第二回 王教頭私走延安府 九紋龍大鬧史家村
第二回 王教頭、私かに延安府を去る 九紋龍、史家村を大いに騒がす
さて、その時の住持の真人が洪太尉に申し上げた。「太尉はご存知ありません。この殿には、かつて祖老天師の洞玄真人が法符を伝え、こう申し置かれました。『この殿の中には、三十六員の天罡星と七十二座の地煞星、合わせて百八人の魔君が鎮められている。その上に石碑を立て、龍章鳳篆の天符を刻み、ここに封じ込めてある。もし彼らを世に出せば、必ずや下界の生民を乱すであろう』と。今、太尉が彼らを逃がしてしまわれました。これは一体どうすればよいのでしょうか?」これを証する詩がある。
千年の幽閉、扉ひとたび開かれ
天罡地煞、泉台より現る。
もとより事なければ、却って事を生じ
もとより災いを消さんとして、かえって災いを招く。
国家ここより紛紛として
戦乱、到る処に沸沸として鬧う。
高俅の奸佞、憎むべきも
洪信ここに禍胎をなす。
この時、洪太尉はこれを聞き終えると、全身に冷や汗が流れ、震えが止まらなかった。急ぎ行李をまとめ、従者を連れて山を下り、都へと帰った。真人と道衆は役人を見送った後、自ら宮内に戻り、殿宇を修繕し、改めて石碑を立て直したが、これらは言うに及ばない。
また、洪太尉は途中で従者に命じ、この妖魔を逃がしたことを外部に話さないように言い含めた。天子が知れば責めを受けるのを恐れたからである。道中、他に語ることもなく、夜を徹して都へと急ぎ、汴梁城に入ると、人々がこう言うのを聞いた。「天師は東京の皇宮で七昼夜の法事を行い、広く符籙を施し、災いを消し病を治し、疫病は全て除かれ、軍民共に平安となった。天師は朝廷に別れを告げ、鶴に乗り雲を駆って、自ら龍虎山へ帰られた」と。洪太尉は翌日の早朝、天子に拝謁し、上奏した。「天師は鶴に乗り雲を駆って、まず都に到着されました。臣等は駅伝を経て急ぎ参り、ようやくここに到着した次第でございます」と。仁宗はこれを許可し、洪信に恩賞を与え、元の官職に復させた。これもまた言うに及ばない。
その後、仁宗天子は在位四十二年にして崩御された。太子がおらず、濮安懿王允讓の子、太宗皇帝の孫に位を伝え、帝号を英宗と立てた。在位四年、太子神宗に位を伝えた。神宗は在位十八年、太子哲宗に位を伝えた。その頃、天下は太平で、四方に事はなかった。
さて、東京開封府汴梁宣武軍に、ひとりの浮浪の破落户の子弟がいた。姓は高、行きは二番目で、幼い頃から正道に務めず、ただ槍を突き棒を振るうのを好み、最も得意としたのは蹴鞠であった。都の人々は口慣れて、彼を高二とは呼ばず、皆で高毬と呼んだ。後に出世すると、鞠の字の毛偏を取り去り、人偏を加えて、姓を高、名を俅と改めた。この人物は、吹弾歌舞、槍術棒術、相撲や遊び、詩や書や詞や賦もいい加減に学んでいた。しかし、仁・義・礼・智・信・行・忠・良については、全く持っていなかった。ただ東京の城内城外で、閑人たちの相手をして過ごしていた。ある時、生鉄王という金持ちの息子の金使いの相手をし、毎日のように瓦市や遊郭で遊び呆け、酒色に溺れたため、その父親が開封府に告訴状を出した。府尹は高俅に二十回の脊杖を科し、領外へ追放する処分とした。東京の者は彼を家に泊めたり食事を与えたりしてはならなかった。高俅はやむを得ず、淮西の臨淮州へ行き、賭博場を開いている無頼の男、柳大郎、名を柳世権という者のもとへ身を寄せた。この男は平生、客を迎え入れ、閑人を養い、四方八方のろくでもない連中を招き入れるのを好んだ。高俅は柳大郎の家に身を寄せ、三年滞在した。
その後、哲宗天子が南郊で天を祭ったところ、風雨が順調に訪れ、恩赦を広く施し天下の罪を赦した。高俅は臨淮州で罪の赦免を得て、東京に帰ろうと思った。この柳世権は、東京の城の金梁橋の下で生薬舗を営む董将士という者の親戚であったため、手紙を書き、礼物と旅費を用意し、高俅を東京に帰し、董将士の家に身を寄せて暮らすようにさせた。
その時、高俅は柳大郎に別れを告げ、包みを背負い、臨淮州を出発し、一路東京へと帰り、まっすぐに金梁橋の下の董生薬の家へ行き、手紙を差し出した。董将士は高俅を見、柳世権の手紙を読むと、心の中でこう考えた。「この高俅を、我が家でどうして落ち着かせられよう!もし忠実で真面目な人間なら、家に出入りさせ、子供たちにも良いことを学ばせられるのだが。彼は無頼の破落户で、節義もない者だ。それに加えて、かつて罪を犯し追放された身だ。古い性分は決して改めるまい。もし家に留めれば、かえって子供たちが悪を学ぶことになる。もし受け入れなければ、柳大郎の顔を潰すことになる。」その場は仕方なく、ひとまず喜んで迎えたふりをして、家に泊め、毎日酒や肉でもてなした。十日余り住んだ後、董将士は一計を案じ、一揃いの衣服を用意し、手紙を書き、高俅に言った。「私の家は蛍の光のようなもので、人を照らすには足りません。後日、あなた様のご出世の妨げになることを恐れます。あなた様を小蘇学士のもとへご紹介いたしましょう。後々、身を立てる道も開けましょう。あなた様のご意向はいかがですか?」高俅は大いに喜び、董将士に礼を述べた。董将士は使いの者に手紙を持たせ、高俅を連れて、学士の屋敷へと向かわせた。門番が小蘇学士に取り次ぎ、学士が出てきて高俅に会い、手紙を読んで、高俅がもとは無頼の浮浪者であることを知り、心の中で考えた。「ここでどうして彼を落ち着かせられよう!いっそ義理を立てて、彼を驸馬の王晋卿の屋敷に推薦し、随身にしよう。人々は彼を『小王都太尉』と呼んでいる。彼はこういう者を好むのだ。」その場で董将士に返事を書き、高俅を屋敷に一晩泊めた。翌日、手紙を書き、使いの者に命じて、高俅を小王都太尉のところへ送らせた。
この太尉は、哲宗皇帝の妹婿、神宗皇帝の驸馬であった。彼は風流な人好きで、まさにこうした者を必要としていた。小蘇学士が使いの者に手紙を持たせてこの高俅を送って来たのを見ると、拝謁の後、大いに喜んだ。すぐに返事を書き、高俅を屋敷内に随身として迎え入れた。これより高俅は幸運に恵まれ、王都尉の屋敷に出入りし、家族同然となった。古来より言う、「日に遠ざかれば日に疎くなり、日に近づけば日に親しくなる」と。ある日、小王都太尉が誕生日を祝い、屋敷で宴席を用意し、特に義弟の端王を招いた。この端王は神宗天子の第十一子、哲宗皇帝の御弟で、現在は東宮を掌管し、番号は九大王と呼ばれ、聡明で美しい人物であった。この浮浪の子弟の風儀や、無頼の道楽に、知らぬものはなく、出来ぬものはなく、まして好まぬものはなかった。琴、棋、書、画は全てに通じ、蹴鞠や弾弓、笛や琴、吹弾歌舞は言うまでもない。その日、王都尉の屋敷では宴席が設けられ、山海の珍味が全て揃っていた。見よ。
宝鼎には香が焚かれ、金瓶には花が挿してある。
仙音院は競って新曲を奏で、教坊司はしきりに妙技を披露する。
水晶壺の中は、全て仙府の瓊漿。
琥珀の杯には、満々と瑶池の玉液が湛えられている。
玳瑁の盤には仙桃と異果が盛られ、
玻璃の碗には熊掌と駝蹄が供される。
魚の切り身は銀糸のように細く、
茶は玉蕊のように精巧に淹れられる。
