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雑篇

天下第三十三

第 11 篇

世の中に方術を研究する者は多いが、皆それぞれ自分の学問がすでに極みに達したと思っている。古のいわゆる道術とは、いったいどこにあるのか。答えていう、「どこにもないところはない」。また問う、「神妙なるものはどこから降りてくるのか。明哲なるものはどこから生まれるのか」。答えていう、「聖人にはその生まれる根源があり、王者にはその成就する基盤がある。いずれも『一』という根本に基づく」。

根本を離れない者を天人という。精粋を離れない者を神人という。真純を離れない者を至人という。天を根本とし、徳を基盤とし、道を門とし、変化の兆しを予知する者を聖人という。仁によって恩恵を施し、義によって治め、礼によって行動を規範づけ、楽によって性情を調和し、温和で慈愛に満ちた様子を示す者を君子という。法度を基準とし、名号を標識とし、比較によって検証し、考査によって決断する。あたかも一二三四のごとく明らかであり、百官はこれによって秩序正しく配列される。日常の事務を常とし、衣食を主要な内容とし、生育・繁殖・蓄積・貯蔵に努め、老弱孤寡を思いやり、彼らが皆養われるようにすること、これが民を治める道である。

古の人は実に完全であった!彼らは神明に配合し、天地を模範とし、万物を養い、天下を調和させ、恩沢を百姓に及ぼし、根本の理法を明らかにし、かつ具体的な法度にも通じていた。六合は通じ、四方は滞りなく、大小・精粗を問わず、その働きはないところがない。それらが制度・法度の中にはっきりと示されているものは、旧時の法規や世代を経て伝わる史書の中に多く残っている。また『詩』『書』『礼』『楽』の中に保存されているものは、鄒・魯の地域の学者や士大夫たちがおおむね理解していた。『詩』は心情を表し、『書』は政事を記し、『礼』は行動を規範づけ、『楽』は性情を調和し、『易』は陰陽の変化を推演し、『春秋』は名分・等級を明らかにする。これらの道理は天下に広まり、中原の国々に設立され、百家の学説がしばしばそれらを引用し述べていた。

天下が大いに乱れ、聖賢は明らかにされず、道徳は統一されなかった。天下の人々は、ほとんどが一隅の見解だけを見て、自ら正しいと思い込んでいた。例えば耳・目・鼻・口がそれぞれ機能を持ちながら、互いに通用しないようなものである。百家の様々な技術がそれぞれ長所を持ち、時に用いられることがあるようなものだ。しかしながら、それらは完全でも包括的でもなく、いずれも偏った一隅に固執する者たちである。彼らは天地の純美を断ち切り、万物の道理を肢解し、古人の全貌を引き裂いた。天地の純美を備え、神明の容貌に合致する者は稀である。それゆえ、内聖外王の道は、暗くして明らかならず、鬱積して発せられず、天下の人々は各々自分の意のままに行動し、それを自らの学説とした。悲しいかな!百家は往きて還らず、必ずや相合することはできない!後世の学者は、不幸にして天地の真実と古人の全貌を見ることができず、道術は天下の人々によって切り裂かれてしまうであろう。

後世を贅沢にせず、万物を浪費せず、制度法度を誇示せず、規矩によって自らを律し、世の急難に対応する。古の道術にはこれに属するものがあった。墨翟・禽滑厘はこの風尚を聞いてこれを好んだ。しかし彼らはそれを実行するにあまりに過激であり、制限するにもあまりに厳しかった。『非楽』を作り、『節用』と名付けた。生きている間は歌わず、死後は喪服を着けなかった。墨子は広く愛し、天下を兼ねて利し、争いを否定することを主張し、その学説は怨み怒らないことを旨とした。また博学を好みながら異を立てず、先王と同じくせず、古の礼楽を廃棄した。

