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三十二篇

非十二子篇

第 7 篇

仮に、今のような世の中に於いて、(「仮に」とは、今の世の中を仮に想定するという意味である。ある人は言う、「仮」は「借」と同じ。今の世とは、戦国時代の混乱した時代を指す。太平の世であれば、奸邪な言論が身を置く場所はないので、十二子は乱世に乗じて人々を惑わしたのである。)邪説を飾り立て、奸言を文飾して、天下を混乱させる。(「梟」は「浇」と同じである。)詭詐放蕩で、怪異猥雑であり、(「矞」は「谲」と同じで、詭詐の意。また余律反と読む。「宇」は詳らかではない。ある人は言う、「宇」は「大」で、放蕩で大らかなことを指す。「嵬」は、狂険な行いをする者を指す。「瑣」は、奸細な行いをする者を指す。『説文』に「嵬は、高くして平らかならざるなり」とある。ここで「嵬」と言うのは、その行いが狂険で、山が高くして平らかでない様に似ているからである。『周礼・大司楽』に「大傀烖則ち楽を去る」とあり、鄭玄は「傀は、怪の如し」と言う。『晏子春秋』に「上を以て本と為さず、百姓を以て憂いと為さず、内に於いては己が家を顧みず、外に於いては其の游処を顧みず、誇張の言辞、怪異の行い、自ら勤苦して飢寒に至る、之を狂僻の民と謂い、明王の禁ずる所なり」とある。「嵬」は「傀」と意義を同じくするべきで、音は五毎反、また牛彼反である。)天下をして渾然として是非治乱の所在を知らしめない者が、存在するのである。(「渾然」は、分別の無い様子。「存」は、在るの意。)情性を放縦にし、恣肆に安んじ、行いは禽獣の如くであり、(「恣睢」は、驕り矜り放縦にする様子。情性のままに行い礼儀を知らなければ、禽獣と差が無いことを意味するので、「禽獣行」と言うのである。「睢」は許季反と読む。)礼文に合い、治道に通ずるには足りない。(古の礼文義理に合い、治理の道に通ずるには足りない。)しかしながら彼らは論に拠るところがあり、言辞は道理を成すことができ、以て愚昧な大衆を欺き惑わすに足る。(妄りに古人もまたこのような状況があったと称するので、「持之有故」と言うのである。またその言論が文理を成すことができるので、「言之成理、足以欺惑愚人衆人」と言うのである。)これが它囂、魏牟である。(它囂は、何の時代の者か詳らかではない。『世本』に楚平王の孫に田公它成がいたとあり、同族であろうか。『韓詩外伝』には「范魏牟」と作る。牟は、魏の公子で、中山に封ぜられた。『漢書・芸文志』道家に『公子牟』四篇がある。班固は「荘子以前に在り、荘子は之を称道した」と言う。今『荘子』の中に公子牟が荘子の言を引いて公孫龍を折伏するものが有り、これに拠れば彼は荘子と同時であるべきである。また『列子』は公子牟が公孫龍の言を解釈したと称する。公孫龍は、平原君の門客であり、張湛は公子牟を魏文侯の子と考えるが、年代を以て言えば正しくない。『説苑』に「公子牟東行し、穣侯之を送る」とある。いずれの説が確かかは知らない。)人の情性に違逆し矯飾し、奇詭にして世俗を離れ自らを高くし、(「忍」は、本性に違逆し矯飾することを指す。「綦谿」は詳らかではないが、おそらく「跂」と意義を同じくする。「利」は「離」と同じ。離跂は、世俗を離れ自ら潔くする様子で、外物を離れ爪先立ちして自ら高くすることを指す。『荘子』に「楊朱、墨翟是よりして始めて離跂し、自ら以て得る所有りと為す」とある。「離」は力智反と読む。「跂」は丘氏反と読む。)ただ人と異なることを分別することを求めて高明と為し、(ただ人と異なることを分別することを追求し、これを高尚な行いと為す。)大衆に合い、大きな名分を明らかにするには足りない。(既に人と異なることを追求すれば、大衆に合うには足りない。ただ小さな節を立てるだけなので、大きな名分を明らかにするには足りない。大分とは、忠孝の大義を指す。)しかしながら彼らは論に拠るところがあり、言辞は道理を成すことができ、以て愚昧な大衆を欺き惑わすに足る。