第九十六回 寇員外喜待高僧 唐長老不貪富貴
第九十六回 寇員外喜待高僧 唐長老不貪富貴
色とは本来無色にして、空もまた空に非ず。静と喧、語と黙、本来相同じ。夢裡にあえて夢を説くことなかれ。有用の用の中に無用を蔵し、無功の功の中に功夫を施す。また果実の熟して自然に紅くなるが如し、如何にして修し種うるかを問うことなかれ。
さて、唐僧師弟は法力をもって布金寺の僧どもを退散させた。僧らは黒風の吹き過ぎて師弟の姿の見えざるを見て、活仏の人間に降臨したるものと思い、額を地面に擦りつけて礼し、引き返した。これは言うに及ばず。
彼ら師弟は西に向かって進む。時は春の終わり夏の初めの頃合いであった。
天氣は清朗にして和やかに爽やか、池の塘には菱の角や荷の花が生い茂る。
梅の実は雨の後に従いて熟し、麦は風に随いて長じ成る。
花草の香りは落花の処に飄落し、黄鶯は老いて柳の枝は軽やか。
江燕は雛を連れて飛翔を習い、山雞は幼鳥を哺みて鳴く。
北斗は南を指し空白日は長く、万物は光明を顕わす。
朝に餐し暮に宿ることを言い尽くせず、山の澗を巡り水の波を尋ねる。平安の路を、半月ばかり歩んだ。前方にまた一つの城が近づくのが見えた。三藏が問うた:「弟子よ、これはまた何という土地か。」行者が言う:「知らぬ、知らぬ。」八戒が笑って言う:「この道はお前が通った道だ。どうして知らぬなどと言うのか。また何か怪しげなことを企んで、わざと知らぬ振りをして、我々をからかっているのだろう。」行者が言う:「この鈍い奴め、全く道理を弁えぬ。この道は何度か通ったとはいえ、その時はただ九霄の雲の裡、雲に乗って来たり、雲に乗って去ったりしただけで、いつこの地に降り立ったことがある?事に関心がなければ、それを調べて何になろう?ゆえに知らぬのだ。何が怪しげで、お前をからかうことがあるものか。」
話しているうちに、いつの間にか城の前に到着した。三藏は馬を下り、吊り橋を渡り、まっすぐ城門の中の大通りに入ると、軒下に二人の老人が座って話をしているのが見えた。三藏が言う:「弟子よ、お前たちは街の真ん中に立ち、頭を下げて、勝手な真似をするな。私がかの軒下に行って、土地の名を尋ねて来よう。」行者は言う通りに立ち止まった。長老は近づいて合掌し、声をかけた:「老施主、貧僧がお訊ね申し上げます。」かの二老はちょうどそこで暇に任せて語り合い、何やら興隆と衰退、得失、誰が聖で誰が賢か、当時の英雄の事業は今いずこにあるかなどと語り、まことに大いに嘆息する有様であった。突然一声の問いを聞き、すぐに礼を返して言った:「長老、何かお言葉が?」三藏が言う:「貧僧は遠方より仏祖を拝みに参った者で、たまたまこの宝地に至りましたが、何という土地か知りません。どこかに善行を好む家がありましたら、一食の斎を恵んでいただきたいのですが。」老者が言う:「ここは銅台府と申します。府の後ろに一つの県がございまして、地霊県と申します。長老、斎をお召しになりたければ、わざわざ募化には及びませぬ。この牌坊を過ぎ、南北の街、西に面して東を向いた、虎座の門楼がございます。あれが寇員外の家で、その門前に『万僧不阻』の札が掲げてございます。あなた様のような遠方の僧侶でしたら、遠慮なくお上がりなされ。行きなされ、行きなされ!我々の話の邪魔をなさるな。」三藏は礼を言った。向き直って行者に言う:「此処は銅台府地霊県だ。かの二老が言うには『この牌坊を過ぎた南北の街、東を向いた虎座の門楼に、寇員外の家があり、その門前に『万僧不阻』の札がある』とのこと。私に彼の家で斎を食べよと言うのだ。」沙僧が言う:「西方は仏の土地、実に僧に斎を施す者がございます。此処は府県でございますれば、関文を改めるにも及びますまい。我々、斎をいただいて食し、すぐに道を進むのが良ろしゅうございます。」