黄帝には『咸池』の楽があり、堯には『大章』の楽があり、舜には『大韶』の楽があり、禹には『大夏』の楽があり、湯には『大濩』の楽があり、文王には辟雍の楽舞があり、武王・周公は『武』の楽を作った。古の喪礼では、貴賤に儀式があり、上下に等級があった。天子の棺槨は七重、諸侯は五重、大夫は三重、士は二重であった。今、墨子は独り、生きている間は歌わず、死後は喪服を着けず、厚さ三寸の桐の棺を用い、外槨を付けないことを法式としている。このような基準で人を教え導くならば、恐らく人を愛さないことであろう。このような基準で自らを律するならば、もちろん自らを愛さないことになる。これは墨子の学説を損なうものではないが、しかしながら、歌うべき時に歌うことを否定し、泣くべき時に泣くことを否定し、楽を奏すべき時に楽を奏すことを否定する。これは果たして人情にかなうであろうか?彼らは生きている間は勤労し、死後は薄葬であり、その学説はあまりに苛酷である。人を憂わせ、人を悲しませ、その行いは実行し難い。恐らくこれは聖人の学説とはなり得ない。なぜなら天下の人の心に背き、天下の人は耐えられないからである。墨子は独りでそれを担うことはできても、天下の人々をどうすることができよう!天下の人の心に背くことは、王道から遠く離れている。

墨子は称えて言った。「昔、禹は洪水を塞ぎ止め、江河を疏通し、四夷・九州を通じさせた。大河は三百、支流は三千、小さなものは数え切れない。禹は自ら籠と鋤を持ち、天下の河川を集めた。ふくらはぎに肉はなく、脛に毛はなく、暴雨に浴し、疾風に梳り、万国を安定させた。禹は大聖人でありながら、天下のためにここまで自らを苦しめたのである。」これにより、後世の墨者たちは、多くが粗布の衣をまとい、木靴や草鞋を履き、日夜休むことなく、自らを苦しめることを最高の基準とした。そして言った、「このようにできなければ、禹の道ではなく、墨者と称するに値しない」。

相里勤の弟子、五侯の門徒、南方の墨者である苦獲・已歯・鄧陵子の類は、皆『墨経』を誦読しながらも、背き合い分かれてそれぞれ異なり、互いに別墨と称した。堅白・同異の論弁によって互いに謗り合い、奇偶の異なる言辞によって互いに応酬し、巨子を聖人と見なした。皆その宗主として奉じ、その後継者となろうと願い、今に至るまで定論がない。

墨翟・禽滑厘の意図は良いものであったが、そのやり方は正しくなかった。これにより後世の墨者は、必ずや自らを苦しめることによって、ふくらはぎに肉なく、脛に毛なしを互いに競い合うのみとなるであろう。これは天下を乱すための上策であり、天下を治めるための下策である。しかしながら、墨子は確かに天下に稀な善人であり、求めても得難く、たとえ形容枯れ衰えても放棄せず、まことに有能な士である。

世俗に束縛されず、外物によって飾らず、人に苛求せず、衆人に逆らわず、天下の安寧を望んで百姓の生命を全うさせ、人と我との養いが共に足りれば止める。これにより自らの心を示す。古の道術にはこれに属するものがあった。宋鈃・尹文はこの風尚を聞いてこれを好み、華山冠を作って自らの主張を示し、万物に応接するに偏見を破ることを端緒とした。心の包容について論じ、それを「心の行動」と呼んだ。柔和な態度で歓心を迎え、天下を調和させるために用いた。これを主たる思想とするよう請うた。侮辱を受けても恥とせず、民衆の争いを鎮め、攻伐を禁じ戦争を停め、世の戦乱を救った。これらの学説をもって天下を遊説し、上では君主を説き、下では百姓を教えた。たとえ天下の人が受け入れなくとも、強いて喧しく説き続けた。故にいう、上下ともに彼らを嫌ったが、彼らは強いてそれを示した、と。

しかしながら、彼らは人のために考えることが多く、自分のために考えることが少なかった。曰く、「五升の米の飯だけで十分である」。先生は恐らく満足に食べられず、弟子は飢えているにもかかわらず、天下を忘れず、日夜休むことなく、曰く、「私は必ずや生き延びられる!」これは何と気高い救世の士であろうか!曰く、「君子は細かな考察をせず、自らを外物の道具としない」。天下に益のないことは、それを明らかにして止めるに如かず、と考えた。攻伐を禁じ戦争を停めることを外的な目標とし、情欲は寡ないことを内的な修養とした。その学説の大小・精粗、その行いはここに至るまでである。