これが陳仲、史鰍である。(前に既に解釈した。)天下を統一し、国家を建立するための権衡の基準を知らず、(天下を斉一にし国家を建立するための権衡の軽重を知らない。「称」は尺証反と読む。)功用を崇尚し、倹約を過度にし、而して等級の差別を軽んじ、(功用は、功力のこと。「大」は「太」と読む。功力を最も高い位置に置き、倹約を過度にすることを意味する。「僈」は、軽んずるの意。差等を軽んずるのは、君臣上下を同じく労苦させようとするからである。)竟には差異を容れ、君臣を懸隔するには足りない。(上下同等であれば、その中に差異を容れることができず、君臣を懸隔することもできない。)しかしながら彼らは論に拠るところがあり、言辞は道理を成すことができ、以て愚昧な大衆を欺き惑わすに足る。これが墨翟、宋銒である。(宋銒は、宋の人で、孟子、尹文子、彭蒙、慎到と同時である。『孟子』には「宋牼」と作る。「牼」と「銒」は同じで、音は口茎反である。)法を崇尚しながら自らは法無く、修身を下位に置きながら造作を好み、(「尚」は「上」と同じ。著わした書物は法を上位に置きながら、自らには法が無いことを意味する。修身立行を下位に置きながら、造作を好むのは、自ら矛盾することを示す。)上に於いては上の听从を求め、下に於いては世俗の服从を求め、(苟しくも上下の意に従うことを意味する。)終日、成篇成典の言辞を語り、繰り返し循り考察するも、疎遠にして空疎で帰する所無く、(「紃」は「循」と同じ。「倜然」は、疎遠な様子。「宿」は、止まるの意。言辞は成篇成典を成すが、もし繰り返し循り察すれば、疎遠にして指帰無し。)以て国家を治理し、名分を定めるには用いることができない。(彼らは上の听从を求め、下の服从を求めるので、法度は建立できない。)しかしながら彼らは論に拠るところがあり、言辞は道理を成すことができ、以て愚昧な大衆を欺き惑わすに足る。これが慎到、田騈である。(田騈は、斉の人で、稷下に游学し、書を十五篇著わした。その学問は黄老に本づき、大凡名法に帰する。慎到は、前に既に解釈した。)先王に法(のっと)らず、礼義を以て是と為さず、(礼義を正しいとは認めない。)而して怪異の説を治理し、奇異の言辞を弄することを好み、(「玩」は「翫」と同じ。「琦」は奇異の奇と読む。)甚だ精察なるも順わず、(「惠」は「順」の意。)弁ずるも用無く、事多けれども効少なく、以て治理の綱紀と為す能わず。しかしながら彼らは論に拠るところがあり、言辞は道理を成すことができ、以て愚昧な大衆を欺き惑わすに足る。これが恵施、鄧析である。大略先王に法るも、其の統緒を知らず、(大略は先王に法るが、体統を知らないことを意味する。「統」は綱紀を指す。)従容緩徐にして才気多く志は宏大、見聞は駁雑広博である。(「猶然」は、緩徐にして遅々たる様子。『礼記』に「君子は蓋し猶猶たり」とある。「劇」は、多いの意。)古旧の事に依拠して説を創立し、五行と称し、(前古の事に依拠して自ら其の説を造り、五行と称する。五行とは、五常、即ち仁・義・礼・智・信である。)甚だ乖僻背理にして善類無く、幽隠晦渋にして説明できず、閉結約束にして解釈できない。(「約」は、結ぶの意。「解」は、説明の意。僻遠無類とは、乖僻違戾にして善類を知らないことを指す。幽隠無説、閉約無解とは、其の言論が幽隠閉結して自ら説明できず、ただ堯・舜の道を語るのみで興作の方略を知らないことを指す。荀卿は常に後王に法り、当世を治理することを説き、而して孟軻・子思は必ず堯・舜・文・武の道を行って後に治理できると考え、時に随い教えを設け、当世の弊を救うことを知らない。故に僻違無類と言うのである。『孟子』に「管仲、曾西の為さざる所なり」とある。「解」は佳買反と読む。)彼らは其の言辞を飾り、恭敬して言うことには、これは真に先君子の言論であると。(自ら其の辞説を尊重することを意味する。先君子とは、孔子を指す。)子思が之を倡導し、孟軻が之に和し、(子思は、孔子の孫、名は伋、字は子思。