長老と三人は緩やかに長い街を歩んだ。またしても市口の人々は驚き恐れ、猜疑し、囲んでその風貌を争って見た。長老は口を閉ざすよう命じ、ただ「勝手をするな、勝手をするな」とだけ言った。三人は言う通りに頭を下げ、仰ぎ見ることを敢えてしなかった。角を曲がると、果たして一条の南北の大通りが見えた。
ちょうど歩いて行くと、一つの虎座の門楼が見えた。門の内側の影壁には大きな札が掛かり、「万僧不阻」の四字が書いてあった。三藏が言う:「西方の仏地、賢者も愚者も、欺き偽ることがない。かの二老が言った時、私はまだ信じなかったが、此処に至って実に彼の言う通りであった。」八戒は野卑にも、すぐに入ろうとした。行者が言う:「鈍い奴、ちょっと待て。誰かが出て来て、事情を尋ねてからでなければ、入るのは良い。」沙僧が言う:「兄者の言は理に叶っております。恐らく一時に内外を分かたず、施主の心を煩わせてはなりませぬ。」門口に馬と行李を休めた。
程なくして、一人の老僕が出て来た。秤と一つの籃子を提げていたが、突然見て、慌ててそれを落とし、走り込んで報告した:「御主人様、外に四人の異様な僧が参りました!」その員外は杖をついて、ちょうど庭先をぶらつきながら、口に絶えず念仏を唱えていたが、報告を聞くとすぐに杖を投げ出し、出迎えに出た。彼ら四人を見て、その醜悪な風貌をも恐れず、ただ「お入りなされ!お入りなされ!」と言った。三藏は謙遜しながら、共に入って行った。一つの巷を曲がり、員外が先導して、ある部屋に来て言った:「此方の上手の家屋は、御老師方をもてなすための仏堂、経堂、斎堂でございます。下手の方は、弟子の妻子が住んでおります。」三藏は褒め称えてやまなかった。すぐに袈裟を取って着け、仏を拝み、歩を進めて堂に登って見ると、ただ見えることには:
香雲は満ちて漂い、燭焔は光り輝く。堂中には錦が簇り花が攒り、四方には金が敷き詰められ彩りが絢爛たり。朱塗りの架には高く紫金の鐘が掛かり、彩漆の灯架には対をなして花腔鼓が置かる。幾対かの幡には八宝が刺繍され、千の尊き仏はみな黄金に鍍金せり。古銅の炉、古銅の瓶;彫漆の卓、彫漆の盒。古銅の炉の内には、常に絶ゆることなく沈香や檀香あり;古銅の瓶の中には、毎に蓮花が彩を現わす。彫漆の卓の上には五雲鮮やかに、彫漆の盒の中には香の瓣積み重なる。玻璃の盏には、浄水清く澄み;瑠璃の灯には、香油明るく光る。一声の金磬、音韻舒やかに緩し。まことに紅塵の到らざるは珍宝の楼に勝り、家に供うる仏堂は名刹に勝る。
長老は手を清め、香を拈り、額を地に擦りつけて拝み終えると、引き返して員外と礼を交わそうとした。員外が言う:「お待ちなされ、どうぞ経堂にお出でなされてお目にかかりましょう。」また見えることには:
方台の竪櫃、玉匣の金函。方台の竪櫃には、無数の経文が積み重なり;玉匣の金函には、多くの簡札が収め蔵さる。彩漆の卓の上には、紙墨筆砚あり、みな精緻を極めたる文房の具;椒粉の屏の前には、書画琴棋あり、みな妙妙玄玄の真の趣きを尽くす。一つの軽玉浮金の仙磬を置き、一つの披風披月の龍髯を掛く。清気は人をして神気爽やかにせしめ、斎心は自ずから道心の閑かなるを覚えしむ。
長老此処に至り、正に礼をしようとしたが、その員外がまたもや押し止めて言った:「どうか仏衣をお寛ぎなされ。」三藏は袈裟を脱いだ。そうして初めて長老と対面した。また行者三人を請じて対面した。また馬に飼料をやらせ、行李を廊下に置かせてから、方に起居を問うた。三藏が言う:「貧僧は東土大唐の勅命を奉じ、宝方の霊山を訪ねて仏祖に謁し、真経を求めんとする者にて候。尊府が僧を敬うと聞き及び、故に拝謁し、一食の斎を求め、すぐにでも立ち去らんと欲す。」員外は面に喜色を生じ、笑みを含んで言った:「弟子の賤名は寇洪、字は大寬、虚しく六十四歳を重ねております。四十歳の時より、僧一万人に斎を施すと誓願し、ようやく円満を果たさんとしております。今までに二十四年間斎を施し、一冊の斎僧の帳簿がございます。