々の関所や隘路を堅守させ、出戦させてはなりませぬ。一ヶ月も経たずして、蜀軍は自然と撤退いたしましょう。その時、虚に乗じて彼らを攻めれば、諸葛亮を捕らえることができましょう。」曹叡は喜んで言った。「そなたは既に先見の明があるのなら、なぜ自ら一軍を率いて彼を襲撃しないのか?」司馬懿が言った。「臣は決して己が命を惜しんでいるのではございません。実はこの兵力を温存して、東吳の陸逊に備えたいと考えているからでございます。孫権は間もなく僭越して帝位を称するでありましょう。もし彼が帝位を称すれば、陛下が討伐されることを恐れ、必ず先に侵攻して参ります。臣は兵力をもって彼を待ち受けようと思うのです。」
正しく言っていると、忽然として近臣が奏上した。「曹都督より軍情を奏上する旨、報告が参りました。」司馬懿が言った。「陛下はすぐに人を遣わして曹真に告げ諭されるが宜しい。蜀軍を追う場合は全て、その虚実を観察し、深く重地に入り込んではならぬ。諸葛亮の計略にかからぬためである。」曹叡はすぐに詔を下し、太常卿韓暨を派遣し、節を持たせて曹真に告げ諭させた。「決して戦うことなかれ。努めて謹んで守るべし。ただ蜀軍が退くのを待って、その後攻めるべし。」司馬懿は韓暨を城外まで送り、彼に言い含めた。「私はこの功績を子丹に譲ろう。あなたが子丹に会ったならば、私が述べた意見だとは言わず、ただ天子が詔書を下され、守りを上策とせよと教えられたのだと言っていただきたい。追撃する者は、千万に注意して、性急な者を追跡に遣わしてはならぬ。」韓暨は別れを告げて去った。
さて曹真がまさに帳を上げて議事をしていると、忽然として天子が太常卿韓暨を派遣し、節を持って到来したと報告があった。曹真は寨を出て迎え、詔書を受け終わると、退いて郭淮・孫礼と協議した。郭淮は笑って言った。「これは司馬仲達の主意です。」曹真が言った。「この主意はどうであろうか?」郭淮が言った。「この言葉は諸葛亮の用兵の法を深く理解しております。後日、蜀軍を防ぐことができる者は、必ず仲達でありましょう。」曹真が言った。「もし蜀兵が退かなければ、どうすれば良いのか?」郭淮が言った。「密かに人を遣わして王双に教え、兵を率いて小路上で巡回・偵察させれば、彼らは自ら糧を運べなくなります。彼らの糧が尽き兵が退くのを待ち、勢いに乗じて追撃すれば、全勝を収めることができましょう。」孫礼が言った。「私は祁山に行き、糧食を運ぶ兵士に偽装します。車には全て乾いた柴や茅草を満載し、硫黄や硝石を浸み込ませておきます。そして人を遣わして、隴西より糧食が到着したと虚報させます。もし蜀兵に糧食がなければ、必ず奪いに来るでありましょう。彼らがその中に入ったならば、車に火を放ち、外から伏兵で応援すれば、勝つことができましょう。」曹真は喜んで言った。「この計略は素晴らしい!」すぐに孫礼に兵を領させ、計略の通りに行わせた。また人を遣わして王双に教え、兵を領いて小路上で巡回・偵察させ、郭淮に兵を領させて箕谷・街亭を调度させ、諸々の軍馬に命じて険要な場所を守らせた。曹真はまた張遼の子の張虎を先鋒とし、楽進の子の楽綝を副先鋒とした。共に第一陣の営を守らせ、出戦を許さなかった。