孟軻は、鄒の人、字は子輿。共に書を七篇著わす。)世俗中の愚昧暗乱なる儒者、喧嘩争辯して其の誤りを知らず、(「溝」は「怐」と読む。「怐」は愚の意。「猶」は猶豫、定まらざる様子。「瞀」は昏暗の意。『漢書・五行志』に「区瞀」と作り、ここ意義同じ。「嚾嚾」は、喧騒の様子、争辯を指す。「怐」は音寇。「猶」は音柚。)是に於いて受け取り伝授し、仲尼・子游が此の厚徳を後世に遺したと為し、(仲尼・子游が此の言論を作り、厚徳を後世に伝えたと為す。)これが子思・孟軻の罪過である。方略を総領し、言行を斉一にし、綱紀類別を統一し、天下の英傑を集合し、以て太古の道を彼らに告げ、以て最も順当なる道理を以て彼らを教え、(「総」は、統領の意。「統」は綱紀を指し、「類」は類別を指す。大なるを統と謂い、別つを類と謂う。「群」は、会合の意。「大」は太と読む。)室内の角落の間、竹席の上に於いて、聖王の礼楽文章は聚集して備わり、太平の世の風俗は勃然として興り、(西南の角を奥と謂い、東南の角を窔と謂う。庁堂の内を出でざることを意味する。「斂然」は、聚集する様子。「佛」は勃と読む。勃然は、興起する様子。「窔」は一弔反と読む。)六種の学説は侵入できず、十二子は親近できず、錐を置く場所無く、而して王公は彼と名を争う能わず、一つの大夫の職位に在れば、則ち一君は独りで畜養できず、一国は単独で収容できず、(王者の輔佐の才は、下位に在ると雖も、諸侯が畜養し、一国が収容できる所ではないことを意味する。ある人は言う、当時の君主は其の賢能を知らず、一君一国として畜養できる者無く、故に仲尼の到る所は皆軽々しく去った、と。)成就する名聲は諸侯に比し、臣子と為すことを願わざる者無く、(「況」は、比の意。其の成就する名聲は、他人と比べて、敵う者無きを意味する。故に諸侯は願わずして彼を臣子とすることが無い。ある人は言う、既に成名した後は、王者の輔佐の臣であり、況や諸侯に願わずして彼を臣子とすることが無いだろうか、と。其の賢能を知らざる時は、国として収容できる者無し。ある人は言う、「況」は「益」の如し、と。『国語』に「驪姫曰く、衆人益々之を厚くす」とあり。)これは得勢せざる聖人、仲尼、子弓が即ち是である。天下を統一し、万物を裁成し、(「財」は「裁」と同じ。)人民を長養し、天下を兼利し、凡そ車船の到る所、人力の通ずる所、順従服从せざるは無く、(「通达之属」は、舟車の到る所、人力の通ずる所を指す。)六種の学説は即ち止息し、十二子は転じて教化を受け入れる。(遷移して従い化する。)これは得勢せる聖人、舜、禹が即ち是である。今、仁人は将に何に力を注ごうとするのか。上は舜・禹の制度に法り、下は仲尼・子弓の義理に法り、力を注いで十二子の学説を止息させる。此の如くすれば、天下の禍害は除かれ、仁人の事業は完成し、聖王の事跡は顕著となる。

信じるべきものを信じるのが「信」であり、疑うべきものを疑うのもまた真の「信」である。(信じるべきものを信じ、疑うべきものを疑うことは意味は異なるが、いずれも「信」に帰する。)賢者を尊ぶのが「仁」であり、不賢なる者を軽んじるのもまた「仁」である。言葉が適切なのが「知」であり、沈黙が適切なのもまた「知」である。故に、沈黙をわきまえることは、言葉をわきまえることと同じである。(『論語』に「知るを知るとなし、知らざるを知らざるとなす、これ知なり」とある。「当」は「丁浪反」と読む。)故に、言葉は多いが筋の通っている者は聖人であり、言葉は少ないが法を守る者は君子である。(言葉は多いが流れ溺れることなく、すべて礼儀にかなうのは、聖人の制作である。言葉は少なく法を守るとは、自ら言説を創り出すことを敢えてせず、述べるところはすべて典法に従うことをいう。)言葉は多いが法度がなく、流れ溺れる者は、たとえ弁舌が巧みであっても小人である。(「湎」は沈むこと。「流」は去って再び戻らず、「沈」は下がって再び出てこないことをいう。)