公正で私心がなく、平易で私欲がなく、決断して固執せず、物事に従って両端に執着せず、憂えず、謀らず、物事に対して選択せず、それらと共に変化する。古の道術にこの方面に属するものがあり、彭蒙、田騈、慎到はこの風尚を聞いてこれを好み、万物を斉しくすることを第一とし、言うには「天は万物を覆うことができても載せることができず、地は万物を載せることができても覆うことができず、大道は万物を包容できても弁別することができない。万物にはそれぞれできることとできないことがあることを知る。故に言う:選択すれば周全ならず、教え導けば周遍せず、道は漏れるところがない」と。

このゆえに慎到は智巧を捨て、己見を除いて自然に順じ、事物に任せて道理とする。言うには「知るとは知らざることである。将に知を求めんとすれば、而して後にこれを損なう」と。いい加減で何も担わず、天下の賢を尚ぶことを嘲笑い、放縦解脱して行跡に拘らず、天下の大聖を非難し、物に随って転じ、物と共に推移し、是非を捨てて、かりそめに牽累を免れ、智謀を用いず、前後を顧みず、巍然として独り立つのみ。押せば動き、引けば行く。旋回する飄風の如く、回転する羽毛の如く、転がる磨石の如く、自己を保全して是非なく、動静に過ちなく、未だかつて罪あることなし。これは何の故ぞや?知覚なき物は、自己を立てる憂いなく、智謀を用いる牽累なく、動静は自然の理を離れず、故に終身称賛されることなし。故に言う:知覚なき物の如くに達するのみ、聖賢を要せずと。その土塊もまた道を失わず。豪傑たち相笑いて言う:「慎到の道は、活人の行いにあらずして、死人(しにん)の道理なり。あたかも怪異の名を得るがごとし」と。

田騈もまた同じく、彭蒙に師事し、不言之教を得たり。彭蒙の師曰く:「古の道を得たる者は、是・非なきに至るのみ。その風尚は寂然として声なし、何ぞ言を用いて表わすに足らん」と。常に人意に反し、人に見られず、而して物に宛転するを免れず。彼らの言うところの道は真の道にあらず、而して肯定するところもまた誤りを免れず。彭蒙、田騈、慎到は道を知らず。しかれども、大いにいずれも皆、かつて道を聞くことあり。

根本を精微と為し、事物を粗疏と為し、積聚あるをもって足らざると為し、恬淡として独り神明と共に居る。古の道術にこの方面に属するものがあり、関尹、老聃はこの風尚を聞いてこれを好む。常無・常有の基礎に建立し、太一を以って主と為し、柔弱謙下を以って外表と為し、空虚にして万物を毀損せざるを以って実質と為す。

関尹曰く:「自己に偏見なきとき、形物自ずから顕現す。その動は水の如く、その静は鏡の如く、その応答は響きの如し。恍惚として無の如く、寂寥として清の如し。物と混同すれば和し、得るあれば失うあり。未だかつて先んぜずして、常に人に随順す」と。

老聃曰く:「雄強を知りて、雌柔を守れば、天下の渓澗と為る;清白を知りて、汚辱を守れば、天下の山谷と為る」と。人みな先を争い、己独り後に居り、以って天下の垢辱を受くと言う。人みな実を取り、己独り虚を取る。蔵するなし、故に余りあり。巍然として立ちて余りあり。その立身処世は、従容として費やさず、無為にして機巧を嘲笑う。人みな福を求め、己独り委曲保全を求む。以ってかりそめに禍患を免るると言う。深きを以って根本と為し、約きを以って綱紀と為す。堅きは壊れ、鋭きは挫くと言う。常に寛容に物に対し、人を侵削せず。これにて極点に達すと言うべし。

関尹、老聃よ! まことに古の博大精深なる真人なり!