紅裙の舞女は、皆象板と鸞簫に合わせて舞い、
翠袖の歌姫は、龍笙と鳳管に囲まれて歌う。
二列の珠玉のごとき娘たちが階前に立ち、
一片の笙歌が座席を巡る。
さて、この端王が王都尉の屋敷に宴に赴くと、都尉は席を設け、端王を中央の主座に招き、都尉が向かい側に陪座した。酒を数杯飲み、料理が二巡した頃、端王は立ち上がって手を洗い、折よく書斎へ行って少し休んだ。すると、ふと書案の上に、羊脂玉で碾き出した一対の文鎮の獅子があるのを目にした。出来栄えが非常に良く、細かく精巧で美しかった。端王は獅子を手に取り、愛しげに手放さずにひとしきり眺めて言った。「見事だ!」王都尉は端王が気に入ったのを見て、言った。「もう一つ、玉龍の筆架もございます。同じ職人の一手で作ったものでございますが、今は手元にございません。明日取り寄せて、併せてお贈りいたします。」端王は大いに喜んで言った。「厚意、深く感謝いたします。その筆架、きっとさらに精妙なものでありましょう。」王都尉は言った。「明日取り出して、宮中へお届けすればお分かりいただけましょう。」端王はまた礼を述べた。二人は再び席に着き、夕方まで酒を飲み、限りなく酔ってから散会した。端王は別れを告げて宮中へ帰った。
翌日、小王都太尉は玉龍筆架と二つの鎮紙玉獅子を取り出し、小さな金の箱に納め、さらに黄羅の包みで包み、書状を一通したためて、高俅に届けさせた。高俅は王都尉の命令を受け、この二つの玉の玩物を携え、懐に書状を入れ、まっすぐ端王の宮中へ向かった。門番の役人が院公に取り次いだ。間もなく、院公が出てきて尋ねた。「お前はどこの邸の者か。」高俅は礼を済ませてから答え、「小さい者は王駙馬の邸の者であります。特に玉の玩物を差し上げに参りました。」院公は言った。「殿下は庭で小太監と毬を蹴っておられる。お前自身で行かれよ。」高俅は言った。「お手数ですが、お導きくださいませ。」院公が彼を庭の前まで連れて行くと、高俅が見ると、端王は軟紗唐巾をかぶり、紫色の繍龍袍を身にまとい、腰には文武双穗の絛を締め、繍龍袍の前襟をまくり上げて括り、絛の端に挟んでいた。足には金糸を象嵌した飛鳳靴を履き、三、五人の小太監が彼に付き添って毬を蹴っていた。高俅はあえて近づいて邪魔をせず、従者の後ろに立って待っていた。また、高俅はまさに出世すべき時、運が巡って来たのであり、その毬がふわりと舞い上がり、端王が受け損ねて、まっすぐ群衆の中の高俅のそばまで転がって来た。高俅は毬が飛んで来るのを見て、一時に大胆にも鴛鴦拐という技を使い、端王に蹴り返した。端王はこれを見て大いに喜び、すぐに尋ねた。「お前は何者か。」高俅は前に進み出て跪き、「小さい者は王都尉の側近でございます。主人の命により、二つの玉の玩物を差し上げに参りました。書状もここにございます。」端王は聞き終えて、笑って言った。「義兄はそこまで気にかけてくださるのか。」高俅は書状を取り出して差し出した。端王は箱を開けて玩物を見ると、すべて堂候官に渡して収めさせた。
その端王はひとまず玉の玩物の行方は顧みず、先に高俅に尋ねた。「お前はもともと毬を蹴ることができたのか!お前の名は何という。」高俅は拱手して跪き、「小さい者は高俅と申します。いい加減に幾足か蹴るだけでございます。」端王は言った。「よし!お前は場に下りて一興、蹴ってみよ。」高俅は拝して言った。「小さい者は何ほどの者でございましょうか。よくも恩王と共に毬を蹴ることができましょうか。」端王は言った。「これは‘斉雲社’と言い、‘天下円’と名付けてある。ただ蹴るだけでよい。何の差し支えがあろう。」高俅は再び拝して言った。「恐れ多いことでございます!」再三再四辞退したが、端王がどうしても彼に蹴らせようとしたので、高俅はやむを得ず叩頭して謝罪し、膝を解いて場に下りた。わずか数足蹴っただけで、端王は喝采した。高俅はやむを得ず、平生の技をすべて出し切って、端王に取り入った。その身のこなしや様子は、毬がまるで膠で身に貼り付いたかのようであった。端王は大いに喜び、どうして高俅を邸に帰すことを許そうか、そのまま宮中に留めて一夜を過ごさせた。
翌日、端王は宴を設け、特に王都尉を宮中に招いて宴に臨ませた。さて、王都尉はその夜、高俅が戻って来ないのを見て、まさに怪しみ考えあぐねていたところ、翌日門番が来て報告した。「九大王が使いを遣わして令旨を伝えさせられ、太尉を宮中に招いて宴に臨ませたいとのことでございます。」王都尉は出て来て、その者たちに会い、令旨を見て、すぐに馬に乗り、九大王の邸前に至り、馬を下りて宮中に入り、端王に会った。端王は大いに喜び、あの二つの玉の玩物を謝した。席に着いて酒宴の間、端王が言った。「この高俅は見事な毬を蹴る。朕は彼を側近に欲しいと思うが、どうであろうか。」王都尉は答えた。「殿下がもしこの人を用いられるならば、そのまま宮中に留めて殿下にお仕えさせなさいませ。」端王は喜び、杯を挙げて謝した。二人はまたしばらく雑談し、夜になって宴は散じた。王都尉は自ら駙馬府へ帰って行った;それはひとまず措く。
さらに、端王は高俅を呼び寄せてからというもの、彼を宮中に泊め食事を共にし、高俅はこれにより端王の目に留まり、毎日付き従い、寸刻も離れなかった。二月と経たないうちに、哲宗皇帝が崩御され、皇太子がおられなかったので、文武百官が議し、端王を天子に冊立し、帝号を徽宗とし、すなわち玉清教主微妙道君皇帝と為した。即位の後、しばらくは何事もなかった。ところがある日、突然、高俅に言った。「朕はお前を抜擢したいと思うが、しかし辺境の功労がなければ昇進は叶わぬ。先ず枢密院にお前の名を登録させ、ただ御前に随伴して昇進する者として扱う。」その後、半年も経たないうちに、直接高俅を殿帥府太尉の職に抜擢した。正に:
貴賤を問わず斉雲社、ひたすら曖昧に天下円。高俅を毬の力で持ち上げ、全ては手足で権勢を弄る。
さて、高俅が殿帥府太尉となり、吉日良辰を選んで、殿帥府に赴任した。全ての属すべき公吏衙将、都軍監軍、馬歩の人々など、ことごとく参拝し、それぞれ手本を差し出し、名簿を開陳した。高殿帥は一つ一つ点検し、その中でただ一人、八十万禁軍教頭の王進だけが欠けていた。半月前に、既に病状を官府に届け出ており、病が全癒せず、役所に来て事務を執っていなかったのである。高殿帥は大いに怒り、叫んだ。「馬鹿なことを言うな!手本が差し出されている以上、あの男が官府に逆らい、下官をごまかそうとしているに違いない!この男は病と称して家にいるに違いない。すぐに連れて来い。」すぐに使いを王進の家に遣わし、王進を捕らえさせた。さて、この王進には妻はおらず、ただ一人の老母がおり、年は既に六十歳を超えていた。牌頭が教頭王進に言った。「今、高殿帥が新たに赴任され、あなた様を点呼された際に欠けておられたので、軍正司があなた様が病気で家におられると申し上げました。現在、病状の届け出が官府にございます。高殿帥は焦っておられ、どうして信じられましょうか。必ずやあなた様を捕らえようとされ、あなた様が病と称して家にいるものとお考えです。教頭、どうかお出でくださいませ。もしお出でにならなければ、きっと我々のような小さな者たちに累が及びます。」