故に、労力を費やして民の務めに合わないことを「姦事」といい、(民の務めとは、士・農・工・商の四民の務めをいう。)智慮を費やして先王に倣わないことを「姦心」といい、(「律」は法である。)弁説・比喩が迅速敏捷でありながら礼儀に従わないことを「姦説」という。(「斉」は速いこと。「給」は急ぐこと。「便利」もまた言葉の機敏さをいう。)これら三種の姦邪は、聖王が禁じるところである。聡明でありながら陰険で、人を害して神のように測り知れず、(智慧を陰険に用い、しかも害することの測り知れないこと神のごとし。)偽りを造作して巧みであり、(偽りを造作することを得意とする。)言論は無用でありながら弁舌巧みで、(言辞は弁舌巧みで無用である。)弁論は順理でないのに精察であるかのように見せかける。(「恵」は順のこと。辞弁は順理でなく、道理に合わないのに自ら聡明であると思う。)これらは治世の大いなる禍害である。行いは奇僻でありながら固執し、(「辟」は「僻」と読む。)過ちを飾って美しいとし、(過ちを飾ることを好む。)姦邪を玩弄して潤色し、(「玩」は「翫」と同じ。姦邪に熟達して、それに潤色を加える。)言辞は弁舌巧みでありながら悖逆する、これらは古代の大禁である。(「逆」は正理に背くこと。)聡明でありながら法度がなく、(自らの異見に馳せ走る。「知」は本字のまま読む。)勇敢でありながら畏れるところがなく、(死を軽んじる。)精察で弁舌巧みでありながら奇僻で淫邪なことを操り、(精察な弁論をなすが、奇僻で淫乱なことを操る。「操」は「七刀反」と読む。)これらのことを大きく見なして用い、(前のいくつかのことを大きな事と見なして用いる。)姦邪を好んで大勢をそれに参与させ、(姦邪を好み、大勢と共に行う。すなわち人をして己に同じくさせることをいう。)ただ利益の満足を求めて惑い顧みず、(苟も利益の満足を求めて、禍患に惑い顧みない。)石を背負って川に沈む。(申徒狄が石を背負って川に沈んだ故事を指す。これは好名の心がこのようなに至るもので、これもまたただ利益の満足を求めて惑う者の類であることをいう。)これらはすべて天下が捨て去るところである。

天下の人々の心を兼ね服させるには:高い位にあり、尊貴を受けても、それをもって人に驕らないこと;(尊貴の位置にあって人に驕らない。)聡明で聖なる知恵があっても、それをもって人を窮めないこと;敏捷で達していても、人と先を争わないこと;剛毅で勇敢であっても、それをもって人を傷つけないこと;知らざれば問い、能わざれば学び、たとえ能くすることがあっても必ず譲り、然る後に徳行となる。(こうして後に聖賢の徳行となる。)君主に遇えば、臣下の義分を修め;郷里に遇えば、長幼の義分を修め;(郷党の中において。)長者に遇えば、子弟の義分を修め;朋友に遇えば、礼節辞譲の義分を修め;賤しく年少の者に遇えば、告げ導き寬容にする義分を修める。愛さない者がなく、敬わない者がなく、人と争うところがなく、寬広なること天地の万物を包容するがごとし。このようにすれば、賢者はこれを貴び、不賢者はこれを親しむ。このようにしてもなお服従しない者は、これを妖怪狡猾の者ということができ、(「訞」は「妖」と同じ。)たとえ子弟の中にいても、刑罰をこれに加えるのが適当である。(妖怪狡猾の者は、たとえ家人子弟の中にいても、刑戮を身に受けるべきであり、まして公法においてはなおさらである。)『詩経』に曰く、「上帝が時に非ざるに非ず、殷人が旧を用いざるなり。老成の人無しと雖も、なお旧典刑有り。竟に是れ聴く者無く、大命は斯に傾く。」というのは、この道理を言う。(『詩経』は『大雅・蕩』の篇。鄭玄曰く、「老成人とは、伊尹・伊陟・臣扈の類なり。典刑とは、行うべき事、旧き有りのままの法度なり。」)