連日暇でしたので、斎を施した僧の名を数えてみましたところ、すでに九千九百九十六人に施しており、ただ四人だけが足りず、円満となりませぬ。今日たまたま天より御老師方お四人が降りて下され、万僧の数を円満させて下さいました。どうか尊い御名を留め置かれ、どうか半月ばかりはご逗留下さり、円満の供養を成し遂げましたなら、弟子が駕籠や馬を用意して御老師方を山上までお送り致します。此処より霊山まではただ八百里の道のり、遠くはございませぬ。」三藏これを聞き、大いに喜び、すべてしばらくは請け合うことにして、言うに及ばず。
その大小の家童たちは、屋敷へ薪を運び水を汲み、米や麦粉や野菜を取り寄せて、斎の供え物を整え始めた。すると突然、員外の夫人が驚いて尋ねた。「どこから来た僧侭が、そんなに急いでいるのか。」童僕が答えた。「今しがた四人の高僧がお見えになりました。お父様が彼らの起居をお尋ねになったところ、東土大唐の皇帝のご命令で、霊山へ仏様を拝みに行くのだそうです。我が家に着くまで、どれほどの路程があったか知れません。お父様は天から下られた方々だと仰せられ、急いで斎を整え、供養するようおっしゃいました。」その老婦人も聞いて喜び、侍女に「衣服を持って来い、私も見に行こう。」と言った。童僕が言った。「お婆様、お一人だけはお見になれますが、残りのお三方のお姿は非常に醜くて、見られたものではありません。」老婦人は言った。「お前たちは知るまい。およそ姿形が醜く、怪奇で清らかならざる者は、必ずや天人(てんにん)の下界に降りた者だ。急いで先にお前の父に知らせよ。」その童僕は経堂に走って行き、員外に「お婆様がお見えになり、東土の旦那様にお目通りしたいとおっしゃっております。」と告げた。三蔵はそれを聞いて、すぐに座を立った。言葉が終わらないうちに、老婦人はすでに堂の前に到着していた。目を上げて唐僧の風采が堂々として、姿が雄々しく立派なのを見た。顔を向けて、行者たち三人の並々ならぬ様子を見て、彼らが天人(てんにん)の下界に降りた者だと知ってはいたが、幾分か恐怖も覚え、上に向かってひざまずいて拝んだ。三蔵は急いで礼を返して言った。「有難きかな、菩薩様の過ぎたるご尊敬をいただき。」老婦人は員外に尋ねた。「四人の先生方、どうして並んでお座りにならないのですか。」八戒が口をとがらせて言った。「我々三人は弟子でございます。」ああ!彼のこの一声は、深山の虎の咆哮のようで、その母はますます恐れおののいた。
話しているうちに、また一人の家童が来て報告した。「お二人の若様もお見えになりました。」三蔵が慌てて振り返って見ると、それは二人の若い秀才であった。その秀才たちは経堂に上がり、長老に向かって深々と頭を下げて拝んだ。慌てた三蔵は急いで礼を返した。員外は進み出て引き止めて言った。「これは私の二人の息子で、寇梁(こうりょう)、寇棟(こうとう)と申します。書斎で読書しておりましたが、ちょうど帰って参りまして、昼食をとろうとしておりましたところ、先生がおいでになると聞き、拝見に参ったのです。」三蔵は喜んで言った。「賢いかな、賢いかな! まさに、『門第を高く上げようと思えば善行を積まねばならず、良い子孫を得ようと思えば読書に励まねばならない』とはこのことだ。」二人の秀才は父に申し上げて尋ねた。「こちらの旦那様は、どちらからおいでになったのでしょうか。」員外は笑って言った。「来た道のりは遠いのだ。南瞻部洲(なんせんぶしゅう)の東土大唐の皇帝が、霊山へ仏祖様を拝みに行くよう勅命を下された、経典を取りに行く方々だ。」秀才が言った。「私が『事林広記』で読みましたところ、普天の下には四大部州(しだいぶしゅう)があるのみです。我々のところは西牛賀洲(さいごがしゅう)と呼ばれ、もう一つ東勝神洲(とうしょうしんしゅう)があります。考えますに、南瞻部洲(なんせんぶしゅう)からここまで、いったい何年もの年月を経ておいでになったのでしょうか。」三蔵は笑って言った。「貧僧は道中、滞在した日の方が多く、歩いた日の方が少のうございました。しばしば悪毒な妖魔や残忍な怪物に遭遇し、万般の辛苦、千般の艱難を経て、多くは我が三人の弟子たちの保護のおかげでございます。合わせて十四の寒暑を経て、ようやくこの宝地に到達いたしました。」秀才はこれを聞いて、限りなく称賛して言った。「まことにお大師僧、まことにお大師僧でいらっしゃる!」