王進はこれを聞き終えると、やむを得ず病身を引きずってやって来た。殿帥府の前に至り、太尉に拝謁し、四拝してから、身をかがめて唱喏し、立ち上がって傍らに立った。高俅が言った。「この男、お前は都軍教頭王升の息子か。」王進は申し上げた。「小さい者がその者でございます。」高俅は叫んだ。「この野郎、お前の父は街市で花棒を振り回して薬を売っていた者だ。お前に何の武芸が分かるというのか。前任の官は目がなく、お前を教頭に推挙した。お前はよくも私を軽んじ、私の点呼に従わなかったな!誰の威光を頼んで、病と称して家にいて、安閑と楽しんでいるのだ。」王進は申し上げた。「小さい者がどうしてそのようなことを致しましょう。実は病が全癒しておりませぬのです。」高太尉は罵った。「この賊の配流人、お前が病にかかっているのなら、どうして来たのだ。」王進はまた申し上げた。「太尉がお呼びになれば、どうして参らぬことがありましょうか。」高殿帥は大いに怒り、左右に命じて叫んだ。「捕らえろ、力いっぱいこの野郎を打ち据えよ。」多くの牙将は皆、王進と親しかったので、やむを得ず軍正司と共に申し上げた。「本日は太尉のご就任の良い日でございます。ひとまずこの者を今回だけお許しくださいますよう。」高太尉は叫んだ。「この賊の配流人、ひとまず諸将の顔を立てて、今日は許してやる。明日、またお前と決着をつける。」王進は謝罪した後、立ち上がって顔を上げて見ると、高俅であると分かった。役所を出て、嘆息して言った。「我が命、この度は助かるまい。何の高殿帥かと思えば、まさに東京の無頼漢の‘円社’高二であったか。かつて彼が棒術を習おうとした時、我が父が一打ちで打ち倒し、三、四ヶ月床に就かせたことがあり、これに恨みがあるのだ。彼が今や出世し、殿帥府太尉となり、まさに復讐を企んでいる。思いがけず、私が彼の管轄下に落ちてしまった。古えより言う、‘官を恐れず、管轄を恐れよ’と。私はどうして彼と争えようか?どうすればよいのか。」家に帰り、憂鬱で楽しまなかった。母にこの事を告げると、母子二人、抱き合って泣いた。母が言った。「我が子よ、三十六計、逃げるに如かず――ただ逃げ場がないのが心配だ。」王進は言った。「母上の仰せの通りでございます。子も考えましたが、同じ思いでございます。ただ延安府の老種経略相公が辺境を守っておられ、その麾下の军官には、かつて都に来た者も多く、子が槍棒を使うのを好んでおります。逃げて彼らのもとに身を寄せては如何でしょうか。あそこは人を用いる場所で、身を安んじ命を立てるに足ります。」正に:
人を用いる人こそ、人は初めて用いられる。己の才を恃み用いる者は、人は人に送られる。彼の地に賢を得れば、此の方は重みを失う。若し引き連れ行かば、惜しむべく痛むべし。
その時、親子は相談を定めた。彼の母がまた言った。「我が子よ、お前と私が内緒で逃げるにしても、ただ門前にいる二人の牌軍が、殿帥府からお前に仕えるようにと派遣された者たちだ。彼らが知れば、必ずや逃げ切れまい。」王進は言った。「差し支えございません。母上、ご安心ください。子には彼らを扱う策がございます。」
その日の夕暮れ、まだ暗くなりきらぬうちに、王進は先ず張牌を呼び入れ、指図して言った。「お前は先に夕飯を済ませよ。私はお前をある場所へ使いに出そうと思う。」張牌が「教頭は小人をどこへ遣わされるのですか?」と尋ねると、王進は言った。「私は先日病にかかり、酸棗門外の岳廟で香を立てる願をかけた。明朝早く、一番香を焚きに行くのだ。お前は今夜のうちに廟の神主に言い含め、明日早く廟の門を開けさせ、私が一番香を焚きに来るのを待つように。ついでに三牲を整え、劉李王に供えるのだ。お前は廟で泊まって私を待っておれ。」張牌は承知し、先に夕飯を済ませ、寝所の用意を願い出て、廟へ向かった。
その夜、母子二人は行李、衣服、貴重品、銀両をまとめ、一つの天秤棒に担いだ。また、二つの飼料袋と風呂敷包みを拵え、馬に結び付けた。五更の頃、空がまだ明けきらぬうちに、王進は李牌を呼び起こし、指図して言った。「お前は私に代わってこの銀両を持ち、岳廟へ行き、張牌と共に三牲を買って煮込んで、そこで待っておれ。私は紙銭や蝋燭を買って、すぐに後から行く。」李牌は銀を持って廟へ向かった。
王進は自ら馬の用意をし、厩から引き出し、飼料袋と風呂敷包みを鞍に載せ、縄でしっかりと縛り、裏門の外へ引き出し、母を馬に乗せた。家の中の重い道具類は全て捨て、前後の戸に錠を下ろし、天秤棒を担いで、馬の後に従った。五更の空がまだ暗いうちに、そのまま西華門を出て、延安府へ向かう道を取った。
話は戻るが、あの二人の牌軍は祭具を買い、煮込んだ。廟で巳の時まで待ったが、誰も来ない。李牌は焦り始め、家へ走って帰ってみると、門には錠が下りており、手掛かりは全くなかった。半日探し回ったが、誰もおらず、夕方に近づく頃、岳廟の張牌も怪しみ始め、走って家まで来た。再び李牌と共に、たそがれ時いっぱい探し回ったが、日が暮れてしまった。二人は彼がその夜戻らず、その老母も見えないのを見て、翌日、二人の牌軍はまた彼の親戚の家を訪ねて尋ねたが、見つからなかった。二人は連座を恐れ、やむを得ず殿帥府へ出頭し、申し立てた。「王教頭は家を棄てて逃亡し、母子ともども行方知れずでございます。」高太尉はこれを聞いて大いに怒り、「あの賊の配流の兵めが逃げおったか。奴がどこへ逃げられるものか。」とすぐに文書を発し、各州各府に触れを回し、逃亡兵士の王進を捕らえるよう命じた。二人は出頭したので、その罪は免じられた。この件はひとまず措く。
さて、王教頭母子二人は、東京を離れてから、飢えれば食い、渇けば飲み、夜に寝て朝に起きるという旅を、一ヶ月余り続けた。或る日、夕暮れ時、王進は天秤棒を担ぎ、母の馬の後に従い、口に出して母に言った。「天が哀れみ給うた、まこと僥倖でございます!我ら母子は、この天羅地網の災いを逃れました。ここは延安府も近うございます。高太尉がたとえ人を遣わして捕まえようとも、捕まえられはしまい。」母子は喜び合い、道すがら知らず知らずのうちに宿場を過ぎてしまった。一晩中歩き続けたが、一つの村にも出会わず、どこに宿を乞うべきか。途方に暮れていると、遠くの林の中から一筋の灯りがちらつくのが見えた。王進はそれを見て言った。「よし、どうあれあそこへ行き、恐れ入って一晩の宿を頼み、明日早く出発しよう。」そのまま林の中に入って見ると、それは大きな荘園であり、周囲は土塀で囲まれ、塀の外には二、三百本の大柳の木があった。その荘園を見ると、
前面は官道に通じ、後面は渓流の岡に倚る。四周は青緑煙の如く、四方は緑陰染めたるが如し。軒を曲がれば牛羊地に満ち、打麦場には鵞鴨群を成す。田園は広く、雇われた荘客は千人を数え、家眷は気風あり、女中や児童は数知れず。まさに家に余糧あれば鶏犬も飽き、戸に書籍多ければ子孫も賢し。