さて孔明は祁山の寨中にあり、毎日人を遣わして挑戦させたが、魏兵は堅く守って出て来なかった。孔明は姜維を呼び寄せて協議して言った。「魏兵が堅く守って出て来ないのは、我が軍中に糧草がないと見積もっているからだ。今、陳倉からの輸送は通じず、残りの小道は盤渉が難しい。私は随軍の糧草を推測するに、一ヶ月分も足りない。これはどうすれば良いのか?」正しく決断がつかずにいると、忽然として隴西の魏軍が数千車の糧食を祁山の西側に運び込んだと報告があり、運糧官は孫礼であった。孔明が言った。「この人物はどういう者か?」ある魏の国の者が告げて言った。「この者はかつて魏主に従って大石山で狩猟をしました。忽然として一頭の猛虎が驚き起こり、御前に真っ直ぐに駆け寄りました。孫礼は馬を下り、剣を抜いてこれを斬り殺しました。これにより上將軍に封じられました。曹真の腹心であります。」孔明は笑って言った。「これは魏の将が我が軍の糧食不足を見積もり、故にこの計略を用いたのだ。車に積んであるのは、必ずや茅草などの引火物であろう。私は平生、専ら火攻めを用いる。彼らがまさかこの計略で私を誘おうとはな。彼らが我が軍が糧食を奪いに行くと知れば、必ずや我が営寨を襲撃しに来るであろう。計略に乗じて事を行えば良い。」
そこで馬岱を呼び寄せて言い含めた。「そなたは三千の軍士を率いて直接魏兵が糧食を屯積している場所に行け。営寨の中に入ってはならぬ。ただ風上の方角で火を放て。もし車両が燃えれば、魏兵は必ず我が営寨を包囲しに来るであろう。」また馬忠・張嶷に各五千の兵を領させ、外側で包囲させ、内外から挟撃させた。三人は計略を受けて出発した。また関興・張苞を呼び寄せて言い含めた。「魏兵の第一陣の営は四通八達の道に接している。今夜もし西山で火の手が上がれば、魏兵は必ず我が営寨を襲撃しに来るであろう。そなたたち二人は魏の営寨の左右に伏せていよ。ただ彼らが兵を出して営を出るのを待ち、そなたたち二人は営寨を襲撃せよ。」また呉班・呉懿を呼び寄せて言い含めた。「そなたたち二人は各一軍を領いて営外に伏せていよ。もし魏兵が来れば、彼らの退路を断て。」孔明は分派を終え、自ら祁山の上に凭れて高みに座った。魏兵は蜀兵が糧食を奪いに来ることを探知し、慌てて孫礼に報告した。孫礼は人を飛ばして曹真に急報した。曹真は人を第一陣の営に遣わし、張虎・楽綝に言い含めた。「今夜、山西で火の手が上がるのを見よ。蜀兵は必ずや救援に来るであろう。出兵し、しかじかとせよ。」二人は計略を受け、楼に登って火の合図を専門に見張る者を置いた。
さて孫礼は軍を山西に伏せ、ただ蜀兵の到来を待った。その夜の二更の頃、馬岱は三千の兵を率いてやって来た。兵士は皆、口に含みをくわえ、馬は皆、口を勒めた。直接山西に到着すると、多くの車両が幾重にも重なり、周りを囲んで営を成しているのを見た。車両の上には虚ろに旌旗が差してあった。折から西南の風が起こり、馬岱は軍士に命じて直接営の南に火を放たせた。車両は全て燃え上がり、火光は天を衝いた。孫礼はただ蜀兵が魏の営寨内に来て火の合図を上げたものと思い、慌てて兵を率いて一斉に討ちかかった。背後からは鼓や角の音が天に響き、二路の兵が殺到した。正しく馬忠・張嶷が魏軍を核心に包囲していたのである。孫礼は大いに驚いた。また魏軍の中から喊声が起こり、一彪の軍が火光の側から殺到して来た。正しく馬岱であった。内外から挟撃され、魏兵は大敗した。火勢は激しく、風勢は急で、人馬は乱れ走り、死ぬ者が数え切れなかった。孫礼は負傷した兵を率い、煙を突き火を冒して逃げ延びた。
さて張虎は営中にあり、火光が天を衝くのを望み見て、大きな寨門を開け放ち、楽綝と共に全ての兵馬を率いて、蜀の営寨に殺到した。寨中には一人も見えなかった。慌てて軍を収めて帰ろうとすると、呉班・呉懿の二路の兵が殺し出し、彼らの退路を断った。張虎・楽綝の二将は慌てて軍の包囲を突き破り、自らの営寨へと奔り帰った。すると土城の上からは、矢が飛蝗の如く飛んできた。なんと関興・張苞に営寨を襲撃されていたのである。魏兵は大敗し、皆曹真の寨に奔り込もうとした。まさに寨に入らんとした時、一彪の敗軍が飛ぶが如く奔って来た。正しく孫礼であった。そこで共に寨に入って曹真に面会し、それぞれ計略にかかった次第を述べた。曹真はこれを聞き、大寨を謹んで守り、再び出戦しなかった。蜀兵は勝ちを得て、帰って孔明に面会した。