話がまだ終わらないうちに、また一人の小僧が来て請うた。「斎宴がすでに整いましてございます。旦那様方、お斎を召し上がりにお入りください。」員外は母と子を内宅に引き取らせ、自らは四人の僧侶に付き添って斎堂に入り、斎を食した。そこには整然と並べられており、次のようであった。
金漆の卓案、黒漆の交椅。前には五色の高き果物、すべて巧みな職人が新たに作りし時新しい様式。第二の行には五皿の小菜。第三の行には五皿の果物。第四の行には五つの大皿の閑食。いずれも甘美で、品々は清香。素湯の飯、蒸し巻きの饅頭、香り辛く濃厚で湯気が立ち上り、すべて口に合い、まことによく飢えを満たした。七八人の童僕が行き来して給仕し、四五人の料理人が休む間もなく立ち働く。
あなたが見るがいい、上湯をする者は上湯を、飯を盛る者は飯を盛り、来たり去ったり、まことに流星が月を追うがごとく。この猪八戒は、一口に一碗、まるで風が雲を巻くように。師弟たちは心ゆくまで一頓の食事を楽しんだ。長老は立ち上がり、員外に斎の礼を述べ、すぐにでも出発しようとした。その員外は引き止めて言った。「先生、どうか安心して数日お泊まりください。常言に『始めは容易くとも、終わりを結ぶは難しい』と申します。私が満願の法要を営み終えましたなら、ようやくお送りする勇気が湧きましょう。」三蔵は彼の心の誠実さを見て、やむを得ず滞在することとなった。
早くも五七日(いつか)朝夕が過ぎ、その員外はようやく地元の応仏僧(おうぶつそう)二十四名を招き、円満道場(えんまんどうじょう)を営むこととした。僧侶たちは執筆に三、四日を費やし、良辰(りょうしん)を選定し、仏事を開いた。そこは大唐の世の慣わしと同じであり、おおむね次のようであった。
大いに幡(はた)を張り、金の仏像を敷き並べる。ともに蝋燭を掲げ、香を焚き供養する。鼓を擂り、鐃(にょう)を敲き、笙(しょう)を吹き、管(くだ)を捻る。雲鑼(うんら)、横笛(おうてき)の音は清らかで、いずれも工尺(こうしゃく)の標記の通り。ひとしきり打ち、ひとしきり吹き、朗らかに声を斉(そろ)えて経蔵(きょうぞう)を開く。先ずは土地(とち)を安んじ、次に神将(しんしょう)を請ずる。文書(もんじょ)を発し、仏像(ぶつぞう)を拝む。一部の『孔雀経(くじゃくきょう)』を談じ、句句(くく)にして災障(さいしょう)を消す。一架の薬師灯(やくしとう)を点じ、焔焔(えんえん)として輝き光る。水懺(すいせん)を拝み、冤愆(えんけん)を解く。『華厳(けごん)』を誦し、誹謗(ひぼう)を消す。三乗(さんじょう)の妙法(みょうほう)は非常(ひじょう)に精勤(しょうごん)にして、一衆(いっしゅ)の僧侶はすべて同じ様子。
かくて三昼夜(さんちゅうや)をなし、道場はすでに終わった。唐僧は雷音寺(らいおんじ)のことを思い、一心に行こうとして、また辞去を申し出た。員外が言った。「先生が別れを告げるのがとても急でいらっしゃいますが、これは連日の仏事が忙しく、多く粗略(そりゃく)がございましたゆえ、お気に障ったということでございましょうか。」三蔵が言った。「貴府を大いに煩わせ、何をもって報いればよいかも知らず、どうして気に障るなどと言えましょう。ただ、あの時、聖君(せいくん)が私を関門の外へ送り出され、いつ帰れるかとお尋ねになったので、私は誤って三年で帰れると答えてしまいました。まさか道中に滞在することがあろうとは思いもよらず、今やすでに十四年が過ぎてしまいました。経典を取りに行けるかどうかも分からず、帰って来るのにまた十二、三年かかるとすれば、それは聖旨(せいし)に背くことになるのではありませぬか。その罪、どうして担うに堪えましょう。どうか老員外、貧僧を行かせて下さい。経典を取り終えて帰りましたなら、再びお屋敷に伺い、幾日か過ごすことも、何の差し支えがありましょう。」