その時、王教頭は荘の前に来て、しばらく門を敲くと、一人の荘客が出て来た。王進は天秤棒を下ろし、彼に礼をした。荘客が「我が荘へは何用で?」と尋ねると、王進は答えた。「実は申し上げます。小人母子二人、道を急ぎ過ぎて、宿場を通り過ぎてしまいました。ここへ来て、前にも村が無く、後ろにも店が無く、貴荘に頼み込み、一晩お泊めいただき、明日早く出発したいのです。決まり通り、部屋代を納めますゆえ、何卒ご都合をお計らいください。」荘客は「さようか、では少し待たれよ。荘主の太公に伺ってみよう。お許しが出れば、一晩泊まるのは差し支えあるまい。」王進はさらに「兄者、どうかお手を煩わせます。」と言った。荘客は入ってしばらくして出て来て言った。「荘主の太公が、お二人ともお入りなされと仰せだ。」王進は母を馬から下ろした。王進は天秤棒を担ぎ、馬を引いて、荘客に従い中の打麦場へ行き、天秤棒を下ろし、馬を柳の木に繋いだ。母子二人は、そのまま草堂まで行き、太公に面会した。
その太公は年六十に近く、髭も髪も真っ白で、頭には塵よけの暖かい帽子をかぶり、体には縦縫いのゆったりとした上衣を着て、腰には黒い絹の紐を締め、足にはなめし革の長靴を履いていた。王進は見るや拝跪した。太公は慌てて言った。「お客人、拝むには及ばぬ。あなた方は旅の人、風霜に疲れておられよう。どうぞお掛けなされ。」王進母子は礼を行い、共に腰を下ろした。太公が尋ねた。「あなた方はどこから来られた?どうして日が暮れてからここへ?」王進は答えた。「小人は張と申し、元は京の者でございます。今は元手を失い、生計の道も無く、延安府へ親戚を頼って参る途中でございます。ところが今日、道中少し急ぎ過ぎて、宿場を通り過ぎてしまい、貴荘に頼み込み、一晩お泊めいただき、明日早く出発したいのです。部屋代は決まり通りお納めいたします。」太公は言った。「構わぬ。今の世に、誰が家を頭の上に載せて歩くものか!あなた方母子お二方、火をお起こして食事をされたか?」荘客に命じて食事を用意させた。間もなく、広間の上に卓子が一脚据えられ、荘客が盆を一つ運び出し、四種類の菜と一皿の牛肉を卓の上に並べた。先ず酒を燗して注いだ。太公が「村に良いものは何も無い、お気を悪くなさるな。」と言うと、王進は立ち上がって礼を言った。「小人母子、わけもなくお邪魔いたしまして、このご恩は返し難うございます。」太公は「そのようなお言葉には及ばぬ。どうぞお酒を。」と言い、五、七杯ほど酒を勧め、飯を運び出した。二人は食べ終え、碗や皿を片付けた。太公は立ち上がり、王進母子を導いて客間へ行き、休ませた。王進が申し出た。「小人の母が乗って参りました馬ですが、お預かりいただき、まぐさの用意をお願い申し上げます。併せてお礼申し上げます。」太公は「それは構わぬ。我が家にも騾馬がおる。荘客に命じて厩の奥へ引き連れて行かせ、共に飼わせよう。」王進は礼を言った。その天秤棒を担いで、客間へ来た。荘客が灯りを灯し、湯を沸かして足を洗わせた。太公は自ら奥へ戻って行った。王進母子は荘客に礼を言い、部屋の戸を閉め、片付けをして休んだ。
翌日、夜が明けても起きて来ない。荘主の太公が客間の前を通りかかると、王進母子が部屋の中で呻いているのが聞こえた。太公が「お客人、夜が明けましたぞ。お起きなされ。」と声をかけると、王進は聞いて慌てて部屋を出、太公を見て礼をし、言った。「小人はとっくに起きておりました。昨夜は大変お邪魔いたしまして、誠に恐れ入ります。」太公が「どなたがそんなに呻いておられる?」と尋ねると、王進は言った。「実は太公に申し上げます。老母が馬に疲れ、昨夜より持病の心痛が発いたしました。」太公は言った。「さようか、お客人、御心配には及ばぬ。お母上をしばらく老夫の荘に置かれて、ゆっくり養生なされ。私に心痛に効く薬の処方がござる。荘客に県へ行かせて薬を買わせ、お母上にお飲ませ申そう。御安心なされて、ゆっくりと養生なされ。」王進は礼を言った。
話が長くなるのは避けるが、かくて王進母子は太公の荘で薬を服用した。五、六、七日ほど滞在し、母の病が全快したのを感じ、王進は出立の支度をした。その日、裏の厩へ馬を見に行くと、空き地で一人の若者が上半身裸になり、全身に青竜の刺青を彫り、銀の皿のような顔立ちで、年は十八、九歳ほど、棒を持って演武していた。王進はしばらく見ていたが、思わず口を滑らせて言った。「その棒も悪くはないが、破綻があり、真の好漢には勝てまい。」その若者はこれを聞いて大いに怒り、どなった。「お前は何者だ?よくも俺の腕前を笑いやがったな!俺は七、八人の名のある師匠に習ったんだ。お前ごときに負けるとは思えん!勝負してみるか?」
話が終わらないうちに、太公がやって来て、その若者を叱った。「無礼をするな」と。若者が言うには「この野郎、俺の棒術を笑いやがる」と。太公が「お客さん、まさか槍や棒を使えるのでは?」と言うので、王進は「少しばかり心得ております。お尋ねしますが、この若者はお宅のどなた様で?」と答えた。太公は「我が息子です」と言う。王進が「それではお宅の若旦那様でいらっしゃいますか。もしお学びになりたいのでしたら、私めが手ほどきして、きちんと直して差し上げましょうか?」と言うと、太公は「それはそれは、結構なことだ」と言い、さっそくその若者を呼んで師匠に拝ませようとした。しかし、若者はどうしても拝もうとせず、ますます怒って「お父っつぁん、この野郎の出鱈目を聞くな。もし俺のこの棒に勝てたら、その時は師匠と拝んでやる」と言う。王進は「若旦那様、お気を悪くなさるようでしたら、お手合わせをして遊びましょう」と応じた。若者は空地の真ん中で、棒を風車のように振り回しながら、王進に向かって「来い、来い。怖がったら男じゃない」と叫んだ。王進はただ笑っているだけで、手を出そうとしない。太公が「お客さん、どうせうちの小僧に教えてくださるおつもりなら、一勝負なさっても構いますまい」と言うので、王進は笑って「もし若旦那様に怪我でもさせたら、具合が悪いでしょうから」と言った。太公は「構いません。もし手足を折ろうが、それは自業自得というもの」と言う。
王進は「無礼をお許しください」と言って、槍立てから一本の棒を手に取り、空地に出て構えをとった。若者はそれを見ると、棒を手に突っ込んできて、真っ直ぐ王進に迫った。王進は不意に棒を引きずって逃げ出し、若者は棒を振り回して追いかけてきた。王進は振り返ると、棒を空地に向かって振り下ろした。若者は棒が振り下ろされるのを見て、自分の棒で受け止めようとした。しかし王進は打ち下ろさず、棒を引いて、逆に若者の懐へ真っ直ぐ突き込み、ひとつ捌くと、若者の棒は脇へ飛ばされ、彼は後ろ向きに倒れた。王進は慌てて棒を投げ出し、前に駆け寄って支えながら「お許しください、お許しください」と言った。