孔明は密かに人を遣わして魏延に計略を授け、一方で寨を引き払って全て出立するよう命じた。楊儀が言った。「今や大勝し、魏兵の鋭気を挫き尽くしました。なぜ逆に兵を収めようとされるのですか?」孔明が言った。「我が軍には糧草がない。利は速戦にある。今、彼らが堅く守って出て来なければ、我はその害を受けることになる。彼らは今、一時的に兵に敗れたとはいえ、中原から必ずや増援があろう。もし彼らが軽騎をもって我が糧道を襲撃すれば、その時には帰ろうとしても帰れなくなる。今は魏兵が新たに敗れ、蜀兵を正視する勇気がないのに乗じ、その不意を衝き、機に乗じて退くのである。憂慮すべきはただ魏延の一軍が、陳倉の道口で王双を防いでおり、急には身を脱することができないことだ。既に人を遣わして密計を授け、彼に王双を斬らせ、魏人に追撃を敢えてさせぬようにした。ただ後陣を先に退かせるのみである。」その夜、孔明はただ金鼓だけを寨中に残し、更を打たせた。一夜の間に兵は全て退き尽くし、ただ空の営だけを残した。
さて曹真が寨中で憂悶していると、突然左将軍張郃が兵を率いて到着したとの報せが入った。張郃は馬を下りて帳中に入り、曹真に言った:「某は聖旨を奉じ、特別に参上してご指揮を仰ぎに参りました。」曹真が言った:「かつて仲達に別れを告げたか?」張郃が言った:「仲達の申し付けにはこうありました。『我が軍が勝てば、蜀兵は必ずや直ちには去らぬ。我が軍が敗れれば、蜀兵は必ずや直ちに去るであろう。』今、我が軍が失利した後、都督はかつて人を遣わして蜀兵の消息を探られましたか?」曹真が言った:「いや。」そこで直ちに人を遣わして探らせたところ、果たせるかな空営であり、ただ数十本の旌旗が立っているだけで、兵はすでに二日去っていた。曹真は悔やんでも悔やみきれなかった。
さて魏延は密計を受けて、その夜二更に寨を引き払い、急ぎ漢中へと向かった。早くも細作が王双に報告し、王双は大いに軍馬を駆り出し、力を合わせて追跡した。二十余里追い、今や追い付かんとする様子で、しかも魏延の旗印が前方に見え、大声で叫んだ:「魏延、逃げるな!」蜀兵はますます振り返らない。王双は馬を拍って追いかけた。背後から魏兵が大声で叫んだ:「城外の寨に火が上がりました。恐らく敵の奸計に嵌まりました。」王双が急ぎ馬を止めて引き返そうとした時、見れば一片の火光が天を衝き、慌てて軍を退くよう命じた。山坡の左側に差し掛かった時、突然一騎の馬が林中から躍り出て、大喝して言った:「魏延ここにあり!」王双は大いに驚き、不意を衝かれて措置する間もなく、魏延の一刀の下に馬から斬り落とされた。魏兵は伏兵を疑い、四方に散り散りに逃げた。魏延の手許にはわずか三十騎の人馬があり、漢中に向かって緩やかに進んだ。後の人に詩があり、これを賛す:
孔明の妙算は孫・龐に勝り、耿として長星の一方を照らすが如し。進退行兵、神も測り難く、陳倉の道口に王双を斬る。
そもそも魏延は孔明の妙計を受け、先ず命じて三十名の騎兵を残し、王双の寨の側に伏せさせていた。ただ王双が兵を起こして追跡するのを待ち、彼の営中に火を放ち、その営に帰るのを待ち、不意を衝いて出でてこれを斬り殺すのである。魏延は兵を率いて王双を斬り、漢中に帰って孔明に面会し、人馬を引き渡した。孔明は宴を設けて大いに会したが、それはさて措く。
さて張郃は蜀兵に追い付けず、寨に帰った。忽然と陳倉城の郝昭より人を遣わして申告があり、王双が斬られたとのこと。曹真はこれを聞いて傷心やまず、そのために憂慮して病を成した。そこで洛陽に帰り、郭淮・孫礼・張郃に命じて長安の各道を鎮守させた。