古えに所謂仕官する士(士仕)とは、厚く敦実なる者、群を和合する能う者、(士仕とは、士の仕官することをいう。「合」は衆を和合すること。)富貴を楽しむ者、(その道を楽しむこと。)分施を楽しむ者、(「施」は時に「所宜反」と読む。)罪過を遠ざける者、(「遠」は「于願反」と読む。)事をして条理あらしむるに務める者、(事をして条理あるようにすることを務めること。)独り富むを恥ずる者。(家家に充足させ、人人に富ませることを欲する。)今の所謂仕官する士とは、汚穢散漫なる者、残害乱を作す者、(「汚漫」は既に前篇『栄辱篇』で解釈した。)恣肆放縦なる者、(「恣睢」は既に上文で解釈した。)利益を貪る者、人に触れ抵る者、(勢いに依拠して人に逆らうこと。)礼義無くしてただ権勢を嗜む者である。古えに所謂隠居して仕官しない士(処士)とは、徳行豊かなる者、安静なる能う者、(処士とは、仕官しない者のこと。『易経』に「或いは出で、或いは処る」とある。「能静」とは時に命に安んじ、その位に順処することをいう。)修治端正なる者、命を知る者、是と非とを彰明にする者。(明白に当時に正しい事柄を示し、人にその奸詐を疑わせないこと。)今の所謂隠居して仕官しない士とは、能力無きに能力有りと自称する者、(「云能」は自ら能ありと言うこと。『慎子』に「強いて能ある者を傷つければ乱る、能あるを自称して能なき者を傷つければ亦た乱る」とある。蓋し戦国時代に「言能」を「云能」と言ったのは、当時の言語である。)知識無きに知識有りと自称する者、利を逐う心満つること無くして無欲を装う者、(利を好むこと知る足らず、無欲を装うこと。)行い虚偽・険悪・汚穢でありながら、強いて謹慎誠朴を高言する者、世俗に合わざるを以て自らの風俗とする者、(俗人に合わざるをもって自らその俗を成すこと。)俗を離れて放縦し、爪先立って自ら高くし、恣に人を毀る者。(「訾」は「恣」と読む。「離縦」とは、俗を離れて放縦することをいい、「跂訾」とは、爪先立って俗に違反し、自分の意志を放縦にすることをいい、いずれも俗に違反して自らを高くする様子である。或る人は言う、「縦」は「縰」と作るべきで、伝写の誤りであると。「縰」は「纚」と同じで、歩行のこと。「離縰」とは、俗を離れて歩き去ることをいい、「跂訾」もまた爪先立って自ら高くし、かつ人を謗ることをいう。「離」は「力智反」と読む。「跂」は「丘氏反」と読む。「縰」は「所綺反」と読む。)

士君子の能くすることと能くせざることとは:君子は尊ばるべきことを為すことは能うが、人をして必ずしも自らを尊ばしむることは能わず;(「可貴」は道德をいう。)信ぜらるべきことを為すことは能うが、人をして必ずしも自らを信ぜしむることは能わず;用いらるべきことを為すことは能うが、人をして必ずしも自らを用いしむることは能わず。(「可用」は才能をいう。)故に君子は、己を修めざるを恥ずるも、人に汚されるを恥ずるに非ず;(「見汚」は人に汚穢されること。)信を守らざるを恥ずるも、信ぜられざるを恥ずるに非ず;能力無きを恥ずるも、用いられざるを恥ずるに非ず。故に虚誉に誘惑されず、誹謗に恐れず、(虚偽の名誉に誘惑されず、毀謗に動かされないこと。)道に循いて行い、端正に己を修め、外物に傾斜動揺せられず、これを以て真の君子と謂う。(「誠」は実なり、虚偽無きことをいう。)『詩経』に曰く、「温温恭人、惟れ徳の基。」というのは、この道理を言う。(既に『不苟篇』で解釈した。)

士君子の儀容は、その冠は前方に正しく、その衣服は寬大であり、その神情は和やかで楽しい。(進は冠が前方にあること。逢は大きく、逢掖の衣を指す。良は楽易を指す。)厳かな様子、雄壮な様子、安泰な様子、寬舒な様子、寬宏な様子、広大な様子、昭明な様子、坦蕩な様子、これが父兄の儀容である。(儼然は、矜持して厳かな様子。壯然は、侵犯しがたい様子で、おそらく「莊」とすべきである。祺然、蕼然は未詳。ある人が言うには、祺は祥、吉で、安泰にして憂懼しない様子を指す。「蕼」は「肆」とすべきで、寬舒な様子を指す。恢恢、廣廣は、ともに衆を容れることのできる様子。昭昭は、明らかな様子。蕩蕩は、平坦で広大な様子である。)その冠は前方に正しく、その衣服は寬大であり、その神情は誠実で謹み深い。(謹敬。)