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大雅

雲漢

第 24 篇

『雲漢』

序:『雲漢』は、仍叔が宣王を賛美した詩である。宣王は厲王の暴政を継いだが、心に乱を正し治に返さんとする志を抱き、災禍に遭って戒め懼れる心を生じた。自らを省みて徳を修め、災いを除かんと欲した。天下の人々は王の教化が再び行われることを喜び、百姓は君主が国を憂い民を思うのを見て、この詩を作った。

あの雄大なる天の川は、光り輝きつつ天上を巡る。王は言う。「ああ、何の罪があって、今の人々は?天は喪乱を降し、飢饉が絶え間なく続く。どの神々にも祭祀を捧げず、犠牲の供え物を惜しんだことはない。玉圭も玉璧も尽き果てたのに、どうして我が祈りを聞き入れ給わぬのか。」

旱害はすでに甚だしく、暑気は積もり、熱気は立ち上る。祭祀の煙は絶えることなく、郊外から宗廟に至るまで絶え間ない。天の神を祀り、地の神を祭り、どの神々も尊ばずにはおかなかった。后稷は庇護せず、上帝は降り給わない。地は枯れ果てて壊れ、この災いがひとえに我が身に降りかかる。

旱害はすでに甚だしく、逃れ避けることはできない。我は慎み畏れ、勤め励み、あたかも雷霆に立ち向かうかのようだ。周の残る民は、ほとんど一人も残っていない。蒼天の上帝は、我らを留め置き給わない。どうして互いに畏れ敬わずにおられようか。先祖の基業はまさに壊れようとしている。

旱害はすでに甚だしく、止め防ぐことはできない。太陽は炎々と熱を放ち、我に身を置く場所なしと言う。命の期限は尽きようとし、仰ぎ見るものも顧みるものもない。諸々の公卿や先世の賢臣たちは、我を助けに来ない。父母と先祖は、どうしてこのように我を忍び給うのか。

旱害はすでに甚だしく、山川の草木は枯れ果てた。旱魃が虐げること、火が燃え盛るかのようだ。我が心は暑さを畏れ、憂いは燻るように苦しい。諸々の公卿や先世の賢臣たちは、我が苦しみを聞き入れようとしない。蒼天の上帝よ、まさに我を逃れ去らせ給うのか。

旱害はすでに甚だしく、我は力を尽くして支えるが去ることを恐れる。なぜひとえに旱害をもって我に災いを降すのか、その理由を全く知らない。豊年を祈ることはすでに行い、四方の神や社神を祀ることも遅らせなかった。蒼天の上帝は、我を顧み恤み給わない。我は敬んで神明に仕え、本来恨みや怒りを招くことはなかったはずだ。

旱害はすでに甚だしく、民は散り散りになり、法紀も綱常もない。多くの官は窮乏し、冢宰は憂労して病む。趣馬、師氏、膳夫、左右の近臣たち、一人として民を救済せぬ者はないが、災いを防ぐことはできない。天を仰ぎ見て、一体どうすればよいのか。

天を仰ぎ見れば、星々はきらめいている。大夫や君子たちよ、誠を尽くして祈り、惜しみ残すところはない。命の期限は尽きようとしている、あなたがたの功業を放棄してはならない。我が求める所は己のためではなく、諸々の官を安んじるためである。天を仰ぎ見て、いつになったら安寧を賜うのか。

『雲漢』は八章あり、各章十句である。