恍惚迷離、形なく状なく、変化常なく、死亡と生存、天地と並び存し、神明と共に往くか? 茫然として何くへ行くを知らず、恍惚として何くへ向かうを知らず、万物ことごとく内に包まるれども、一つの真の帰する所なし。古の道術にこの方面に属するものがあり、荘周はこの風尚を聞きて心に喜悦す。彼は悠遠虚渺の学説、広大空闊の言論、際限なき言辞を用い、時おり縦意に発揮して拘泥せず、一の端に偏執せず。彼は天下の人々が深沉汚濁しているをもって、荘重なる言葉をもって語るべからずとす。彼は無心より出づる「卮言」をもって道理を推衍し、先賢を借重する「重言」をもって真実を明らかにし、寓意を託する「寓言」をもって思想を広める。彼は独り天地精神と往来して万物を傲らず、是・非を問わず、以って世俗の人と処る。その著作は奇偉瑰麗なれども宛転随和して大雅を傷つけず。その言辞は参差不斉なれども奇異変幻して観賞に値す。彼の内心は充実して窮まるべからず、上は造物者と遊び、下は生死を超脱し、始めなく終わりなき人を友とす。彼は道の根本について、宏大にして開闊、深遠にして暢達なり;彼は道の宗旨について、和諧適宜にして上極に達すと言うべし。しかれども、彼は変化に順じて物に化し、その中の道理は窮まりなく、その来たる跡は脱失せず、恍惚暗昧、未だ完全に究め尽くす能わず。

恵施は多くの方術を有し、その著作は五車にのぼるも、その学説は駁雑純ならず、その言論もまた中肯せず。彼は万物の道理を考察し、言うには「大極まりて外周なければ、『大一』と謂う;小極まりて内核なければ、『小一』と謂う。厚さなく、累積すべからざれども、その広さは千里に達す。天と地は同じく低く、山と湖沢は同じく平らなり。太陽は正に正中すれば即ち傾き、万物は生まれ出ずれば即ち死す。大同と小同とに差異あり、これを『小同異』と謂う;万物は完全相同でありかつ完全相異なり、これを『大同異』と謂う。南方は窮まりなくして窮まりあり、今日越国に行きて昨日已に到着す。連環は解くべし。我は天下の中央を知る、燕国の北方、越国の南方に在りと。遍く万物を愛し、天地は一つの全体なり」と。

恵施はこれらを偉大なる道理と見なし、天下に示して弁者たちに知らしめ、天下の弁者みな楽しんで彼と弁論す。鶏卵に毛あり、鶏に三本の脚あり、郢都は天下を有ち、犬は羊に変ずるべく、馬に卵あり、蛤蟆に尾あり、火は熱からず、山に口あり、車輪は地面を碾かず、眼は物を見えず、指は物を指し得ず、指しても止まらず、亀は蛇より長く、曲尺は方形を画き得ず、円規は円形を画き得ず、卯眼は榫頭を完全に囲み得ず、飛鳥の影は未だ動かず、矢は飞速すれども動かず止まらざる時あり、狗は犬にあらず、黄馬・驪牛は三つ、白狗は黒く、孤駒は未だかつて母なく、「一尺の木棍、毎日半ばを取れば、万世にても取り尽くせず」。弁者たちはこれらの論題をもって恵施と相互に応答し、終身限りなし。

桓団、公孫竜のごとき弁者の徒は、人の心智を惑わし、人の意を変え、人の口舌に勝つ能うも、人の内心を折る能わず、これ弁者の限界なり。恵施は日にその智慧をもって人と弁論し、専ら天下の弁者と奇談怪論を製造す、これ彼の根本なり。

しかれども、恵施の口才は、自ら最高明と為し、言うには「天地はまことに壮闊なるかな!」と。恵施は雄心あれども方術なし。南方に奇异なる人あり、名を黄繚と謂い、天地は何故に墜ちず陷ちず、風雨雷霆の原因を問う。恵施は辞さずして答え、思わずして応じ、広く万物を解説し、言い尽くすことなく、言葉多くして止むところなく、なお以って少なしと為し、また怪論を加え、理に反することを以って実在と為し、以って人に勝ちて名声を博さんと欲す、故に衆人と合わず。彼は徳行を軽んじ、外物を重んじ、その道は狭隘なり。天地の道より恵施の才能を観れば、一匹の蚊、一匹の牛蝱の辛労のごときのみ。彼は万物に何の用かあらんや! もし一家の言を充当するにはなお可なり、もし彼が更に大道を尊崇すと言わば、それ遠く及ばず! 恵施は以って自ら安んずる能わず、万物に精力を分散して飽くことを知らず、終に善弁を以って名を成す。惜しむべきかな! 恵施の才能は、放蕩不羈にして収穫なく、万物を追いて返るを知らず、これ響きを追うに声を用い、形と影と競走するがごとし、悲しむべきかな!