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十三篇

虚実第六

第 6 篇

孫子は言う。およそ戦場に先に到着して敵を待つ者は余裕があり、後から到着して慌てて戦いに臨む者は疲労して受動的になる。したがって、よく戦う者は敵を動かすことができ、敵に動かされることはない。

敵が自ら進んで来るようにできるのは、利益で誘うからである。敵が来られないようにできるのは、害で妨げるからである。ゆえに、敵が安んじているときにはこれを疲労させ、敵が満ち足りているときにはこれを飢えさせ、敵が静かにしているときにはこれを動揺させることができる。出兵するには敵が救援に来られない場所を指し、行動するには敵の意図せざる方向に向かう。

千里を行軍しても疲れないのは、敵の妨害のない地域を通るからである。攻めて必ず勝つのは、敵の守備のないところを攻めるからである。守って必ず堅固なのは、敵が攻めて来られないところを守るからである。ゆえに、よく攻める者は敵がどこを守ればよいかわからず、よく守る者は敵がどこを攻めればよいかわからない。微妙なるかな微妙なるかな、形なきに至る。神妙なるかな神妙なるかな、声なきに至る。かくして敵の主となることができる。

攻める時に敵が防ぎきれないのは、敵の虚をつくからである。退く時に敵が追撃できないのは、行動が速くて敵が追いつけないからである。ゆえに、我が戦おうとすれば、敵が高く塀を築き深く堀を掘っていても、戦わざるを得なくなるのは、我が必ず救援すべき所を攻めるからである。我が戦いたくなければ、たとえ地面に線を引いて守っても、敵は我と戦うことができないのは、我が敵の進路を変えさせるからである。

ゆえに、敵に形を現させ、我は形を現さないようにすれば、我が軍は兵力を集中でき、敵は兵力を分散せざるを得ない。我が兵力を一か所に集中し、敵の兵力を十か所に分散させれば、十倍の兵力で敵の一か所を攻撃することになり、我が多勢で敵が寡勢となる。多勢をもって寡勢を攻めれば、我と直接戦う敵は限られる。我が戦う場所を敵に知られなければ、敵は守備を多くせざるを得ず、守備が多ければ我と直接戦う敵は少なくなる。ゆえに前方を守れば後方が弱くなり、後方を守れば前方が弱くなり、左方を守れば右方が弱くなり、右方を守れば左方が弱くなり、どこも守らなければどこも弱くなる。兵力が弱いのは、いたるところで敵を防ごうとするからである。兵力が強いのは、敵にいたるところで我を防がせるからである。

ゆえに、戦う場所を予知し、戦う時を予知できれば、千里を行軍しても敵と会戦できる。戦う場所を予知できず、戦う時を予知できなければ、左翼は右翼を救えず、右翼は左翼を救えず、前方は後方を救えず、後方は前方を救えない。まして遠ければ数十里、近くても数里の距離ではなおさらである。私の推測では、越の国の軍隊は多いとはいえ、戦争の勝敗に何の役に立つというのか。ゆえに、勝利は作り出せるものである。敵が多くとも、我と戦わせないようにできるのである。

ゆえに、敵情を分析して敵の得策と失策を把握し、敵を挑発してその行動の法則を知り、敵に形を現させて有利な地形と不利な地形を知り、試しに攻めて兵力の虚実や強弱を知る。ゆえに、兵力を用いて形を隠すこと極まれば、無形の境地に達する。無形に達すれば、深く潜む間諜も窺い知れず、賢い敵も策を巡らせることができない。敵情の変化に応じて勝利を収め、その勝利を人々の前に示しても、人々は理解できない。人々は我が勝つための戦法を知っていても、我がどのようにしてその戦法を用いて勝ったかは知らない。ゆえに、勝つたびに同じ方法を繰り返さず、敵情の変化に応じて無限に変化する。

用兵の法則は水のようなものである。水の法則は高きを避けて低きに流れることであり、用兵の法則は敵の堅固なところを避けてその虚をつくことである。水は地形に応じて流れを決め、軍は敵情に応じて勝利の策を決める。ゆえに、作戦に固定した方法はなく、水に定まった形がないように、敵情の変化に応じて勝つ者を、神ということができる。ゆえに、五行は相生相克し、常に勝つものはなく、四季は交代し、常に留まるものはない。昼は長短があり、月には満ち欠けがある。