謙卑な様子、敬畏する様子、親附する様子、端正な様子、柔弱な様子、恭敬な様子、連なり離れない様子、正視することを敢えてしない様子、これが子弟の儀容である。(儉然は、自ら卑下し謙る様子。恀然は、尊者に依り頼み畏れる様子。『爾雅』にいう:「恀は、恃なり。」郭璞が言うには:「江東では母親を恀と称し、音は紙である。」輔然は、互いに親しみ寄り添う様子。端然は、傾いたり倚りかかったりしない様子。訾然は未詳。ある人が言うには、孳と同じで、柔弱な様子である。洞然は、恭敬な様子。『禮記』にいう:「洞洞乎其敬也。」綴綴然は、乖離しない様子で、連なり綴ることを指す。瞀瞀然は、正視することを敢えてしない様子である。)私はお前に、あの学者たちの怪異な儀容を教えよう。(学者が怪異な行いをする形を説明する。嵬は、すでに上の文で解釈した。)その冠は低く俯き、冠の紐は寬緩で、神情は傲慢にして進まない。(「絻」は「俛」とすべきで、過度に前方に低く俯くことを指す。纓は冠の紐である。禁緩は未詳。ある人が言うには、紟と読む。紟は帯である。意味するところは、その冠の紐が帯のように大きく且つ寬緩であること。簡連は、傲慢にして進まない様子。紟は其禁反と読む。連は「往蹇來連」の連のように読む。)満足して自得した様子、跳躍して躁動する様子、陰静で不吉な様子、窺う様子、驚いて見る様子、極力窺う様子、目を張って見る様子、(填填然は、満足した様子。狄は趯と読み、跳躍する様子。莫は貊と読む。貊は静で、不吉な様子。盡盡は、極力窺い、物事を見尽くそうとする様子。盱盱は、目を張る様子。これらはすべて、視線が平らでなく、あるいは過度に精細に物事を見ることを指す。盱は許于反と読む。)酒食や声色の中にあっては、目を閉じて自ら満足し、昏々として察しない。(瞞瞞は、目を閉じる様子。瞑瞑は、はっきりと見えない様子で、極めて好みながら、あたかも見ないふりをすることを指す。瞞は莫干反と読む。瞑は母丁反と読む。)禮節の中にあっては、憎み毀ち謗る。(憎惡し、謗ることを指す。)勞苦や事業の中にあっては、懶惰で力なく、散り散りで親しまず、苟且に避けて冒昧で畏れず、廉恥がなく辱めを受忍する。これが学者の怪異である。(事業は、勞作の事を指す。儢儢は、無理に力を用いない様子。離離は、事務に親しまない様子。陸法言が言うには:「儢は、心が力を用いないこと、音は呂。」偷儒は、苟且に事務の勞苦を避けることを指す。罔は、冒昧にして他人の言論を畏れないこと。𧫟訽は、辱めである。この章はすべて、人の形貌を観察して善惡を弁別することを説明する。今の解釈は、あるものは聲韻の假借を取り、あるものは傳寫の誤りを推測し、そのため見るところに従ってこれを貫通させるものである。)

冠を偏斜に戴き、言葉は淡泊であり、(弟佗其冠は未詳。「祌禫」は「沖澹」とすべきで、その言葉が淡泊であることを指す。)禹の歩行、舜の趨歩を模倣する、これが子張氏の一派の浅薄な儒者である。(ただ聖人の威儀を模倣するだけである。)衣冠を正し、顏色を整え、自得して終日言葉を発しない、これが子夏氏の一派の浅薄な儒者である。(嗛は慊と同じで、快意、自得した様子を指す。終日言葉を発しないとは、沈黙に努めることを指す。『史記』樂毅が燕惠王に與えた書簡にいう:「先王以為嗛于志。」)苟且に懦弱で、事務を畏れ、廉恥がなくて飲食を好み、必ずや君子は本来力を用いないと言う、これが子游氏の一派の浅薄な儒者である。(偷儒は、すでに上の文で解釈した。耆は嗜と同じ。これらはすべて、先儒の性情に偏りがあり、愚昧な者がこれを效法し仰慕するため、このような弊害があることを言う。)あの真の君子は、このようではない。安逸でありながら懈ることなく、勞苦でありながら怠ることなく、(安逸でありながら懈怠せず、勞苦でありながら弛慢しない。)根本を把握して變化に応じ、曲折のところでそれぞれその宜しきを得る、このようであって、そして初めて聖人となる。(宗原は、根本である。意味するところは、根本と應變がともに曲盡してその宜しきを得ることである。)