国風
黍離
第 65 篇
序:「黍離」は、周の宗廟や社稷を哀れむ詩である。周の大夫が公務で外出し、周の旧都に至り、かつての宗廟や宮室の跡を過ぎると、すべてが黍や稷の田地と化していた。周の滅亡を哀れみ、彷徨い躊躇して去り難く、この詩を書き記した。
あの黍は茂り整い、あの高粱は若芽を伸ばす。我はゆるゆると道を歩み、心は揺れ動いて安らかでない。
我を知る者は、我が心に憂いありと言う。我を知らぬ者は、我が何を求めるのかと問う。悠遠なる蒼天よ、これはいったい誰が為したことか!
あの黍は茂り整い、あの高粱は穂を出す。我はゆるゆると道を歩み、心は昏れて酔えるがごとし。
我を知る者は、我が心に憂いありと言う。我を知らぬ者は、我が何を求めるのかと問う。悠遠なる蒼天よ、これはいったい誰が為したことか!
あの黍は茂り整い、あの高粱は実を結ぶ。我はゆるゆると道を歩み、心は塞がって噎せるがごとし。
我を知る者は、我が心に憂いありと言う。我を知らぬ者は、我が何を求めるのかと問う。悠遠なる蒼天よ、これはいったい誰が為したことか!
「黍離」三章、各章十句。