八戒はこらえきれず、声高に叫んで言った。「師父はあまりにも人の望みに従わず、人情に疎い。老員外は家も大きく財産も多く、かねてよりこのような僧侭を供養する誓いを立てられ、今や満願を迎えられた。それに加えて誠心でお留めになっているのだから、一年や半年滞在しても差し支えあるまい。ただ行こうとなさるのは何故だ? こんなに出来合いの良い斎を差し置いて、人の家に托鉢(たくはつ)に行こうとなさる。前方に、あなた様の何のおじい様やおばあ様の家があるというのか。」長老は「へっ」と一喝して言った。「この愚か者が、ただ食べることだけを知っていて、回向(えこう)の因縁(いんねん)を顧みないとは、まさに槽(かいばおけ)の中で食い、胃の中で掻く畜生だ。お前たちがこのような貪瞋痴(とんじんち)を貪ろうというのなら、明日は私一人で行くことにしよう。」行者は師父の顔色が変わったのを見て、八戒を捕まえ、頭を拳で一発打って罵った。「呆け者め、事の良し悪しも知らずに、師父に我々まで責められるような真似をさせるとは。」沙僧は笑って言った。「打ち据えるが良い、打ち据えるが良い。こうして黙っていても人に嫌われるのに、ましてや口を出すとは。」その呆け者は、気息荒く傍らに立ったまま、もはや言葉を発することができなかった。員外は彼ら師弟が怒っているのを見て、やむを得ず満面に愛想笑いを浮かべて言った。「先生、焦らずともよろしい。今日はひとまずご猶予を。明日、私が旗や太鼓を用意し、幾人かの隣人や親戚を招いて、ご出発のお見送りを致しましょう。」
ちょうど話している時、その老婦人がまた出て来て言った。「老師父、あなた様が私が家においでになったからには、無理に断ろうとなさらずともよろしい。今日で何日目になりますか。」三蔵が言った。「すでに半月になります。」老婦人が言った。「この半月は、私の員外の功徳といたしましょう。老身にも少々の針仕事の銭がございます。どうか老師父を半月、お斎にご招待させてください。」言葉が終わらないうちに、寇棟兄弟がまた出て来て言った。「四人の旦那様、家父が僧侭を供養すること二十余年、これまで良い方に出会うことはございませんでした。幸いにして満願を迎え、四人のお方様がお見えになったのは、まさに蓬荜(ほうひつ)に生輝(せいき)を加えるものでございます。学生(がくせい)は幼くして因果を知りませぬが、常々人の言うのを聞きますには、『公は公に修し、婆は婆に得る、修せざれば得ず』と。家父、家母それぞれが芹(せり)を献じたいと存じますのは、正に各々因果を求めるがゆえでございます。どうして無理に断ろうとなさいますか。愚兄弟(ぐきょうだい)と雖も、僅かばかりの束脩(そくしゅう)の銭がございます。どうか旦那様方を半月、供養させていただき、その後お送りいたす所存でございます。」三蔵が言った。「お母堂様の深いお志、すでに頂戴する勇気もございませぬのに、ましてや賢兄弟のご厚情を賜るなど、決して頂戴することは叶いませぬ。本日必ず出発致す所存、どうかお気になさらぬよう。もしそうしなければ、長く勅命の期限に背くこととなり、罪は死をもって償うに足りませぬ。」その老婦人と二人の息子は、彼が固執して留まろうとしないのを見て、腹を立てて言った。「好意で留めておるのに、このように頑なに行こうとなさる。行くなら行くがよかろう、何をくどくどと言うことがあるのか。」母子はそのまま身を引いて中へ入ってしまった。