さて呉主の孫権が臨朝すると、探子が来て報告した:「蜀国の諸葛丞相が兵を二度出し、魏国の都督曹真は兵を損ない将を失いました。」そこで群臣は皆、呉王に兵を起こして魏を討ち、以って中原を図るよう勧めたが、孫権は決断しかねていた。張昭が奏上して言った:「近頃、武昌の東山に、鳳凰が来儀したと聞き及んでおります。大江の中には、黄龍がたびたび現れました。主上の徳は堯・舜に比すべく、聖明は文王・武王に比すべく、皇帝の位に即かれ、然る後に兵を起こされるのが宜しうございます。」衆官も皆呼応して言った:「子布の言はもっともでございます。」そこで夏四月丙寅の日を選び、武昌の南郊に壇を築いた。その日、群臣は孫権に請うて壇に登り皇帝の位に即かせ、黄武八年を改めて黄龍元年とした。父の孫堅を武烈皇帝と追諡した。母の呉氏を武烈皇后とした。兄の孫策を長沙桓王とした。子の孫登を皇太子に立てた。諸葛瑾の長子の諸葛恪を太子左輔とし、張昭の次子の張休を太子右弼と任命した。
諸葛恪は字を元逊といい、身の丈七尺、非常に聡明で、応対が巧みであった。孫権は彼を大いに愛した。彼が六歳の時、東呉の宴に際し、諸葛恪は父に従って座にあった。孫権は諸葛瑾の顔が長いのを見て、そこで人に命じて一頭の驢馬を牽かせ、粉筆で驢馬の顔に書き付けた:「諸葛子瑜」。衆人は皆大笑した。諸葛恪は早足でその前に到り、粉筆を取って下に二字を書き加えた:「諸葛子瑜之驢」。満座の者、驚かぬ者はなかった。孫権は大いに喜び、そこで驢馬を彼に賜った。またある日、大いに官僚を宴し、孫権は諸葛恪に命じて酒を注がせた。張昭の前に巡ると、張昭は飲まずに言った:「これは老者を養う礼ではござらぬ。」孫権は諸葛恪に言った:「汝は子布をして無理にでも飲ませることができるか?」諸葛恪は命を受け、そこで張昭に向かって言った:「昔、姜尚父は年九十にして、旌旗斧鉞を手にし、未だ嘗て老いを言わず。今、陣に臨む日に、先生は後ろに在り、酒を飲む日に、先生は前に在る。どうして老いを養わずと言えようか?」張昭は言い返す言葉がなく、やむなく無理に飲み干した。孫権はこのために彼を愛し、故に命じて太子を輔佐させた。張昭は呉王を輔佐し、三公の上に列したので、その子の張休を以って太子右弼とした。また顧雍を丞相とし、陸逊を上将軍とし、太子を輔佐して武昌を鎮守させた。孫権はまた建業に帰った。群臣は共に魏を伐つ策を議した。張昭が奏上して言った:「陛下は即位されたばかり、兵を動かすべからず。ただ文を修め武を偃め、学校を増設し、以って民心を安んじ、使いを蜀に入れ、蜀と同盟し、共に天下を分かち、徐々に図るのが宜しうございます。」
孫権はその言葉に従い、直ちに使いに命じて星夜のうちに蜀に入らせ、後主に面会させた。礼を終え、詳細にこの事を奏上した。後主はこれを聞き、そこで群臣と議した。衆人の議論は皆、孫権は僭越であるとして、盟約を絶つべきだとするものだった。蒋琬が言った:「丞相に問う人を遣わすべきでございます。」後主は直ちに使いを漢中に遣わして孔明に問わせた。孔明が言った:「人を遣わし礼物を携えて呉に入り祝賀し、陸逊に兵を起こして魏を伐つよう請うのが宜しうございます。魏は必ずや司馬懿に命じて彼を防がせましょう。司馬懿がもし南に東呉を拒めば、我は再び祁山に出で、長安は図ることができましょう。」後主は言に従い、そこで太尉の楊震に命じ、名馬・玉帯・金珠・珍宝を携えさせ、呉に入り祝賀させた。楊震は東呉に到り、孫権に面会し、国書を差し出した。孫権は大いに喜び、宴を設けてもてなし、彼を帰蜀させた。孫権は陸逊を召し入れ、西蜀が約して兵を起こし魏を伐つ事を告げた。陸逊が言った:「これは孔明が司馬懿を恐れる計略でございます。既に彼と同謀し、従わざるを得ません。今、我は虚勢を張って兵を起こし、遠く蜀兵と呼応いたしましょう。孔明が魏を攻めて緊急の時に及べば、我は虚に乗じて中原を攻め取ることができましょう。」直ちに下令し、荊襄の各所に命じて人馬を訓練させ、日を選んで兵を起こさせた。