若者は起き上がると、すぐに脇から腰掛けを運んで来て、王進を座らせ、そして拝礼して言った。「俺は今までたくさんの師匠について習ったが、何の価値もなかった。師匠、どうかお許しください、ご教示願います」。王進は「私め母子は、連日こちらでお世話になっており、御恩に報いるすべもなく、当然お力添えすべきです」と言った。太公は大喜びで、若者に服を着せ、一緒に奥の間へ案内して座らせた。そして庄客に羊を一頭屠らせ、酒や果物などを用意させ、王進の母も一緒に席に招いた。四人が座り、酒を注ぎながら、太公が立ち上がって杯を勧め、「師匠はこれほど見事なお手前、きっと教頭様でございましょう。小僧が目がなくて、泰山を見損ないました」と言った。王進は笑って「善人は欺かず、粋人は隠し立てしません。私は張と申す者ではございません。私は東京八十万禁軍の教頭、王進と申す者です。この槍棒は日頃扱っております。新任の高太尉という者がおりまして、以前私の父親に打ち負かされたことがあり、今では殿帥府太尉となって、旧怨を胸に、王進に手を出そうとしております。私めは不運にも彼の管轄下にあり、争うこともできず、やむなく母子で延安府へ逃れ、老種経略相公のもとへ身を寄せようとしております。ところがこちらに参りまして、お父上とご子息にこのようにお世話になり、老母の病もお救いいただき、連日のご配慮、誠に心苦しく思っております。若旦那様がお学びになりたいのでしたら、私め全力でお教えいたします。ただ、若旦那様がお学びになったのは、すべて見掛け倒しの棒術で、見た目は良いが、実戦では役に立ちません。私が改めてお教えいたします」と言った。太公はこれを聞いて、「我が子よ、負けたのが分かったろう。さあ、もう一度師匠に拝礼しなさい」と言い、若者は再び王進に拝礼した。まさに、
人に師と好むは虚名に患う、心服は力を以って争うべきも難し。ただ胸中の真の本領のみ、頑劣をして先生に拝せしむ。
太公が言うには「教頭様、お聞きください。老いぼれは代々この華陰県の境に住んでおり、前方は少華山です。この村は史家村と申しまして、村には総勢三、四百軒あり、皆姓は史です。我が息子は幼い頃から農業をせず、槍や棒を好むばかり。母親が諭しても聞かず、気を病んで死んでしまいました。老いぼれはやむなく彼の好きにさせてやりました。いくら金をつぎ込んだか分かりません。師匠について習わせました。また、腕の良い職人を頼んで、この体一面に刺青を彫らせました。肩や腕や胸に九匹の龍があり、県中で人が口々に『九紋龍』史進と呼びます。教頭様が今日こちらにおいでになったからには、この機に彼を一人前にしてやってください。老いぼれは手厚くお礼を致します」と言う。王進は大いに喜んで「太公、ご安心ください。そうおっしゃるなら、私めは若旦那様を一人前にしてから参りましょう」と言った。その日から、酒食を共にし、王教頭母子を庄に留めた。史進は毎日王教頭に十八般の武芸を教わるよう求め、王進は一つ一つを初めから教え直した。その十八般の武芸とは、
矛、鎚、弓、弩、銃、鞭、簡、剣、鏈、挝、斧、鉞、並びに戈、戟、牌、棒、槍、杈。
さて、この史進は毎日庄で王教頭母子をもてなし、武芸の指導を受けた。史太公は自ら華陰県で里正の務めを果たしており、それはさておき。月日は流れ、あっという間に半年以上が過ぎた。まさに、
窓外の日光は弾指の間に過ぎ、席間の花影は座前に移る。一杯未だ進めざるに笙歌は送り、階下の辰牌また時を報ず。
前後して半年以上が経ち、史進はこの十八般の武芸を、改めて習得し、非常に熟達した。王進が心を尽くして教え、一つ一つに奥義を伝授したからである。王進は彼が熟達したのを見て、自ら考えた。「ここにいるのは良いが、これではけじめがつかない」と。ある日思い立って、暇を告げて延安府へ行こうとした。史進がどうしても離そうとせず、「師匠、ここにいてください。弟分があなたとお母様を終生養い、天寿を全うさせるのが、どれほど良いことか」と言った。王進は「賢弟よ、お前の好意はありがたい。ここにいるのはこの上なく良いのだが、ただ高太尉の追跡が及んで、お前に累が及ぶのが心配で、落ち着かない。だから困っているのだ。私はぜひ延安府へ行き、老種経略のもとで職を求めたい。あそこは辺境を守る地で、人材を求めている時だ。十分に身を立て、命を全うできるだろう」と言った。
史進と太公は引き留めても無駄と知り、やむなく別れの宴を設けた。盆に二反の繻子と百両の銀子を載せて、師礼として差し出した。翌日、王進は天秤棒の荷物をまとめ、馬を用意し、母子二人で史太公に暇を告げた。王進は母を馬に乗せ、延安府へ向かう道を進んだ。史進は庄客に荷物を担がせ、自ら十里の道のりを見送り、心残りであった。史進はその場で師匠に別れを告げ、涙を流して別れ、庄客と共に帰った。王教頭は相変わらず自分で天秤棒を担ぎ、馬に従い、母と二人、関西方面へ向かって行った。
話は王進が軍役に就くことは措き、史進が庄に帰った後のことのみを語ろう。史進は庄に戻り、毎日ただ力を鍛えることに励んだ。また壮年で、妻子もなく、夜中三更に起き出して武芸を稽古し、昼間は庄の後ろで弓を射たり馬を走らせたりした。半年も経たないうちに、史進の父、太公が病に倒れ、幾日も床に伏した。史進は方々から医者を呼んで治療させたが、治らず、とうとう太公は亡くなってしまった。史進は一方で棺を用意して納め、僧を招いて法要を行い、追善供養を営み、太公の菩提を弔った。また道士を招いて斎醮を設け、昇天を祈り、十数回もの功徳の法要を営んだ。吉日良辰を選んで、出棺し埋葬した。村中の三、四百の史家の農家が皆、葬送に参列し、喪に服し、村の西の山の先祖代々の墓に葬った。史進の家はその後、管理する者もなくなった。史進は農業を営もうとせず、ただ人を探しては武器を手に取り、槍や棒の勝負をしたがった。
史太公が亡くなってから、また三、四ヶ月が過ぎた。時は六月の中旬、炎天が厳しい暑さであった。その日、史進は暇を持て余し、交椅を持ち出して、打麦場のほとりの柳の木陰に座って涼んでいた。向かいの松林から風が通り抜けてきて、史進は「良い風だ!」と喝采した。まさに涼んでいたところ、一人の男が顔を出したり隠したりして、きょろきょろと見回している者がいた。史進は「怪しい!誰だ、俺の庄を覗いているのは?」と怒鳴った。史進は立ち上がり、木の陰に回ってよく見ると、猟師の「摽兔」李吉であると分かった。史進は「李吉、俺の庄の中を覗いて何をする?まさか下見に来たんじゃないだろうな?」と怒鳴った。李吉は進み出て声を掛け礼をして「大郎、私は庄の矮丘乙郎を探して酒を一杯飲もうと思ったのですが、大郎がここで涼んでいらっしゃるのを見て、邪魔してはと遠慮していたのです」と言った。
史進が言った:「お前に尋ねるが、いつもはお前はただ獲物を担いで、俺の屋敷に売りに来ていた。俺はお前を損させたことはないはずだ。なぜ最近は一つも売りに来ないのだ?まさか俺に金がないと侮っているのか?」李吉が答えた:「小人にそんな恐れ多いことなどできましょうか?ただこのところ獲物が全くなく、それで参れなかったのです。」史進が言った:「でたらめを言え!あれほど大きな少華山が、あのように広々としているのに、鹿の一頭や兎の一匹もいないはずがあるものか!」李吉が言った:「大郎はご存知なかったのですね。実は近頃、あの山の上に一団の強盗が現れまして、砦を築き、そこに五、七百人の小喽啰が集まり、百十頭の良馬を飼っております。頭領の一番目は『神機軍師』朱武と申し、二番目は『跳涧虎』陳達、三番目は『白花蛇』楊春と申します。この三人が頭となって、人家を襲い略奪しておりますので、華陰県でも手が出せず、三千貫の賞金をかけて捕まえようとしておりますが、誰があの連中に立ち向かえるでしょうか?そのため、小どもたちは山に上がって獲物を捕ることができず、売るものもないのです。」史進が言った:「俺も強盗がいると聞いてはいたが、まさかあの奴らがそんなに大それたことをするとはな。きっと人を悩ませるに違いない。李吉、お前は今後獲物があったら、何か持って来い。」李吉は挨拶をして、立ち去った。