八戒は思わず口を出し、また唐僧に向かって言った。「師匠、やり過ぎはいけません。昔から言うでしょう、『残れば恨みが残る』と。我々は一ヶ月ほど留まって、あの親子の心願を果たしてやればそれでいいでしょう。何をそんなに急ぐのですか?」唐僧がまた叱ると、その間抜けは自分の口を二度叩いて言った。「ちっちっち!余計なことを言うなと言われたのに、また口を出してしまった!」行者と沙僧はその横でくすくす笑った。唐僧はまた行者を責めて言った。「何を笑う?」そして印を結び、緊箍呪を唱えようとした。慌てた行者はひざまずいて言った。「師匠、私は笑っておりません、笑っておりません。どうかお唱えにならないでください、お唱えにならないで。」
員外はまた彼ら師弟が次第にいら立ち始めるのを見て、それ以上無理に引き留めることはできず、ただ言った。「老師方、騒ぐ必要はありません。明朝には必ずお送りいたします。」そこで経堂を出て、書記に命じて百通ほどの短い招待状を書き、近隣や親戚を招いて、明朝に唐朝の老師の西行を見送ることにした。一方で料理人に餞別の宴の準備を命じ、また一方で管事の者に二十対の彩旗を作らせ、吹き手や楽人を一組手配し、南の寺から僧侶を一組、東岳観から道士を一組招き、明朝の巳の刻(午前9~11時)までにすべて整えるよう命じた。執事たちはそれぞれ命を受けて出ていった。
間もなく、また夜になった。夕食を済ませ、各自部屋に帰って休んだ。見ると:
数羽の烏が村を越えて帰り、楼の鐘や太鼓が遠くに聞こえる。
六街三市は人気が静まり、千門万戸の灯火は薄暗い。
月は皎々とし風は清らかに花は影を弄び、銀河は淡く星々を映す。
子規の啼くところ更けて、天の音は無く大地は沈黙す。
その夜、三更四更の頃、各管事の家来たちは皆早起きして、様々な品々を買い揃えた。宴の準備をする者は厨房で忙しく、彩旗を整える者は堂前で騒がしく、僧や道を招く者は両脚を忙しく動かし、鼓楽を呼ぶ者は一身に急ぎ、招待状を届ける者は東へ西へ走り、駕籠や馬を準備する者は上で呼び下で応じる。この半夜、朝まで騒ぎ立て、巳の刻の前後にはすべての準備が整った。これも金の力に過ぎない。
さて、唐僧師弟が早起きすると、また一団の人々が供養に来た。長老は荷物をまとめ、馬の準備をするよう命じた。間抜けは出発すると聞いて、また唇を尖らせてぶつぶつ言いながら、衣鉢をまとめ、高肩の担子を探し出した。沙僧は馬を洗い清め、鞍と轡を整えて待機した。行者は九環の杖を師匠の手に渡し、通関文牒の入れ袋を胸に掛け、皆一斉に出発しようとした。員外はまた皆を後ろの大広間に招いた。そこにはまた宴が設けられ、斎堂でのもてなしとはさらに異なり、格別であった。見ると:
幕は高く掛けられ、屏風は四方を囲む。中央には寿山福海の図が掛けられ、両壁には春夏秋冬の四幅の景色が並ぶ。龍文の鼎からは香が漂い、鵲尾の炉からは瑞気が生ずる。看盤は彩りを凝らし、宝飾の花色は鮮やか。机の上には金を積み、獅仙糖が整然と並ぶ。階前では鼓や舞が宮商に合わせ、堂上では果物や肴が錦を敷きつめる。素湯素飯は清らかで珍しく、香酒香茶は美しく芳醇。百姓の家でありながら、王侯の邸に劣らない。ただ一様の歓声が聞こえ、まことに天地を驚かす。
長老が員外と礼を交わしていると、家来が来て報じた。「お客様が皆お着きになりました。」それは招かれた近所の隣人、妻の弟や姉の夫、妹の夫、また同道の斎講の信者や念仏の善友たちで、一斉に長老に礼拝した。礼拝が終わり、それぞれ席に着いた。堂の下では瑟や笙が奏でられ、堂の上では弦歌酒宴が行われた。この盛宴に八戒は心を留め、沙僧に言った。「兄弟、心置きなくたっぷり食べよう。寇家を離れたら、もうこんな良い品はないぞ。」沙僧は笑って言った。「二哥、何をおっしゃいます。昔から言うでしょう、『珍味百味も、一飽すればそれまで』と。隠し道はあっても、隠し腹はありませんよ。」八戒は言った。「お前はまったく不甲斐ない、不甲斐ない。俺はこの一食で腹一杯食えば、三日は急には空腹にならない。」行者がそれを聞いて言った。「間抜け、腹を脹らませて破るなよ。今から歩かねばならぬのだ。」