さて陳震は漢中に帰り、孔明に報告した。孔明はなお陳倉が容易に攻められぬことを憂え、先ず人を遣わして偵察させた。報告が来て言った:「陳倉城中の郝昭、病重し。」孔明が言った:「大事成ったり。」そこで魏延・姜維を呼び寄せ、申し付けた:「汝ら二人は五千の兵を率い、星夜のうちに陳倉城下に直奔せよ。もし火の起こるを見ば、力を合わせて城を攻めよ。」二人ともあまり信じず、来てまた問うた:「何日に行くべきか?」孔明が言った:「三日の内に全て準備を整えよ。辞するに及ばず、直ちに起行せよ。」二人は計略を受けて去った。また関興・張苞を呼び寄せ、耳に近づけて低声で言い含めた。かくかくしかじかと、二人は各々密計を受けて去った。
さて郭淮は郝昭の病重きを聞き、そこで張郃と議して言った:「郝昭の病重し、汝は速やかに行きて彼を替われ。我は自ら表章を書きて朝廷に申告し、別に定奪を求めん。」張郃は三千の兵を率い、急ぎ来りて郝昭を替えようとした。時に郝昭は病危篤にあり、その夜まさに呻吟の間、忽然と蜀兵が城下に到ったとの報せあり。郝昭は急ぎ人に命じて城に上り守らせた。この時、各門に火が起こり、城中大いに乱れた。郝昭はこれを聞いて驚き、死した。蜀兵は一斉に城に押し入った。
さて魏延・姜維は兵を率いて陳倉城下に到り見た時、一面の旗印もなく、また打ち更えの者もなかった。二人は驚き疑い、敢えて城を攻めなかった。忽然と一声の砲響を聞き、四面の旗幟が一斉に立ち上がった。一人の人物を見れば、頭には綸巾を戴き、手には羽扇を揺らし、身には鶴氅の道袍を着て、大声で言った:「汝ら、来るのが遅かった。」二人が見れば、それは孔明であった。二人は慌てて馬を下り、跪き伏して言った:「丞相はまことに神機妙算にございます!」孔明は命じて彼らを城中に入れ、二人に言った:「我は郝昭の病重きを探り知り、我は汝らに三日の内に兵を率いて城を取れと命じた。これは衆人の心を安定させるためであった。我は関興・張苞に命じ、ただ軍を点ずると言わせ、密かに漢中を出でさせた。我は軍中に身を隠し、星夜に道を倍して直ちに城下に到り、彼らに兵を調えさせなかった。我は早くに探子を城内に置き、火を放ち喊声を上げさせて助けとし、魏兵を驚かせ疑わせた。兵に主将なければ、必ずや自ら乱れん。我はこの故に城を取り、反掌の如く易し。兵法に言う、『其の意を出さず、其の備え無きを攻む』とは、正にこれを言うのである。」魏延・姜維は拝伏した。孔明は郝昭の死を憐れみ、その妻と子に命じて霊柩を魏に送らせ、以ってその忠誠を表彰した。
孔明、魏延・姜維に謂いて曰く、「汝ら二人、暫く甲を卸すこと勿れ。兵を領いて散関を襲うべし。守関の者、兵の至るを知らば、必ず驚き慌てて逃げ去らん。若し少しく遅れれば、魏兵関に到り、攻め難くなりぬ。」魏延・姜維、命を領き、兵を領いて直ちに散関に到る。守関の者、果たして皆逃げ去れり。二人、関に上り、甲を卸さんと欲する時、遥かに関外に塵土大いに起こり、魏兵到来す。二人相謂いて曰く、「丞相の神算、測るべからず!」急ぎ楼に登りて看れば、魏将張郃なり。二人、即ち兵を分けて険道を守る。張郃、蜀兵の要道を守るを見て、即ち軍を退くことを命ず。魏延、後に随いて一陣を追い殺す。魏兵の死する者、計り知れず、張郃大敗して去る。魏延、関上に帰り、人を遣わして孔明に報ず。