史進は広間の前に戻り、心の中で考えた:「あの連中は大騒ぎをしている、必ずや村を荒らしに来るだろう。——そうなれば、……」そこで荘客に命じて、肥えた水牛二頭を選んで屠殺させ、庄内には元々醸してあった良い酒があり、まず一束の紙銭を焼いてから、荘客に命じてこの村の三、四百人の史家の佃戸を皆呼び集め、家の草堂に年齢順に座らせ、荘客に酒を注いで勧めさせた。史進は皆に向かって言った:「私は少華山に三人の強盗がいて、五、七百人の小喽啰を集め、人家を襲い略奪していると聞いた。あの連中がこれほど大騒ぎをしている以上、必ずや遅かれ早かれ我々の村を荒らしに来るだろう。今日あえて皆さんを招いて相談するのは、もしあの連中が来た時には、各々が準備をしておいてほしいからだ。私の庄で拍子木を打ち鳴らしたら、皆さんは各々槍や棒を持って、助けに来てほしい。皆さんの家に何かあった時も、同じようにする。互いに助け合い、共に村を守ろう。もし強盗の頭領が直接来たならば、すべて私が引き受ける。」皆が言った:「我々のような田舎者は、ただ大郎を頼りにするのみです。拍子木が鳴れば、誰が来ないことがありましょうか?」その夜、皆は酒を礼して、各自散り、器械を準備して家に帰った。これ以降、史進は門窓や塀を修理し、庄屋を整え、数か所に拍子木を設置し、鎧兜を整え、刀や馬を調え、賊に備えた。それはさておき。
さて、少華山の砦では三人の頭領が座って相談していた。頭領の『神機軍師』朱武は、もとは定遠の出身で、二振りの双刀を使い、さほどの腕前ではないが、陣法に通じ、謀略に富んでいた。朱武の優れた点を詠んだ八句の詩がある:
道服は棕葉を裁ち、雲冠は鹿皮を剪る。顔は赤く両眼は秀で、面は白く細い髭が垂れる。陣法は諸葛亮に並び、陰謀は范蠡に勝る。華山に誰が第一か、朱武は号して『神機』という。
二番目の好漢は姓は陳、名は達、もとは鄴城の出身で、一本の出白点鋼槍を使う。これも詩に詠まれてある:
力は強く声は雄々しく性格は粗野、丈二の長槍を雨の如く振るう。鄴中の豪傑は華陰に霸を唱え、陳達は人呼んで『跳涧虎』。
三番目の好漢は姓は楊、名は春、蒲州解良県の出身で、一本の大杆刀を使う。これも詩に詠まれてある:
腰は長く腕は細く力は誇るに足る、到る所で刀鋒が乱れ花を撒く。鼎立する華山の真の好漢、江湖に名を轟かす『白花蛇』。
その日、朱武は陳達と楊春に向かって言った:「今、華陰県が三千貫の賞金を出し、我々を捕まえる者を募っていると聞く。奴らが来た時には、戦わねばなるまい。ただ、砦の金穀が不足している。どうして略奪しに行って、砦の用に供さないのか?食糧を砦に蓄えておけば、官軍が来た時に備えて、持ちこたえることができるだろう。」『跳涧虎』陳達が言った:「おっしゃる通りだ。今すぐ華陰県へ行き、先に奴らに食糧を借りよう。奴らがどう出るか見てやろう。」『白花蛇』楊春が言った:「華陰県へは行くな。ただ蒲城県へ行けば、万に一つの過ちもない。」陳達が言った:「蒲城県は人家が少なく、金穀も多くない。不如、華陰県を攻めよう。あそこは人民が裕福で、金穀が豊富にある。」楊春が言った:「兄貴はご存知ない。もし華陰県を攻めるなら、必ず史家村を通らねばならない。あの『九紋龍』史進は虎のような者だ。あいつにちょっかいを出すな。——あいつがどうして我々を通してくれるものか?」陳達が言った:「兄弟は実に弱気だ!一つの村さえ通れないで、どうして官軍に立ち向かえるというのだ?」楊春が言った:「兄貴、あの人を軽く見てはいけない。あの人は確かに凄いのだ。」朱武が言った:「私もあの人が非常に英雄だと聞いている。本当に腕があるという。兄弟、行くのはやめにしよう。」陳達が叫び出して言った:「お前たち二人は黙っていろ!他人の威勢を立てて、自分の意気を削ぐとは。奴は一人だ、三頭六臂というわけでもない。私は信じない。」そして小喽啰に命じて叫ばせた:「早く私の馬を用意しろ。今すぐ先に史家村を攻め、その後で華陰県を取る。」朱武と楊春が再三諫めたが、陳達はどうして聞くものか!すぐに鎧を着て馬に乗り、百四、五十人の小喽啰を率い、銅鑼を鳴らし太鼓を打ち鳴らして山を下り、史家村へ向かった。
さて、史進が庄の前で刀や馬を整えていると、荘客がこのことを報告に来た。史進はそれを聞くと、庄で拍子木を打ち鳴らした。庄の前後、東西から三、四百人の史家の佃戸が、拍子木の音を聞いて、槍や棒を引きずり、三、四百人が集まり、一斉に史家の庄にやって来た。そこに史進が現れた。頭には一字巾を被り、体には朱紅の鎧を着け、上には青錦の胴着を着、下には抹綠の靴を履き、腰には皮の帯を締め、前後に鉄の胸当てを付け、弓一張、矢一壺を背負い、手には三尖両刃、四竅八環の刀を一振り持っていた。荘客が火の玉のような赤い馬を引いて来た。史進は馬に乗り、刀を抜き、前には三、四十人の屈強な荘客を従え、後ろには八、九十人の鈍ない田舎者を従えた。史家の佃戸たちは皆その後ろに付き、一斉に鬨の声を上げ、村の北の辻まで進んだ。
その少華山の陳達は人馬を率いて、飛ぶように山の麓に到着し、すぐに小喽啰を展開させた。史進が見ると、陳達は頭に乾紅の凹面巾を被り、体には金を包んだ生鉄の鎧を着け、上には紅の衲袄を一枚着、足には一対の吊墩靴を履き、腰には七尺の撚り線の帯を締め、一頭の高い白馬に跨がり、手には丈八の点鋼矛を横たえていた。小喽啰は両側で鬨の声を上げ、二将は馬上で相見えた。
陳達は馬上で史進を見て、身をかがめて礼をした。史進は怒鳴った:「お前たちは人を殺し火を放ち、人家を襲い略奪し、天を覆う大罪を犯している、皆死罪に値する者だ。お前にも耳があるはずだ。——よくも大胆に!——太歳の頭の上に土をかけるとは!」陳達は馬上で答えた:「我が砦では食糧が不足しておりますので、華陰県に食糧を借りに行こうと、貴庄を通り過ぎる道をお借りしたいのです。草一本も動かすつもりはございません。お通しください。帰りには必ずお礼に参ります。」史進が言った:「でたらめを言え!俺の家は今里正を務めている。まさにお前たちのような賊を捕まえようとしているところだ。今日、我が村を通り過ぎようとは、捕まえずに放って通すわけにはいかない。本県が知れば、必ずや俺に累が及ぶ。」陳達が言った:「『四海の内、皆兄弟なり』、どうか一本の道をお借りください。」史進が言った:「何の無駄話だ!俺が許しても、一人許さぬ者がいる。そいつが許すと聞いたなら、通してやろう。」陳達が言った:「好漢、誰に聞けばよいのでしょう?」史進が言った:「俺の手にあるこの刀が許すと聞いたなら、通してやろう。」陳達は大いに怒って言った:「人を追い詰めるな、威勢を振るうな!」史進も怒り、手にした刀を振り回し、乗った馬を駆って、陳達と戦った。陳達も馬を叩き、槍を突き出して、史進を迎え撃った。二人の馬が交わると、ただ見えるのは:
一往一来、一上一下。一往一来は、あたかも深水に珠を戯れる竜の如く、一上一下は、まるで半岩に食を争う虎の如し。「九紋龍」は怒り、三尖刀はただ頂門に飛び、「跳涧虎」は嗔り、丈八の矛は心坎を刺さずんばあらず。好手の中に好手を逞しくし、紅心の中に紅心を争う。
史進と陳達は長い間戦い続けた。史進がわざと隙を見せ、陳達が槍を心臓めがけて突いてきたところを、史進は腰をひらりとかわし、陳達は槍ごと彼の懐に飛び込んできた。史進は軽やかに猿の腕を伸ばし、ゆるやかに狼の腰をひねると、一挟みで陳達を鞍から軽々と摘み上げ、ゆっくりとその肩衣を掴んで、ひと投げに地面へ放り投げた。戦馬は風を切るように走り去った。史進は荘客に命じて陳達を縛らせ、群衆は小喽啰たちを追い散らした。史進は荘に戻り、陳達を庭の真ん中の柱に縛り付け、残りの二人の賊の首領を捕らえて一緒に役所へ突き出し、賞金を得ようと待った。ひとまず酒を皆に振る舞い、彼らを一時解散させた。人々は喝采し、史大郎がこれほど豪傑であるのは無駄ではないと称えた。
人々が酒を楽しんでいるところはさておき、朱武と楊春は寨の中で疑心暗鬼になり、成り行きが読めず、小喽啰にさらに情報を探らせに行かせた。すると、一緒に行った者が空の馬を牽いて山の前に駆けつけ、「大変だ!陳家の兄貴が二人の兄貴の言うことを聞かず、命を落とした」と叫んだ。朱武がその理由を問うと、小喽啰は戦いの一部始終を詳しく語った。どうにも史進が英雄だったのだ。朱武は「私の言うことを聞かなかったから、まさにこのような災難に遭ったのだ」と言った。楊春が「我々全員で行き、奴と命がけで戦おうではないか」と言うと、朱武は「それも良くない。彼でさえ敗れたのだ、お前がどうして勝てようか。私には一つの苦肉の策がある。もしそれで彼を救えなければ、我々も終わりだ」と言った。楊春が「どのような苦肉の策か」と問うと、朱武は耳元に口を寄せて小声で「こうするしかない……」と言った。楊春は「良い計略だ!我々はすぐにでも行こう、時を逃してはならぬ」と言った。
話は変わり、史進が荘でまだ怒りが収まらないでいると、荘客が飛んで来て「山寨の朱武と楊春が自ら来ました」と報せた。史進は「この二人の奴は死ぬべきだ。二人まとめて役所に捕らえさせてやる。早く馬を連れて来い」と言った。梆子を打ち鳴らすと、人々は既に皆集まっていた。史進が馬に乗り、荘の門を出ようとしたところ、朱武と楊春が歩いて来て、荘の前に到着していた。二人は揃って跪き、両目に涙を浮かべていた。史進が馬を下り、「二人とも跪いて何を言うつもりだ」と怒鳴ると、朱武は泣きながら言った。「我々三人は、度々役所に追い詰められ、やむなく山に上り賊となりました。当初誓いました。『生まれた日を同じくせずとも、死ぬ日を同じくせんことを願う』と。関羽、張飛、劉備の義気には及びませんが、我々の心は同じです。今日、弟の陳達が良い言葉を聞かず、あなた様の虎の威を冒し、既に英雄によって貴荘に捕らえられております。我々は策もなく懇願する次第、今日は直接死にに参りました。英雄にはどうか我々三人を一緒に役所へ突き出し、褒美を取っていただきたい。我々は眉をひそめることなく、英雄の手で死ぬことを恨みに思いません」と。史進はこれを聞き、心の中で考えた。「彼らがこれほど義気に厚いとは。もし彼らを役所に突き出して褒美を取れば、かえって天下の好漢たちに私が英雄ではないと笑われるだろう。古来より『大虫は伏したる肉を食わず』と言うではないか」と。史進は言った。「お前たち、二人とも先に私について来い」と。朱武と楊春は少しも臆せず、史進に従って後庁の前に至り跪き、また史進に縛るよう求めた。史進が幾度も立ち上がらせようとしたが、二人はどうしても立とうとしなかった。似た者同士は惹かれ合い、好漢は好漢を認めるものだ。史進は言った。「お前たちがこれほど義気が深いなら、私がお前たちを役所に送れば、好漢ではない。陳達を放してやろうか」と。朱武は「英雄に累が及んではなりません。それは確かではありません。どうか我々を役所に突き出してお褒めをいただきとうございます」と言った。史進は「どうしてそんなことができようか。お前たちは私の酒食を受け入れてくれるか」と言った。朱武は「死すら恐れません、ましてや酒肉など」と答えた。詩に証がある。
名姓は異なれど死生は同じ、慷慨は多く計略の空しきを偏にす。衣冠に義侠なきがため、草澤に奇雄を見るを致す。
その時、史進は大いに喜び、陳達を解き放ち、後庁の上座に席を設け、酒宴を整えて三人をもてなした。朱武、楊春、陳達は大恩を拝謝した。数杯の酒を飲み、次第に雰囲気は賑やかになった。酒宴が終わり、三人は史進に礼を言って山へ帰っていった。史進は彼らを荘門の外まで送り出し、自ら荘に戻った。
さて、朱武ら三人は寨に戻って腰を下ろし、朱武は言った。「我々がこの苦肉の策を用いなければ、どうして命を保つことができたであろうか。一人を救ったとはいえ、史進が義気で我々を放してくれたのは難しいことだ。数日経ったら、何か礼物を用意して、彼の命の恩に報いよう」と。話は尽きない。十数日が過ぎ、朱武ら三人は三十両の蒜条金を用意し、二人の小喽啰に命じて、月の暗い夜に乗じて史家庄へ届けさせた。その夜、初更の頃、小喽啰が門を叩き、荘客が史進に報告すると、史進は急いで衣服を羽織り、荘の前に来て小喽啰に「何か用か」と問うた。小喽啰は「三人の頭領が幾重にも拝謝しております。特に小校を遣わし、薄謝を届けさせ、大郎の不殺の恩に報います。どうかお断りなく、笑ってお受け取りください」と言い、金子を取り出して史進に渡した。初め史進は辞退したが、後に考え直し、「好意で送ってくれたものなら、受け取るのも当然であろう」と思い、荘客に酒を用意させ、小校を夜半まで饗応し、さらに些少の銀子を小校に与えた。小校は山へ帰っていった。さらに半月余りが過ぎ、朱武ら三人は寨で協議し、一串の上等な大真珠を奪い取り、また小喽啰に命じて夜を徹して史家庄へ届けさせた。史進はこれを受け取り、もはや多くを語らなかった。
また半月が過ぎ、史進は考えた。「この三人がこれほど私を敬ってくれるのは難しいことだ。私も何か礼物を用意して返礼をすべきだろう」と。翌日、荘客に命じて仕立て屋を呼び、自ら県に行って三匹の紅錦を買い、三つの錦の上着に仕立てさせた。また数頭の肥えた羊を選び、三頭を煮て、大箱に盛り、二人の荘客に届けさせた。史進の荘には頭領格の荘客で王四という者がおり、この男は役所の応対に長け、弁舌が達者で、荘中の者は皆彼を「賽伯当」と呼んでいた。史進は彼と一人の有能な荘客に、箱と荷を担がせ、山のふもとまで届けさせた。小喽啰が事情を尋ね、彼らを山寨に案内し、朱武ら三人の頭領に会わせた。三人は大いに喜び、錦の上着と肥えた羊、酒の礼物を受け取り、さらに十両の銀子を荘客に与えた。それぞれ十数碗の酒を飲み、山を下りて荘に帰った。史進に会い、「山の上の頭領たちが、厚く御礼を申しておりました」と述べた。史進はこれ以来、しばしば朱武ら三人と往来し、時には王四だけを山寨に物を届けさせ、日々を過ごした。寨の頭領たちも頻繁に人を遣わし、金銀を史進に贈った。