言い終わらぬうちに、日は中天に昇った。長老が上座で箸を上げ、《謁斎経》を唱えた。八戒は慌てて、飯を盛る器を取り、一口一碗で五六碗も平らげ、饅頭や餅、焼き菓子を無造作に両袖にたっぷりと詰め込んでから、ようやく師匠に従って立ち上がった。長老は員外に礼を言い、また皆に礼を言って、一緒に門を出た。見ると、門の外には彩旗や宝蓋、鼓手や楽人が並び、また二組の僧と道がようやく到着したところだった。員外は笑って言った。「皆様、遅れられました。老師はお急ぎで、斎をお出しする暇もありません。お帰りの際にまたお礼申し上げましょう。」皆は道を譲り、駕籠を担ぐ者は担ぎ、馬に乗る者は乗り、歩く者は歩き、皆長老と四人を先に行かせた。鼓楽は天に響き、旗旛は日を覆い、人々は集まり、車馬は連なり、皆寇員外が唐僧を見送るのを見に来た。この富貴の様は、まことに珠や翠に囲まれるに勝り、錦帳の春を蔵するに劣らない。あの僧の一団は仏曲を一組奏で、あの道の一団は玄音を一通り吹き鳴らした。皆城の外まで送り、十里の長亭に至り、さらに籃の飯や壺の酒を設け、杯を捧げて酌み交わし、別れを惜しんだ。その員外はなおも名残を惜しみ、涙を浮かべて言った。「老師が経典を取りにお帰りの際は、必ずや我が家に再び数日お泊まりください。そうして寇洪の心を満たしてくださいませ。」三蔵は感謝極まりなく、謝辞を尽くして言った。「私が霊山に至り、仏祖にお目にかかることが叶いましたなら、まず員外の大徳を申し上げます。帰途には必ずやお宅に参り、心からお礼を申し上げます。」話しているうちに、知らず知らずのうちにまた二三里も進み、長老は心から別れを告げた。その員外はまた声を上げて泣きながら引き返した。これは正に:
願い有りて斎僧し妙覚に帰すも、縁無くして仏如来に見えず。
寇員外が十里の長亭まで送り、皆と共に家に帰った話はさておき、彼ら師弟四人は四五十里ほど行き、日も暮れかかった。長老が言った。「日が暮れた。どこで宿を借りようか?」八戒は担子を担ぎ、唇を尖らせて言った。「出来た茶飯を食べず、涼しい瓦屋に住まず、何の道を歩くのか、まるで葬式の魂を奪うようなものだ。今に日が暮れ、もし雨でも降ってきたら、どうするつもりだ?」三蔵は罵って言った。「この悪い畜生、また不平を言うのか。昔から言う、『長安は良しといえども、永く住むべき里にあらず』と。我々が縁あって仏祖を拝し、真経を得て、その時大唐に帰り、主君に奏上して、あの御厨の飯を、お前が何年でも好きなだけ食わせてやり、この畜生を脹れ死なせて、飽き足りた餓鬼にしてやろう。」その間抜けはこっそりと笑い、二度と口を出せなかった。
行者が目を上げて遠くを見ると、大路の脇に幾つかの家屋があるのを見つけ、急いで師匠に請うた。「あそこに泊まれます、あそこに泊まれます。」長老が前に進むと、それは崩れた牌坊で、坊の上には古い扁額があり、扁額には色あせて埃をかぶった四つの大きな文字、「華光行院」とあった。長老は馬を下りて言った。「華光菩薩は火焔五光仏の弟子で、毒火鬼王を討ち滅ぼしたため、職を降ろされて五顕霊官と化した。ここには必ず廟守がいるはずだ。」そこで皆一緒に入ったが、廊や房は全て倒れ、人影は見えなかった。引き返そうとしたが、折悪しく天上には黒雲が覆い、大雨が降り注いだ。やむなく、その破屋の下で、雨を凌げる場所を選び、身を隠した。ひっそりと静かに、声を高くせず、妖邪に気づかれぬようにした。座る者は座り、立つ者は立ち、一晩中苦しい思いをして眠れなかった。ああ!まことに:
泰極まって否を生じ、楽しきところにまた悲しみに逢う。
はたして夜が明けて前方に進むが如何に、且く下回の分解を聴け。