孔明、先ず自ら兵を領き、陳倉斜谷より出で、建威を攻め取る。後に蜀兵、陆续進発す。後主、又大将陳式を命じて来たり助戦せしむ。孔明、大軍を駆りて再び祁山に出づ。営寨を安んじ、孔明、衆人を集めて曰く、「我、二度祁山に出でて、未だ良い所を得ず。今またここに到る。我、魏人必ず旧戦の地に依りて、我と相敵すと料る。彼ら我が雍・郿の二処を攻め取らんと料り、必ず兵を遣わして拒み守らん。我、武都・陰平の漢中と連接するを見る。若し此の二郡を得ば、亦魏兵の勢いを分散することを得ん。誰か敢えて取りに行かん?」姜維曰く、「我、願わくば行かん。」王平も亦曰く、「我も亦願わくば行かん。」孔明、大いに喜ぶ。即ち姜維に命じて兵一万を領き武都を攻め取り、王平に兵一万を領き陰平を攻め取らしむ。二人、計策を領きて去る。
又、張郃、長安に帰り、郭淮・孫礼に見えて曰く、「陳倉已に失われ、郝昭已に死し、散関も亦蜀兵に占められたり。今、孔明再び祁山に出で、道を分かちて兵を進む。」郭淮、大いに驚きて曰く、「若し此くの如くならば、必ず雍・郿を攻め取らんとす!」即ち張郃を留めて長安を守らしめ、孫礼に命じて雍城を保たしむ。郭淮、自ら兵を領き、星夜郿城に来たり守禦す。一方、表章を書き、洛陽に到りて急を告ぐ。
ここに魏主曹叡、朝に上れば、近臣啓奏して曰く、「陳倉城已に失守し、郝昭已に陣亡し、諸葛亮又祁山に兵を出だし、散関も亦蜀軍に奪い占められたり。」曹叡、大いに驚く。忽然として又人奏して曰く、満寵等、表を上せて言う、「東吴の孫権、僭越して帝と称し、蜀国と盟を結び、今、陸逊を武昌に遣わして人馬を訓練し、調遣を聴く。朝夕の間、必ず来たり犯さんとす。」曹叡、両処共に危急と聞き、措置を失い、挙措驚慌す。此の時、曹真の病、未だ癒えずして、司馬懿を召して議す。司馬懿曰く、「臣の愚見を以て推せば、東吴必ず兵を出ださじ。」曹叡曰く、「汝、何を以て知る?」司馬懿曰く、「孔明、常に猇亭の仇を報いんと欲し、東吴を吞まんと欲せざるに非ず。只だ中原の虚に乗じて襲わんことを恐れ、故に暫く東吴と盟を結ぶ。陸逊も亦其の意を知り、故に出兵の勢いを仮りて之に応ずるも、実に坐して成敗を観るのみ。陛下、東吴を防ぐに及ばず、只蜀国を防ぐのみ。」曹叡曰く、「汝、真に高見なり!」即ち司馬懿を封じて大都督と為し、隴西の各路の兵馬を総領せしめ、近臣に命じて曹真の総兵将印を取り来たらしむ。司馬懿曰く、「臣、自ら取りに行かん。」即ち帝に辞し出朝し、直ちに曹真の府に来たり、先ず人をして府に入りて通報せしめ、司馬懿、乃ち入りて拝見す。
病状を問慰し終わり、司馬懿曰く、「東吴・西蜀、連合して兵を出だし侵す。今、孔明又祁山に出でて営を扎す。明公、知りたまうか?」曹真、驚きて曰く、「吾が家人、我が病重きを知り、我に知らしめず。此くの如き国家の危急、何ぞ仲達を都督に拝して、蜀兵を退けざる?」司馬懿曰く、「我、才疎智浅にして、其の職に称わず。」曹真曰く、「印を取りて仲達に与えよ。」司馬懿曰く、「都督、過ぐるに慮る勿れ。我、願わくば一臂の力を助けんも、只だ敢えて此の印信を受けず。」曹真、跳び上がりて曰く、「若し仲達、此の重任を受けずんば、中原危うし!我、病を抱えて天子に見え、来たりて汝を保たん!」司馬懿曰く、「天子已に恩命有り。只だ司馬懿、敢えて受けざるのみ。」曹真、大いに喜びて曰く、「仲達、今此の重任を受くれば、蜀兵を退くることを得ん。」司馬懿、曹真の再三印を譲るを見て、乃ち受け、魏主に辞し、兵を領いて長安に来たり、孔明と決戦せんとす。正に是れ:
旧帥の印は新帥に取られ、両路の兵は只一路来たる。
旧帥の印は新帥に取られ、両路の兵は只一路来たる。
勝負如何に、且く下文の分解を看よ。