光陰は矢の如く過ぎ、時は八月の中秋となった。史進は三人と話をしようと思い、十五日の夜に荘に来て月を賞し酒を飲むよう約束した。まず荘客の王四を遣わし、招待状を持たせて直接少華山へ行き、朱武、陳達、楊春を荘の宴に招いた。王四は手紙を携えて山寨へ向かい、三人の頭領に会い、招待状を差し出した。朱武は見て大いに喜び、三人は承諾し、すぐに返事を書き、王四に五両の銀子を与え、十数碗の酒を飲ませた。王四が山を下りると、いつも物を届けに来る小喽啰に出くわし、しっかりと抱き留められ、どうしても放してもらえなかった。さらに山路のそばの村の酒店に引きずられ、十数碗の酒を飲まされた。王四は別れを告げて荘に帰ろうとしたが、歩きながら山風に吹かれ、酒が勢いよく回り、よろめきながら、一歩ごとによろけた。十里も歩かないうちに、林が見えたので、その中に駆け込み、青々とした芝生の上に、ばったりと倒れた。もともと「摽兔」の李吉が、その山坡の下で網を張って兎を捕っていたところ、史家庄の王四だと見知っていたので、林の中に駆け寄って彼を起こそうとしたが、どうしても起こせなかった。すると、王四の腕のあたりから銀子が覗いているのを見て、李吉は考えた。「この奴は酔っている。どこでこれほどの銀子を手に入れたのか。少し掠め取ってやろうか」と。これも天罡星が会合すべき時で、自然と機会が生まれたのだ。李吉がその腕を解き、地面に振り払うと、返事の手紙と銀子が共に落ちた。李吉はそれを拾い上げ、いくらか字が読めたので、手紙を開いて見ると、そこには少華山の朱武、陳達、楊春と書かれており、間には文武半ばの言葉があったが、読めず、ただ三つの名前だけが分かった。李吉は言った。「私は猟師をしているが、いつになったら身を立てられるだろう。占い師は今年大金があると言ったが、まさにここにあったのだ。華陰県では今、懸賞金三千貫でこの三人の賊を捕らえようとしている。憎いことに、あの史進の奴め、先日彼の荘に矮丘乙郎を探しに行ったら、私が下見に来たと言いやがった。お前はまさか賊と通じていたとはな!」銀子と手紙を共に持ち、華陰県へ出頭しに行った。
さて、庄客の王四は一睡りして二更(午後九時~十一時頃)までぐっすり眠り、ようやく目を覚ました。月の光がかすかに身に当たっているのを見て、驚き慌てた。跳ね起きて周りを見渡すと、あたりは松林ばかりである。腰のあたりを探ってみると、空の皮袋と手紙がなくなっていた。四方を探し回ると、空の皮袋だけが芝生の上にあった。王四はただただ苦しみながら、「銀子はともかく、この返書をどうしたものか。いったい誰に持っていかれたのか?」と思案した。眉をひそめ、一計を案じて、「もし庄に戻って返書を失くしたと言えば、大郎(史進)は必ず怒って、私を追い出すに違いない。いっそ返書はなかったと言ってしまおう。どこで調べられるものか」と自分に言い聞かせた。決心が固まると、飛ぶようにして庄へ戻る道を急いだ。ちょうど五更(午前三時~五時頃)の頃合いであった。史進は王四が戻ってくるのを見て、「なぜこんなに遅くなったのか?」と尋ねた。王四は言った。「主人のご加護のおかげで、寨の中の三人の頭領がどうしても放してくれず、王四を引き留めて夜半まで酒を飲ませました。それで帰りが遅くなりました。」史進はさらに尋ねた。「返書はあるか?」王四は言った。「三人の頭領が返書を書こうとしたのですが、私めが申しました。『三人の頭領がすでにご馳走に来ると約束されたのに、どうして返書が要りましょう?私めも酒を飲みましたので、道中で何かあれば一大事ですからな。』と。」史進はこれを聞いて大いに喜び、「なるほど、皆がお前を『賽伯当』と呼ぶのも道理だ。本当に腕前がある。」と言った。王四は応えた。「私めがどうして間違いを起こしましょうか。道中一度も足を止めず、まっすぐ庄に戻ってまいりました。」史進は言った。「それならば、人をやって県から果物を買い求め、酒の肴を用意させよ。」
気づけば中秋節がやって来た。この日は天気晴朗であった。史進はその日、家中の庄客に命じて、羊一頭を屠り、鶏や鵞鳥を百羽あまり殺し、酒や食べ物の宴席を準備させた。やがて空が暮れかかる頃となった。いかにも素晴らしい中秋の夜であることよ。見よ:
夜半が始まり、黄昏は既に半ば、一輪の月は銀のように掛かる。氷の盤のごとき月明かりは昼の如く、観賞にふさわしい。清らかな影はまことに円満で、桂の花や玉兎が互いに照り映える。簾や窓は高く巻き上げられ、金の杯で盛んに酒を勧め、笑い声は太平を祝う。年ごとにこの節にあたり、酩酊して酔いしれる。終宵の酒を辞することなく、銀漢(天の川)には露の華が新たなり。
さて、少華山の朱武、陳達、楊春の三人の頭領は、小喽啰たちに寨の柵を守るよう命じ、三、五人の供回りだけを連れ、朴刀を持ち、それぞれ腰に腰刀を差し、馬には乗らずに歩いて下山し、まっすぐ史家の庄にやって来た。史進は彼らを迎え、それぞれ礼を交わし終えると、後園に招き入れた。庄内にはすでに酒宴が整えられていた。史進は三人の頭領を上座に請じ、自分は向かいに座って陪席した。そして庄客に命じて前後の庄門をすべて閂で閉めさせた。酒を酌み交わす一方で、庄内の庄客が順番に酒を注ぎ、羊肉を切っては勧めた。数杯の酒を飲むうちに、東の空から一輪の明月が昇った。見よ:
桂の花が海角から現れ、雲は天の街に散り行く。彩霞は万里を照らして銀のごとく白く、月の光は千の山に映って水の色のごとし。影は野原に横たわり、独り宿る烏を驚かせ、光は平らな湖に射し、双び栖む鴻雁を照らす。明月は三千里に広がり、玉兎は四百州を平らに呑み込む。
史進が三人の頭領と後園で酒を飲み、中秋の月を賞で、昔話や新しい話を語り合っていると、壁の外から一声の叫び声が聞こえ、火の手が乱れ輝いた。史進は大いに驚き、跳ね上がって「三賢友はしばらくお座りくだされ。私が見に行ってくる」と言い、庄客に命じて「門を開けるな!」と叫んだ。梯子を運ばせ、壁の上に登って見下ろすと、華陰県の県尉が馬に乗り、二人の都頭を連れ、三四百人の兵卒を率いて、庄院を包囲していた。史進と三人の頭領はただただ苦しむばかりである。外の火の手の光の中には、鋼叉、朴刀、五股叉、留客住が、麻の林のように並べられているのが照らし出された。二人の都頭は口々に「強賊を逃がすな。」と叫んでいた。
この連中が史進と三人の頭領を捕まえに来たことによって、史進はまず一人か二人を殺し、十数人の好漢と知り合い、ついには天罡地煞の星々が一堂に会することとなる。まさに、蘆の花の深きところに兵士を駐屯させ、蓮の葉の陰に戦船を整えるに至るのである。はたして史進と三人の頭領はどのようにして身を逃れるのか、それは次の回で語られるであろう。
